第4話-⑥
彼らが本陣からある程度離れたのを見計らって、兵士たちはようやく緊張の糸を緩めた。
「はあ~~。領主さま、大丈夫ですか?」
「あー、うん」
ディムは曖昧に返事をすると、リュミスを見た。
「済まないな、リュミス。せっかくの紅茶を台無しにして」
「構いませんよ」
リュミスはにこりと笑った。
「あの男爵に出した紅茶、本当にその辺の草を煮出したものだったので」
「ぶはっ」
思わずディムたちは噴き出した。
「マジか……」
思わぬ事実に腹筋がぷるぷると震える。一部の兵士にはツボに入ってしまったらしく、うずくまってヒーヒー言っている。
「しっかし、思った以上にスゲー奴だったな」
くつくつと笑いながらオズワルドは天幕の外を見る。
「あれで貴族なんだろ? 貴族ってみんなああなのか?」
「いや、あれはレアだ」
笑いをこらえながらディムは言った。
「貴族のほとんどはまともな奴だよ。ああいう奴が、その努力をぜんぶ台無しにしてくれる」
「うわあ」
オズワルドが顔を大きく歪めた。
「ところで、誰かウェンディ呼んできてくれないか?」
ディムが不意にそう言った。
「火傷した。そろそろ痛い」
「それを先に言ってくださいよ!」
部下たちが突っ込み、呼ばれたウェンディがすっ飛んでくる。
「痕になったらどうするのよ!」
と至極もっともな叱責と共に綺麗さっぱり治される。それでも飽き足らないウェンディが、火傷がいかに大変か、治療と後遺症の両面からちくちくと説教する。人のことをあれだけ庇っておきながら、自分は頓着しなかったのだから当然だ。
それを聞きながら、ディムは近くの兵士に訊ねる。
「魔法石は渡したか?」
「はい」
ディムも頷き返す。
「聞いてます!?」
「はいはい」
ウェンディの怒声を聞き流しながら、ディムは次の策を実行するべく思考を巡らせた。
本陣で“交渉”の顛末を聞いたホーヴィルは、今度こそ頭を抱えた。
一緒に聞いていた隊長たちも、「嘘だろ」「マジか」と平民の俗語が出るくらい動揺している。
「将軍、いかがいたします?」
ケネスが問う。
元々交渉決裂を目的としたものだったが、思った以上に最悪な別れ方になってしまった。
ホーヴィルとて無益な殺生は好まない。しかしこのままでは死に物狂いで抵抗してくるクィエル領民を皆殺しにしなければならなくなる。
しかも
「…………」
ホーヴィルは天幕の向こうにあるクィエルの本陣を思い浮かべる。
王国軍に比べると吹けば飛びそうなほど小さな場所。軍の戦力をもってすれば、潰すのは容易だ。
それをしなかったのは、ホーヴィルのなけなしの温情と、アントニオの作戦があったからだ。
「まだ合図は出ていない」
王国軍の将は結論を先延ばしにした。
「これまで通り待機だ」
「はっ」
敬礼をしてケネスや隊長たちが出ていく。
それを見送って、ホーヴィルは椅子の背もたれに体を預けた。
自分はたしかに将軍だが、それでも王太子の駒の一つ。
駒は駒らしく、時機を待ち、最善を尽くすのみ。
まるで
その日の夜。
物見やぐらの見張り以外誰も起きていない深夜。
月も星も雲に隠れた中で、小さなテントに押し込められていた
昼間も寒かったが、夜はもっと寒い。雲に覆われるといくらか寒さは和らぐのだが、彼らは知る由もなかった。
忍び足で本陣を出る。手を繋いで、慎重に、でも急いで。
冬の夜は長いけど、脱走するには短い時間。
テントの中にいた者、抱き枕代わりにされていた者、サンドバッグにされていた者。
誰も彼もが傷だらけで、視線の先に一縷の望みをかけて走る。
先頭を走るのは、男爵らと共に交渉の場に立ち会っていた
彼は姿なき声と手に託されていた。
――これを持っていれば、夜中、誰にも姿が見えなくなる。
――手を繋いでいても同じだ。
――地獄は終わりだ。今夜、みんなと一緒にここへおいで。
――絶対にこの石を持って、みんなの手を離さないで。
握らされたのは、小さな黒い石。闇魔法を込められたそれは、最初で最後の逃走手段。
テントの中で呼び掛ければ、皆がその手を握ってくれた。
寒くて冷たくて苦しいはずなのに、両手だけは確かに暖かかった。
「領主さま、王国軍の、……っ!?」
テントの垂れ幕を上げたクィエル兵は、目の前に浮かぶ存在を見て声なき悲鳴を上げた。
「ん? ……あ、すまない、気にしないでくれ」
入口の方へ顔を向けたディムは、狭いテントを占拠する“それら”を一瞥して、なんてことないように続ける。
「それで? 王国軍がどうした?」
「は……」
兵士は軽くかぶりを振って気持ちを整えると、伝えるべきことを伝える。
「王国軍の
「わかった」
ディムは頷いた。
「ウェンディは彼らの治療を。オズワルドは一緒に来てくれ」
「わかった。……
《ええ、いってらっしゃい》
頷いたウェンディが、傍らの銀色の龍に一礼をしてテントの外に出る。それを見送った龍が空気中に溶けて消えていくのを、兵士はしかと見た。
「
《うむ》
影が実体化したような、ボロボロのローブがゆっくりと頷く。
《アタシもー》
「兵を集めろ。奇襲をかけに行く」
「はっ。……えっ?」
テントを出るディムとオズワルドの後を追いながら、兵は思った疑問を口にする。
「ど、どうやって?」
こちらも相手も、奇襲にいち早く気付くために夜通し明かりをたいている。王国軍は人数が多い分、明かりの数もこちらより多い。そこへどんな奇襲をかけると言うのか。
「精霊たちの力を借りる」
ディムは答えた。
「戦力を削ぐなら、闇討ちが一番だ」
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