第2話-③

 怒涛の一週間だった。

 子どもたちからの嫌がらせに耐え、薬がないからと放置して悪化させた怪我を片っ端から治し、少しでも遅れまいと参考書を読み込む。

 最後の三日ほどは睡眠不足と闘いながら、ウェンディは慣れた道を歩いて屋敷に戻った。

「お疲れ」

「お疲れ様ですー」

 いつものように門番と挨拶を交わしたところで、立ち止まる。

 正面玄関に馬車が停まっていた。

「ああ、ついさっき領主さまが帰ってきたんだよ」

 ウェンディが立ち止まったことに気付いた門番が、親切に教えてくれる。

 鈍っていた思考が生き返り、視界が明瞭になる。

「領主さまもお疲れだから……あれっ?」

 門番の言葉はもう頭に入ってこなかった。

 自分でもびっくりするほどの速さでロータリーを駆け抜け、両開きの扉に手をかける。

「ディムさん、おかえりなさいっ!」

 バターン、と勢い良く開いた先には、

「…………」

 誰もいなかった。


「あははははっ! あははははははははっ!」

 食堂にアンネの笑い声が響く。

「アンネさん、笑いすぎです」

 リュミスが窘めるが、笑いをこらえようとして変な顔になっている。

「だって……だってさあ! どんだけ領主さまのこと待ってたのって話よ!」

 笑いすぎて目に涙を浮かべるアンネは、嬉々としてウェンディの失態を語る。

 あの時、エントランスホールに誰もいないと思ったのは一瞬で、実際はアンネにばっちりと見られていたのだ。それを止める間もなく屋敷中に告げ口して回ったので、ウェンディは今も公開処刑の真っ最中である。

 さすがに料理長やメイド長まで来るとポーカーフェイスが板についているのか、アンネを無視して粛々と食事を進めている。それがウェンディにとって多少の救いだった。

「ちょ……っとま……」

 そして、巻き込まれたディムはかろうじてカトラリーをゆっくりと置いた。

「待て……待って……」

 さすがにムッとしたウェンディが抗議しようとして、固まった。

 ディムの口元にはこらえきれない笑みが浮かんでいた。

 学生時代、不機嫌のポーカーフェイスと揶揄されていた彼が、肩を震わせて笑っている。そのままうずくまってテーブルの下に隠れてしまったが、同時にこんなにも感情豊かだったのかと思った。

 ウェンディの知っているディムは、不機嫌そうに、苛立たしそうに、そして焦っているように見えた。なにものにも動じず、淡々と、けれど確固たる何かを持って生きていた。

 今、一緒に食事をとっている彼は、とても自然体のように見える。

 そもそも、先々代の領主と縁があったという彼が、なぜ平民の学校に来たのか。

 上級学園に入れない理由でもあったのか?

「おい、いつまで笑ってんだよ」

 思考の海に沈みかけたウェンディの耳に、オズワルドの声が飛び込んできた。見れば、彼はすでに自分の分を食べきっていた。オズワルドもそこそこ笑っていたはずなのだが、いつの間に。

「一戦交えるって約束、忘れてねーよな?」

「…………ああ、もちろん」

 深呼吸しながら浮上したディムが頷く。

「明日、練兵場を借りよう。ルールは今まで通りでいいか?」

「おう」

「では、明日の予定はいかがなさいます?」

 すかさず、スケジュールを管理しているメイド長が話に割り込む。

「早便は予定通り出してくれ。午前のものは全部キャンセル。あとの微調整は試合後に決める」

「かしこまりました」

「っしゃあ!」

 ばしん、とオズワルドが右の拳を左の手の平に打ち付ける。

「久々の模擬戦だ。手ェ抜くなよ?」

「抜けるか、阿呆」

 ようやく食事を再開したディムがそんな言葉を零す。

「ちなみに、俺がいない間は特に問題はなかったか?」

「はい。病院の方々からも、孤児院の皆さんからも感謝の言葉を頂きました」

「こちらも助かりました。うちの新人たちも気合が入ったって、団長が嬉しそうにしていました」

 リュミスと警備隊長がそれぞれ答える。

「そうか」

 ディムは静かに笑みを浮かべ、パンをスープに浸して食べた。


 翌朝は、いつもより少しだけ暖かかった。

 それでも吐く息は白く濁り、遠い空には黒い雨雲が見える。

「一雨来る前にとっととやるぞ」

「おう!」

 屋敷のほぼ裏側にある練兵場。普段は私兵しかいないこの場所に、ウェンディやリュミスなどの部外者がいた。普段は立ち入りが制限されているが、この日はディムが仕事をある程度免除すると宣言したため、食事の仕込みがある料理長を除いた全員が集まっていた。

 学生時代に武力で一、二を争った二人が数カ月ぶりに剣を交える。その話を聞いた兵士たちもこの日は土木工事への出張を渋り、将軍に怒られていた。結果、百五十人いる兵の中で残ったのは非番の二十人と新兵の三十人だけ。

「では、改めてルールを説明する」

 審判を買って出たのは私有軍大将のフレノールだ。

「一つ、攻撃はそれぞれが手にしている木剣のみ。二つ、魔法による身体能力の強化は有効。三つ、どちらかが降参、または気絶、あるいは剣が手から離れた時点を決着とする」

 ルールは学生時代にも使われていたものだ。まだ魔力操作が不安定な子どもたちは、魔法の使用を大きく制限される。特定の授業以外での魔法は使用を禁止されていたため、ウェンディたちは限られた時間で魔力をコントロールしようと必死だった。

「両者、異論がなければ位置について」

 寒冷地仕様の軍服に着替えたディムとオズワルドが、それぞれの位置で向かい合う。

「それでは……はじめっ!!」

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