第3話-⑤

 日が沈んでも、屋敷の中も外も忙しなかった。

 ウェンディはその中で一人、取り残されたように暖炉の火を見つめていた。

 いや、実際取り残されていた。

 他の人たちは来たる戦争に向けて準備を進めているのに、自分はのうのうとここで食っちゃ寝の生活を送っている。

 それが三日も続けば、いたたまれなくなるというものだ。

「失礼します」

 ノックの音がして、リュミスが入ってくる。

「夕食をお持ちしました」

「……うん」

 ウェンディの話し相手は今、食事を持ってきてくれているリュミスだけ。その彼女にもどんな顔をすればいいのかわからず、生返事しか返せない。

「お食事が終わったら、また外に出しておいてくださいね」

 テーブルに並べ終えたリュミスが、そのまま去ろうとする。

「ね、ぇ」

 その背中に、ウェンディは言葉を投げた。

「なんで、……領主に、従ってるの?」

 それは、三日ぶりのまともな言葉だった。

 部屋に引きこもっていてもわかる、使用人たちや兵士の動き。それが今日の知らせでさらに拍車がかかった。

 王国軍の指揮官はアントニオ王子。誰もが振り向く美貌と知力を兼ね備え、次期国王として国内外に名を馳せる実力者。しかしその裏で、階級を問わず彼の気まぐれで殺された者も多い。

 そんな人物が軍の指揮官に選ばれたとなれば、クィエルの未来は蹂躙の二文字しかない。良くて領民全員が番号札ナンバーズに堕とされ、死ぬまで彼の玩具にされるだろう。

 可能なら逃げたいくらいの危険人物を前に、しかしクィエルの人々はむしろ殺気立っていた。志願者たちの訓練には一層の熱が入り、使用人たちの作業スピードもぐんと上がっている。

 ディム5R11X1が発破をかけたのは間違いなかった。

「……なぜ、か?」

 リュミスはドアノブに伸ばそうとしていた手を下ろし、ウェンディを見た。

「私は……私たちは、あの方に大きな恩があるんです」

 そう言いながら、詰襟のボタンを外す。

「あの地獄から救ってくれた、返しきれない大恩が」

 襟を開いて晒された先にあったのは、9I06F9の英数字。

「王子は、王家は、私たちにとって怨敵なんです」

 絶句するウェンディの前で、襟を戻したリュミスは告げる。

「…………ウェンディさん、図書館のどこかに、先々代さまの日記が隠してあります」

 不意に、リュミスはそう言った。

番号札ナンバーズについて、かの御方が独自に調べたことをまとめているそうです。興味がありましたら、探してみてください」

 そう言って鍵とメモをテーブルに置き、今度こそリュミスは部屋を出て行った。

 ウェンディはのろのろと立ち上がり、テーブルに置かれたメモを見る。

『105.11.1 紡がれし縁はどこへ導くか~神話と縁の考察~』

 そこにはディムの筆跡で書籍番号と書名が書かれていた。隠している、というから、なるほど本の題名もあからさますぎては怪しまれる。それにこのメモを彼が書いたとなれば、目的の本は彼からのメッセージでもあった。

 鍵はおそらく、図書館の鍵。今は夜。そして本どころではない大騒ぎ。

 本を一冊持っていくのを咎める人はいない。

 なにより、先々代が番号札ナンバーズについて記したものというのが気になった。

 ディムがあれほど激高し、殺意を見せて庇うほどの人物。

 ウェンディは鍵とメモをポケットに突っ込み、ランプを持って三日ぶりに客室から出た。


 目的の本は、思ったよりもあっさりと見つかった。百番台の本棚は一階の一番奥だったが、幸いにも目線の高さの場所に収まっていた。

 一番肝が冷えた図書館の鍵の開閉もクリアし、ウェンディはすぐに客室へ戻った。

 途中ですれ違う人は何人かいたが、みんなウェンディに構っている余裕はなかった。歩きながらあれやこれやを真剣に話し合い、武器や魔法、戦力など、物々しい単語が飛び交う。

 部屋に飛び込んだウェンディは、スープとパンだけを胃に詰め込んだ。空腹では頭が働かないし、満腹では眠くなってしまう。

 こんな時でも、料理長の料理はため息が出るほど美味しい。すっかり冷たくなっているけど、緊張で体が火照っていた今はとても助かった。

 パンとスープの皿を空にして、ウェンディは一息つく。

 そして、持ってきた本をおそるおそる開いた。

『親愛なる隣人へ捧ぐ』

 本は――先々代の領主、ベネディクト=アンセーヌ・クィエルの日記は、その一文から始まった。


◆    ◆    ◆


創星暦八四七年 一一月二日 風曜日

 子どもを拾った。番号札ナンバーズの子どもだ。黒髪の綺麗な子で、男の子だ。

 私が彼を連れ帰ると、使用人たちは血相を変えた。当然だ。誰かの所有物を勝手に持って帰ってきてしまったのだから。

 だけど、私は彼を元の主のもとへ返す気はなかった。

 キツネ狩りの最中に部下に捕らえられた彼は、一切の怯えを見せなかった。

 とても強い意志を込めた瞳で私を睨みつけ、少しでも油断や隙を見せたらこの喉を掻き切りそうだった。

 今までの番号札ナンバーズは無気力で、無抵抗で、無表情で、維持費のかかる道具だと思っていた。

 だけど、この子は違う。

 上手く言い表せないが、この子は何か特別な可能性を秘めている気がする。

 この予感が当たるかどうか、それを確かめるために、ここに書き残していく。


(中略)


創星暦八四七年 一一月二八日 火曜日

 ようやく食事や着替え、風呂に抵抗を示さなくなった。毎回毎回この小さな猛獣を相手にしてくれた乳母らには頭が上がらない。お礼に有休を出したら、逆にめちゃくちゃ感謝された。

 こっそり彼の出生記録を調べてみたが、どうやら今は五歳くらいらしい。いまだに口を利いてはくれないが、文字の勉強には強い興味を示している。今から覚えれば、平民の子と同等くらいには知能が向上するだろうか。


(中略)


創星暦八四七年 一二月二〇日 風曜日

 素晴らしい学習能力だ! 一月で簡単な文章まで読み書きができ、足し算や引き算まで計算できるなんて!

 精霊の加護がないだけでこれほど素晴らしい才能を埋もれさせていたとは、なんという損失だろうか。

 今では勝手に図書館に入り浸って本を読んでいる。一応、監視の目は緩めないつもりでいるが、ここまで来るといっそどこまで才能が伸びるのか、楽しみで仕方ない。


(中略)


創星暦八四八年 一一月一〇日 水曜日

 今日、子どもがついに自分から声を上げた。今までこちらが呼び掛ければ答える程度だったのが、拾ってから一年、自分から言葉を発したのだ!

 子どもは自分のことを「ディム」と名乗った。根暗を意味する言葉だが、どうも彼はこの音を気に入ったらしい。

 しかし、番号札ナンバーズに個体名をつけてもいいのだろうか。まずいよな、やっぱり。


(中略)


創星暦八四八年 一一月一五日 水曜日

 子どもが最近どこかへ姿を消してしまう。本人はかくれんぼのつもりなのか、我々が見つけると嬉しそうな、悔しそうな表情をする。

 いつも張り詰めた顔しか見ていないから、こんな表情もするのかと意外だった。


 今気付いた。

「ディム」って「ディネージュ」の頭三文字を読み間違えたのか?


(中略)


創星暦八四九年 一一月二日 火曜日

 私がディムを拾ってから三年。彼はすっかりこの家の一員だ。

 最初は難色を示していた家族も、今は彼を受け入れて、一緒に食卓を囲んでいる。

 とはいえ、かくれんぼもいい加減飽きてきた。あと、監視役からの苦情がすごい。三人に増やしたのにその目を掻い潜るとか、どうやっているんだ?


(中略)


創星暦八四九年 一一月一九日 水曜日

 まずい、まずい、まずい

 どうしよう、信じられない

 国(この先は黒く塗りつぶされている)

 死にたくない。

 処分しなければ

 あんなもの拾うんじゃなかった

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