お昼の時間にも、ふとあなたのことを思い出します。

マウスから手を離し、わたしはぐーっと伸びをしました。十二時三十分、お昼の時間です。パソコンの電源を落として、鞄からお弁当を取り出し席を立ちました。一階下のラウンジへ向かいます。


高校生のときに勉強を頑張って、国公立の大学に入り。大学生でもそれなりに励んでいたので、わたしはいわゆる優良企業に入ることができました。ちょっと忙しいけれど、福利厚生がきちんとしている会社で、お給料も良いです。

初対面のひとに会社名を言えば、素直にいいねと言ってもらえるような、学生時代頑張ったんだねと、微笑まれるようなーーそういう、トップではないけれど、社会的には評判の高い会社。


その正社員としてわたしが勤められているのは、ひとえに、神様の影響です。


わたしが敬愛する神様、だいすきな神様……その信者であるわたしが、価値の低い人間であるわけにはいきません。


もちろん、わたしがどうであろうと神様は、あなたは、素晴らしいお方です。

けれどわたしは、できるだけあなたに相応しいひとでありたい。あなたを信じる者として、恥ずかしい行いはしたくないのです。

だから、あなたのいなくなった、高校二年生のあの日からーー頑張ってこられたのです。


神様のことを思い出して心が幸せでいっぱいになっていると、ラウンジですでに待っている二人を見つけました。


歩くのが遅くなっていたようです。申し訳ないので、できるだけ早足で彼女たちのいるテーブルに向かいました。


「すみません、遅くなりました」


お弁当を置いて椅子に座ると、目の前の後輩は箸を持つ手を止めました。にっこりと笑っています。


「いいですよ。先輩、いつも遅いですもん」


軽い調子のようで辛辣な、お言葉。わたしはあいまいに笑い返しました。

するともう一人の、魔法瓶のうどんをすすっていた後輩も口を開きました。


「先輩はフロア遠いので、仕方ないですよ」


「えー、そんなに変わらないよお。先輩が歩くの遅いんですよねえ。昔からですもんね」


フォローを無視するがごとく、目の前の後輩ーー高校のときの後輩、みやちゃんは無邪気に同意を求めてきました。


うどんをすする後輩ーー宮ちゃんの同僚、篠浦しのうらさんは少し困ったようにわたしを見ます。


篠浦さんはいい子です。でも宮ちゃんも、決して悪い子ではありません。本当のことですから。


「そうですね。歩いていると考えごとをしてしまって……誰かと話していれば大丈夫なのですけど」


「高校のときも部活帰り、気づいたら一人だけ後ろにいましたよねえ。私たち、みんな不思議でしたよ。先輩、仕事はできるのに、ぼうっとしてるところあるよねって」


しみじみと思い返すように、宮ちゃんは一人頷きました。

部活、のことになると……少し心臓が跳ねます。


「先輩たちは何部だったんですか」


篠浦さんが尋ねました。半年くらいお昼をご一緒していますが、まだ言っていなかったようです。

わたしが口を開く前に、宮ちゃんが答えました。


「演劇部だよ。私は演者で、先輩は裏方だったけど」


「宮には聞いてない。……先輩は、どうして演劇部に入ったんですか」


どうして、でしたでしょうか。口に入れた卵焼きを咀嚼しながら、記憶を遡ります。


「……照明を、やってみたかったので」


「照明? 舞台の、ですか?」


「はい、たしか。きらきらしていて……きれいだなあと思ったので」


たぶん、入部の動機はそういう適当なものだったと思います。なんとなく、惹かれたから。

でも、いいのです。動機より何より、大事な事実があるのです。

演劇部に入って得た、最大のもの……わたしの人生最大の僥倖。


「そういえば、先輩、いつも同じ人に見つけてもらってましたよね。後ろにいたとき、同じ照明の人じゃなくて……しかも、同い年でもない人に」


どくん、と。心臓が、つよく、跳ねました。


宮ちゃんはそんなわたしに気づかず、話を続けました。


「誰でしたっけ。三年生の……わあ、思い出せません。先輩の人数多くて、あんまり覚えられてないんですよねえ」


よかった。彼女が覚えていなくて、わたしはほっとしました。

あの方の名前が出たら、わたしは冷静でいられないのですから。


いつも見つけてくれた、大好きな大好きな先輩。

わたしの、わたしだけの、神様。


「覚えていなくて大丈夫ですよ。もう昔のことですし」


「うー、もやもやします。先輩は覚えていますか?」


それは、もちろん。神様の名前ですから。

でも、それはわたしだけが知っていればいいことなので……かわいい後輩さんにだって、内緒です。


「昔、ですからね。わたしも記憶はあいまいです」


嘘はついていないつもりです。ささやかな矜持、とでもいうのでしょうか。

神様の前で、できるだけ正直に。できるだけ善いひとに。あなたに何の気負いもなく祈れるわたしでありたい。


十七歳のあなたが、今もわたしの心に棲んでいます。あなただけが、わたしのすべて。わたしの生きるみちしるべ。


神様のことを思い出しながら食べるお昼ご飯は、やはり、おいしいものです。手が無意識に遅くなってしまうのが難点ですが。


さて、午後も頑張りましょう。気合いを入れるように、心で小さく、そう思いました。










 















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る