第3話 本領発揮

「ねえねえあんたどうしよ」

「静かにここで待ってなよ、騒ぐんじゃないよ」

 ぽん太は流石男である。

あるじのところに行って「かわやは何処」と訊く。

「裏にありますよ」

「借りるよ」

「どうぞ」

 ぽん太は裏に回ると、先ずは用足しをして、河原で適当な小石を集めると手拭いで包んで懐に入れて、何食わぬ顔で座敷へと戻った。

「ほいよ」

 ぽん太は手拭いの包みをこの葉の脇に落すと、お銚子の残り酒を飲んでにたりと笑った。

「それじゃ帰るとするか」

 ぽん太は出口のそばで、

「勘定を頼む」

 と、声を掛けると女将おかみらしい女が、

「お二人さんで五百二十文(一万三千円)です」

「いい値だね」

 とぽん太。

「そこらのお店にゃ負けませんよ。いいお味でしたでしょ」

 女将も負けてはいなかったが、

「いやぁ美味かったよ」

 この葉は何食わぬ顔で金三朱を渡すと、

「また来て下さいな」

 と女将は釣り銭二百三十文をこの葉に渡した。

「また来るよ」

「毎度アリ~」

 表はすっかり暗かった。

「上手く行ったな」

 ぽん太は上機嫌だったが、この葉はどうも後味の悪い気分であった。

行き交う者は既に提灯で足元を照らして歩いて居たが、二人は明かりも持たずに態々暗がりの畦道を中山道に回って、よもやの追っ手を避けて江戸市中に向って帰って行った。



 翌日はこの葉の得意先回りが在ったので名所巡りはお休みとしたのだが、如何した風の吹き回しか、ぽん太は久々に早起きした。

「珍しいね、如何したの」

 この葉は揶揄うように言葉を掛けた。

「昨日しっかり歩いた所為かな、調子が良いんだよ」

 そんな話をしているところに、人足仲間の弥平が顔を出す。

「ぽん太兄い、今日は石垣の直しがあってさ、手が足んねえのよ。頼むから来てくんねえか」

「おめえに頼まれたら断れねえよ。分かった、この葉そういう訳だから行ってくらぁ」

「ちょいとお待ちよ、握り飯で良いだろう」

 茶碗二杯分のおにぎりを二つ作って、沢庵を二切れ添えて経木きょうぎに包むと、袋に入れて渡した。

「弥平さん、亭主に無理させないでおくれ」

 疲れていないか心配だったが、歩いたお蔭でぽん太の場合は逆に元気になったと言えないことも無かったのだ。


 石垣の積み直しと言うのは元禄十六年(一七〇三年)に起きた元禄地震で江戸城の門や塀に石垣などが崩れ、主要の門や潰れた番所や大番所を作り直すなど、復旧工事は順次進められていたが、石垣の崩れは手つかずのところが結構あったのである。

 復旧工事は江戸城が最優先とされては居たが、大名、旗本の屋敷とて放っておくわけにはいかないので、それだけでも人の手は足りないのに、町屋に至っては甚大な被害が出ていたのである。

 それは建造物の倒壊損壊ばかりでなく、火災被害が大きかったのだ。

そんな中、ぽん太夫妻の住んで居る長屋は多少の被害はあったものの建て替えには及ばなかったというから運が良かったと言える。


 何れにせよ建造物の復旧が最優先され、支障の無い限りは、石垣などは後回しになって居たのである。

大きく崩れて目立つ個所は早めに直したが、多くは未だであった。

 石垣の修繕が今始まったのではない。

ぽん太が休んでいる間に多くの職人らは城内の被害状況を確認しながら、順次取り掛かって居たのである。

 ぽん太は単なる人足ではなかった。

石積み人足の中でも優秀な職人と言えたので、親方の指示で、何度も仲間を呼びに行かせたが、ぐうたらを装って応じなかったのだ。

熟練の者から見てもぽん太の技術は大したもので評価は高かった。

 ぽん太が怠けるようになったのは歳の所為ばかりでないことぐらいこの葉は承知していた。連れ添って五年にもなるのだ。

最初は懸命に働いていた。その中で腕を磨いたようだが、この葉との間に子どもが出来ないと分かると、張り合いが無くなったようでちょくちょく休むようになったのである。

この葉は髪結いである。

近くのお店のかみさんや娘さんらがお得意なので十分稼げたのである。

 亭主が働くことに意欲を無くして、ごろごろして居ても何とか暮らして行けたのだ。

だがそれは良いのだがごろごろ寝てばかりでは肥満になるし健康上好ましくないと思うのだった。

 ぽん太はぽん太で毎日ぐうたらしていることにも飽きて来たのだ。

だから突然旅に行こうと言い出したのである。

それ幸いとばかり近くの探索に名所巡りを提案したと言う訳だった。

 十数里歩き回っただけで気分が変わったらしく、その翌日には仕事に出かけて行くほど回復したのである。

如何やら元気になったようだ。

そうなると名所巡りは中断となるところだが、この葉は自身の予定を調整したように、ぽん太の予定も調整しようとしたのである。

 日雇い仕事に二日出て一日休みを入れ、その日を名所巡りに当てる心算であった。

それでは体が休まらないのではとの心配は無用である。

ぽん太は寧ろ歩き回ることで気分転換になったのだ。

 人足の親方もぽん太が休みを入れ乍らもコンスタントに仕事に来てくれることで助かったのだが、ご公儀普請方より特に手付かずの石垣や土塀の崩れのある箇所の早急の修復を指示して来たのである。

特に馬場先門の石垣の様に五十六間に亘って崩れ、数寄屋橋御門の様にお堀が四十五間も崩れていたのである。

 江戸城の石垣には登り易い野面積はなく、打込み接か切込み接である。

崩れた石垣は切り込みはぎであった。

地震で揺れ動いた積石は、土塁との間に詰めた栗石が秩序を失って崩れた為に崩壊してしまったのである。

 全ての作業に従事しなかったが、ぽん太の働きは大いに貢献したようだ。

そのぽん太の日当は五百文であった。

蓄えがあるとは言え、この葉に取っては随分楽になった。


 復旧工事は江戸城ばかりではなかった。

大名旗本の屋敷もご家来衆の住む長屋が潰れたり、土蔵、土塀が損壊するなど被害は甚大で殆どが手つかずの状態であった。

 この武家屋敷の方はぽん太でなくとも大工や壁職人が多く居たので、好きなように働かせてくれたのだった。

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