15. 火災の発生

ある静かな午後、アウグストゥス家の屋敷で突如、火災が発生しました。火の手は偶然にも、グレゴリウスが辰砂――彼にとっての「賢者の石」を保管していた部屋を飲み込んでいきます。

使用人たちは慌てて火を消そうと奔走しましたが、火の勢いは予想以上に激しく、部屋全体が炎に包まれるまでに時間はかかりませんでした。火災の報せを受けたグレゴリウスは、外に避難していたものの、慌てた様子で叫びました。

「辰砂を!賢者の石を持ち出さなければ!」

周囲が止める間もなく、彼は自ら煙の立ち込める部屋に飛び込みました。厚い煙の中、彼は賢者の石を納めた箱を見つけ、それを抱えながら辛うじて脱出します。しかし、その過程で熱せられた辰砂から発生した気体を吸い込んでしまいました。

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グレゴリウスの健康悪化

火災の翌日、グレゴリウスは微熱と倦怠感を訴えました。最初は火災のショックによる一時的なものと考えられていたのですが、数日が経つにつれ症状は悪化していきます。頭痛、息切れ、手足の震え――それらは明らかに普通の病気とは異なり、家族や使用人たちは不安に包まれました。

グレゴリウスの信頼を一身に受けていたレオナルドは、すぐに呼び出されました。グレゴリウスの状態を見た彼は、表情を険しくしながらも、自信を持って答えます。

「賢者の石の力を信じてください。これを増量して服用すれば、必ずや体調は回復します。」

レオナルドはそう言って辰砂の粉末を差し出し、それを混ぜた薬を処方しました。グレゴリウスはレオナルドを全面的に信頼していたため、その言葉を疑うことなく薬を服用し続けました。

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周囲の疑念

しかし、グレゴリウスの健康状態は一向に良くならなりませんでした。それどころか、日に日に症状は悪化し、ついには歩行が困難になるほど衰弱してしまいます。

アウグストゥス家の人々は次第に疑念を抱くようになった。特に、かねてから辰砂の危険性を懸念していたルキウスは、声を潜めながらユリウスに語りかけました。

「やはり辰砂が原因ではないか?あの物質は水銀の化合物だ。熱せられたときにどれだけ危険なものになるか、誰でも分かるだろう。」

ユリウスは深くため息をつき、慎重に答えました。「兄さんが信じたものを否定するのは難しいが、確かに現状を見ると疑わざるを得ない。もっと根本的な治療を検討するべきかもしれない。」

さらに、クラウディアも密かに動揺していました。レオナルドを敬愛していた彼女は、彼の処方が間違っているとは信じたくありませんでしたが、グレゴリウスの衰弱した姿を見るたびに、胸の内で不安が膨らんでいったのです。

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レオナルドへの疑惑

グレゴリウスの健康が回復しないことに焦りを覚えた使用人たちは、近隣の医師や薬師に相談することを提案しました。しかし、レオナルドはその提案を一蹴します。

「私の研究と処方が間違っているわけがない。グレゴリウス様は回復する。ただ、時間がかかるだけだ。」

その言葉に疑念を抱いたのは、使用人だけではありませんでした。アウグストゥス家の親族の間でも、「本当に辰砂が賢者の石なのか?」という囁きが広がり始めます。

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レオナルドの孤立

グレゴリウスの健康悪化が長引くにつれ、レオナルドの言葉に対する信頼は徐々に失われていきます。かつて彼を称賛していた人々も、次第に距離を置き始めました。社交界では、「彼の研究は本物なのか」という噂話が広まり始め、錬金術界での彼の地位も揺らぎ始めました。

レオナルド自身もその変化を敏感に感じ取っていましが、自らの研究と信念を疑うことはありませんでした。

「賢者の石が万能薬であることは揺るぎない事実だ。グレゴリウス様が回復しないのは、運命が試練を与えているだけだ……」

しかし、その言葉の裏には、自らの信念が崩れ始める不安が隠されていました。

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