第4話-⑦

 王国軍の本陣は、天守を中心に円を描くように展開されていた。

 対するクィエル軍の本陣は三角形に展開されており、南下するほど先が狭くなる。いくら天幕で覆われていても、ある程度の動きは遠眼鏡で確認できた。

 それでも夜になれば視界はずっと悪くなる。

 物見やぐらに登った当番兵は、寒さに凍えながら小さな台の上をぐるぐる歩き回っていた。監視は大事だが、見張りがうっかり凍死していましたなんて笑えない。

 クィエルが冬しかない地域だと聞いていたが、ここまでのものだとは思わなかった。

 元から王国軍に属していたとはいえ、急に集められた寄せ集め部隊なのだ。そのうちの一割がまるごと捕虜にされ、しかも返還をサビオリ男爵が突っぱねたと聞いた時は耳を疑った。

 元領主だから少しは役に立つだろうとのことで連れてきたらしいが、実際は番号札ナンバーズよりもずっと役立たずだった。面と向かっては誰も言わないが、陰で言われることはほとんどがサビオリ男爵の悪口。あとは番号札ナンバーズを小突く程度でしか鬱憤を晴らせないのがもどかしかった。

 その分、クィエル攻撃の際は容赦なく行かせてもらう。形式的な演習しかしていない自分たちが、いよいよその本分を発揮できる。人殺しが怖くないわけではない。しかし相手はほとんどが番号札ナンバーズだと聞く。だったらこれは粛清とか高尚なものではない。害虫駆除だ。

 想像しただけで軽い爽快感があるのだ。実際にやったらもっとスッキリするだろう。そのためにもこの長い夜を越えなければ。

 吐く息の白さに、もう一枚毛布を持ってこようかと考えていた時だった。

 ボンッ、と足元の方から破裂音と衝撃、それから閃光が来る。

「えっ?」

 何事かと視線を落とす。

「わっ、あっ?」

 視界が体ごと揺れる。ふわりと体が宙に浮く。

 やぐらが崩された。

 それに気付いたのは、やぐらもろとも地面に叩きつけられる直前だった。


 ボンッ、ボンッ、ボンッ

 立て続けに、あちこちから爆発音が聞こえる。

 それは王国軍の食糧や武器を備蓄していたテントからだった。

「消火急げ!!」

「水使い、早く雨を降らせろ!」

「無茶言うな、陣の構築にどんだけかかると思ってんだ!」

 ど突く兵士に魔術師が怒鳴り返す。

 魔方陣は、その内容が複雑であればあるほど時間がかかる。魔法の威力と魔力量が比例するし、そもそも陣を書き込むのは魔術師自身なのだ。短縮できる方法を魔法学者が血眼になって探しているが、残念ながらどれも実用段階には至っていない。

「おい、大変だ! 馬も逃げたぞ!」

「なにぃ!?」

 続報に兵士たちの声が裏返った。

 さらにそこへ石を投げ込まれたかと思うと、閃光と共に爆発が起きた。

 仲間の手足が千切れ、肉片があたりにばら撒かれる。

 生まれて初めて人の死を目撃した兵士たちは、それだけで恐慌状態に陥った。

「敵襲、敵襲――!」

「武器持ってこい!」

「馬鹿、あの中だよ!」

番号札ナンバーズに取りに行かせろ!」

「そいつらがいないんだよ!」

「はあ!?」

 兵士たちの間で情報が錯綜する。

 番号札ナンバーズがいない。武器と食糧が燃えている。馬も逃げた。テントも爆破された――。

「クィエルだ! あいつらどこから……!」

 敵を探す兵の後ろで爆発が起き、彼の下半身が吹き飛んだ。

「いやだっ、死にたくないっ!」

「誰かっ、誰か助けてくれえ!!」

 一気に恐怖が噴出し、我先にと兵が逃げる。なんとか消火を試みようと残った兵士たちが次々と吹っ飛べば、選択肢は“逃げる”の一択に絞られていった。

「なぜ“爆弾”が起動している!?」

 爆発音で起こされたホーヴィルが叫んだ。

 特徴的な音と閃光。それは最初の部隊に組み込んでいた百人の番号札ナンバーズに持たせていた“爆弾”だった。

 魔法石に仕込んだ強力な爆発の魔法。これに一定以上の衝撃を加えることで陣が起動し、魔法エネルギーが爆発して周囲に甚大な被害を及ぼす。王国軍はこれを“爆弾”と呼んだ。事前の実験では十人以上を巻き込んでいたから、爆発と共にそれくらいの兵が犠牲になったのは想像に難くない。

 武器庫にはこの“爆弾”も入っていた。番号札ナンバーズの人数と同等以上、つまり予備を含めて五百個以上はあったはずだ。

 それが連鎖的に爆発すれば、王国軍は壊滅する。

「武器庫から離れろ!! 出来るだけ逃げるんだ!」

「おいホーヴィル!」

 怒鳴るホーヴィルの肩を乱暴に誰かが掴んだ。

「私の番号札ナンバーズがいないぞ! どこにやった!?」

「は!?」

 今ここで言うことか、とホーヴィルは目を血走らせているサビオリ男爵を見た。

「そんなことより今は避難だ! “爆弾”が連鎖爆破を起こせばどうなるか……!」

「知るか! 私の番号札ナンバーズをどこに隠した!」

 話が通じない。ホーヴィルは早々に見切りをつけ、右往左往している味方に怒鳴った。

「生きている奴に手を貸せ! 退け! 退くんだ!!」

 だが、一度パニックになった集団はなかなか冷静になれない。動き出そうとしたタイミングで“爆弾”を投げ込まれ、時には数十人が一気に巻き込まれて死ぬ。即死までは至らなくても、手足が吹っ飛べば血を流していずれは死ぬ。

 一瞬で死ぬか、ゆっくりと死ぬか。それとも手足をもがれながら生き延びるか。

 忠義に従った兵士たちはホーヴィル将軍のもとに集まった。

 本能に従った兵士たちは散り散りに逃走した。

 敵前逃亡とか軍規違反とかどうでもいい。燃え盛る炎で照らされた、さっきまで仲間だった血と肉の何かを見て、気が狂わない方が無理だった。

 数千人による集団パニックは朝日が差し込んでもなお続き、王国軍が冷静さを取り戻せたのは昼を過ぎてからだった。


「ヴぁー……」

 クィエルの本陣、その奥の天幕の中でディムは机に突っ伏していた。

「つっかれたぁー……」

「お疲れ様です」

 リュミスが苦笑しながら紅茶を入れる。

「聞くまでもないと思いますが、首尾はどうでした?」

「予想以上に上手くいった」

 顔だけ上げてディムは答えた。疲労の抜けない顔には笑みが浮かんでいる。

「戦の経験のなさがいい具合に仕事をしてくれた」

 夜の闇に乗じた奇襲。昨夜の彼らの行動を表すなら、たったそれだけのこと。

 しかしその内容は、のちにオズワルドから同じことを聞いたウェンディや留守番の兵がドン引きするほどえげつないものだった。

 脱走してきた番号札ナンバーズたちを保護すると同時に、王国軍の陣の簡単な配置を聞き出す。一人一人はわずかな記憶でも、数十人も集まれば確かな輪郭を得る。それによりディムたちは詳細な地図を手に入れた。

 次に、捕虜にした番号札ナンバーズたちが持っていた魔法石を持って王国軍へ向かう。この時、ディムが闇魔法を軍全体に展開し、王国兵の知覚の外に自分たちを置いた。

 闇の祝福持ちギフテッドであるディムは、その魔法の範囲を数倍にまで拡大できた。闇精霊シャドウの助力もあれば、どれだけ大声で叫ぼうと誰も感知できない。さらにオズワルドに寄り添っている風精霊シルフの助力で、普段の数倍の速さで王国軍の陣営に接近した。そのまま見張りに気付かれることなく食糧庫や武器庫に潜入。中のものを奪取し、ついでに馬も拝借した。

 馬にありったけの荷物を積んで先に帰らせ、頃合いを見てやぐらを破壊。さらに空っぽになった武器庫や食糧庫を魔法石で爆破、炎上させる。消火活動の最中に時間差で兵士が休むテントも爆破し、さらに混乱を誘う。あとは夜が明けるギリギリまで、手持ちの魔法石を少しずつ使いながら敵陣営を爆破していった。

 戦争経験のなさはディムたちにも言えることだ。しかも相手はこちらの五倍の兵力を持つ。正面から突っ込むのは愚の骨頂。

 だから、持てるカードを切って奇襲に打って出た。

 相手が捨て駒として多くの番号札ナンバーズを抱えていたのが良かった。彼らが持たされた魔法石は少ない損害で多くのダメージを与えるのに向いていた。王国軍はそれを“人間爆弾”として使い、クィエル軍は“爆弾石”として使った。

 拳大のそれを集団に投げ込めば、面白いくらい兵を倒してくれる。逃げる兵は追わず、あくまでも本陣の破壊と、中に留まっている兵の集団を狙って投げた。

「領主さま、報告します!」

「ああ」

 天幕に入ってきたクィエル兵の報告を、ディムはだるい体を起こして聞く。

「物見によりますと、王国軍の兵はおよそ五千まで減りました」

「よぉーし」

 ディムは小さくガッツポーズをした。

「向こうで動けるのは何人だ?」

「だいたい三千ほどかと」

「上等だ」

 およそ一万人の兵を、たった一晩で半分にまで減らした。しかもすぐに動けるのが三千人。およそ七割の兵力を削いだことになる。

「それと、捕虜の兵士たちですが、今は葬式みたいに沈んでいます」

「だろうな」

 こちらは王国軍に見放されたショックで動けないだろう。改めて捕虜返還の意思を示してくれるならこちらも応じるが、それに従うかどうかは彼ら次第だ。

「食料も武器もなくなったんだ。動きに注意しておけ。それから、ウェンディを呼んできてくれないか? “えにしの方位磁石”も持ってくるように」

「わかりました」

 兵士は頷いて天幕を後にする。

「領主さま」

 リュミスが口を開いた。

「いよいよですか?」

「ああ。探すなら今しかない」

 ディムは厳しい表情で頷いた。

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