第3話-④

「おい、ディム!」

 執務室に向かう途中、追い付いたオズワルドが呼びかけた。

「この戦争、俺は参加するぞ」

「そうか」

 ディムは頷いた。

「心強い。お前がいれば勝率も大きく跳ね上がる」

「へへっ、そーかい」

 好敵手ライバルにそう言ってもらえると鼻が高い。

 だが、すぐに表情を引き締めた。

「けどよ、実際どーすんだ? こっちと向こうじゃ戦力差ありすぎだろ?」

 一辺境領の私有軍をかき集めたとしても、王国軍には到底及ばない。頭の悪いオズワルドでも、正面衝突が愚行なのはわかる。負けを回避するのは大前提としても、いったいどうやって勝利ないしは停戦に持ち込むのか。

「そうだな。でも、あっちがこちら側を舐めているのもわかる」

 ディムはそう言って執務室にオズワルドを招き入れた。

「戦略もだいたい読める。俺が番号札ナンバーズなのを知っているから、向こうも番号札ナンバーズを利用してくるだろう」

「じゃあ、そいつらを人質にとる?」

「人質じゃない、保護するんだ」

 オズワルドは眉をひそめた。

「……保護? 倒すとかじゃなくて?」

「そうだ。あいつらにとって番号札ナンバーズはあくまでも消耗品。そこを突く」

 ディムは護身用のナイフを取り出し、自らの指先に傷をつけた。

「早速だがこの作戦、要はお前になるぞ、オズワルド」


◆    ◆    ◆


 王国軍侵攻の知らせは、すぐに早便でクィエル全体に広まった。

 屋敷の中もにわかに慌ただしくなり、私有軍も復興作業に従事するどころではなくなった。

「第二部隊と第三部隊は準備が整い次第、出発しろ。途中で他の班や志願者と合流、領の境界線上に陣を敷け。第一部隊は志願兵の受付と訓練を続行。今日は何人増えた?」

「五十人です」

「よし、宿舎をそのまま解放してやれ。文句はあとで受け付ける」

「はい」

 屋敷の人々も下から上への大騒ぎだった。相手がどれほどの規模でやってくるのかはわからないが、仮にも王国軍。辺境の一私有軍よりも訓練を積んでいるのは明らかだった。

「ふう」

「お疲れ様です」

「ああ」

 一段落したところでリュミスが紅茶を入れてくれる。彼女の絶妙な蒸らし加減は、メイド長も真似できないものだった。

「ウェンディは?」

「まだお部屋にこもっています」

「……そうか」

 すぐに参加を表明し、第三部隊の一員として加わったオズワルドはすでに他の兵士と遜色ない具合に仕上がっている。もうじき出発するはずだ。

「もし俺が出発する段になっても出てこなかったら、引きずってでもシェルターに連れて行ってくれ」

「はい」

 ウェンディが参加を表明したなら、従軍医師団に入れるつもりだった。だが当の本人が同行を拒んでいる以上、無理強いはできない。

 他にも、志願したものの年齢や体力的にどうしても参加できない者たちもいる。彼らの最後の砦となるシェルターは、ディムやリュミスなど、限られた者しか場所を知らない。

「…………」

「領主さま」

 琥珀色の紅茶をちびちびと飲むディムにリュミスが声をかける。

「すこしお疲れですか?」

「……ああ」

 普段なら一言二言やりとりを交わすが、今日は即答。相当疲れている証拠だった。

「失礼します」

 リュミスは断りを入れて、ディムをそっと抱きしめる。

「…………。思った以上に、ダメージがデカかったみたいだ」

 リュミスの腕の中で、ぽつりとディムはそう零した。

「はい」

「過去を悔いても仕方ないのは、嫌ほど理解している」

「はい」

「……でも、やっぱり」

 袖がしわになるほど、ディムは自分の腕を握り締める。

「受け入れてほしいって、思っちまったんだ」

「……はい」

 リュミスも少しだけ腕に力を込めて、自分の方に彼を引き寄せる。

 それから一分ほどだろうか。

 おもむろにディムが腕の中から抜け出した。

「ありがとう、いつも助かる」

「いいえ。これくらいしか恩返しができませんから」

「そうか」

 ディムは服の裾で乱暴に目元をこすり、少し温くなった紅茶を飲む。

「領主さま、失礼します!」

 兵士が慌ただしく飛び込んできた。相当急いで来たのか、息が切れ、顔が青ざめている。

「どうした?」

「先ほど、はっ……早便、で」

「まずは息を整えろ」

「はっ……」

 兵士はその場で深呼吸し、ばっと顔を上げてディムに告げる。

「物見が王国軍を確認! 現在バーリント平野を北上中!」

「数は?」

「およそ一万!」

 ディムとリュミスは大きく目を見開いた。

 クィエルの私有軍の総数は千。志願者を入れても二千人がいいところ。

 過剰戦力は国の本気度をそのまま示していた。

「王国軍の旗印は、アントニオ王子のものです!!」

 ひっ、とリュミスが悲鳴を上げた。

 ディムも絶句し、言葉を絞り出そうと唇をはくはくと動かす。

 両手が握りこぶしを作り、小さく震える。

「……………………わかった」

 やがて、ディムはそう絞り出した。

「同じ旨を全員に伝えろ。奴の生殺与奪権を取りに行くぞ」

「はいっ!」

 兵士が執務室を飛び出し、大声で伝えて回る。風魔法の一つ「風波伝播ウェーブ・プロパ」なら近隣の村まで一気に広められるのだが、生憎とその才を持つ者は近くにいない。

 バーリント平野はクィエルの南に広がる広大な平地だ。途中でいくつか街があるから、そこで補給しながらやってくるのだろう。タイミング的に第二、第三部隊が境界線上でぶつかるだろうか。

「りょ、……りょう、しゅ、さま」

 青ざめた顔のまま、リュミスが呼び掛ける。

「大丈夫」

 その手をディムは、壊れ物を扱うように優しく掴んだ。

「大丈夫だ。絶対に勝つ」

 元より勝つ以外に道はなかったが、その動機が一つ増えた。

「だから、リュミスはみんなと一緒にここで待っていてくれ」

「いえ」

 真っ青な唇を動かしてリュミスは言った。

「お供いたします」

「ダメだ、これ以上傷付けさせるわけにはいかない」

「それは他の方々も同じです」

「だけど!」

「だからこそです!」

 言い募るディムへ、それ以上の声量でリュミスが返す。

「知っているでしょ? 私は一度見た人の顔と名前を忘れない。だったら、影武者を看破できる人がいた方が絶対にいい」

 ぐっとディムが言葉に詰まる。影武者の可能性は考えていた。彼女の才能はたしかに便利だが、便利という理由で連れて行きたくなかった。

「……また、あんな目に遭うかもしれないんだぞ」

 今度はリュミスが言葉に詰まる。握りしめた両手が震える理由を、ディムはよく知っている。

「…………。それでも、です」

 絞り出された回答は、凛とした決意を宿していた。

 ディムは量るようにじっと彼女を見つめる。黒曜石と琥珀の瞳が互いを映し出す。

「……わかった」

 やがて、ため息交じりに折れたのはディムだった。

「だが、無茶だけはするな。土壇場でも気分が悪くなったらちゃんと言え」

「はい。ありがとうございます」

 安堵したリュミスもほっと息をつく。

「……そうだ」

 ディムはメモを一枚手に取り、そこにさらさらと文字を書く。

「タイミングは任せるから、これがウェンディに渡るように手配してくれ」

 渡されたメモを見て、リュミスは怪訝そうな顔をする。

「これは……?」

 ディムは自嘲するような笑みを浮かべた。

「なに、ただの悪あがきだ」

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