第2話-②

 図書館なので小さな声だが、しっかりと呼んできたのはマルスだ。

 ウェンディは一度本を閉じ、差し出されたページを見やる。

 彼が持ってきたのは、自然に群生する野草を調べたもので、簡単なスケッチと共に詳細が書かれていた。

 マルスが示した場所に記されていたのは『ユキネソウ』という寒冷地に生息する植物だ。分類を見ると苔の仲間のようだ。色も名前が示す通り薄く、一見すると変わった色の霜柱と思うだろう。

 しかし、ユキネソウは薬になる毒草だった。

 うっかり素手で触ろうものなら、体内で針が暴れまわるような激痛が走る。急いで治療をしなければ、そのまま患部から凍っていき、最悪の場合は切断しなければならなくなる。

 逆に、適切な処理をすれば、とても上等な薬になる。患部を凍らせる性質を利用し、火傷を治す軟膏の素材になるのだ。これを塗れば、どんなにひどい火傷もたちまち治癒する。

 とはいえ、先も言ったようにユキネソウは寒冷地にしか生息しない。もちろん王都など四季の変化がある場所では栽培なんて夢のまた夢。そのためクィエルのような原生地から加工済みの商品を仕入れるのが一般的だった。

「試してみる価値はありそう」

 ウェンディは頷いた。これが栽培できるならそれに越したことはないが、いかんせん育て方がわからない。しかも毒草だから、小さな子の手が届かない場所で育てる必要がある。マルスが手にしている本はただの図鑑だから、育て方の載っている本を探す必要があった。

「ガーデニングとか、育て方について載っている本を探してみて」

 そう言うと、マルスは頷いて席を立った。

 他にもいくつか候補が見つかり、育て方を調べてみる。

 ユキネソウは寒い日影を好み、見た目と分類に反して湿度の低い場所で育つとあった。温度はともかく、湿度管理が大変そうだ。そこでもう一つ、低温を好み湿気を吸収して育つロクバナという植物を一緒に育てることになった。こちらも種が解熱剤の材料になる。

「今日はありがとう、ウェンディさん」

 マルスが持ってきた植物図鑑と、さらに栽培方法の載っている本を数冊借りて、シスターは礼を言った。

「さっそく、シスター長と話をして育てられるか検討してみるわ」

「こちらこそ、お役に立てて良かったです」

 にこやかにウェンディも返す。その手にはリュミスが集めた教本代わりの参考書がいくつかある。

「では、今日はこれで」

「はい。また明日」

 シスターに促され、子どもたちも会釈をしたり小さく返事をして帰っていく。まだ完全に心を開いてくれていないが、少しは距離が縮まったように感じる。

 彼らの後ろ姿を見送って、ウェンディは手にしている本に目を落とす。

「さて、私もやりますか」

 あてがわれている部屋に戻り、本を開く。これらも他の本と同じく、十年以上前に出版されたものだった。

 高価なのでそれほど版を刷れないし、値段も高いが、ここまで古いのはいっそ感心する。いや、むしろ王都の学園や市内の図書館が優秀すぎたのかもしれない。あそこの本は古くても五年前のもので、情報の齟齬もそこまでなかった。しかし地方ではそこまで頻繁に本を入れ替えられない。専門書ともなれば、平民の平均年収分と同等の金額のものもある。あれほどの本を集めていたら、しばらくは更新できなくても不思議ではない。

 そう考えたら、ここにこれだけの参考書があるのはむしろ奇跡だった。領主たちは代々、本の虫だったのかもしれない。

 ページにびっしりと並ぶ文字を追う。医療の基本、心構え、人体の各部位の名称……。ウェンディは暖炉の火が燃え尽きて、夕食に呼ばれるまで本に没頭していた。


◆    ◆    ◆


「――では、この村もあと少し軌道に乗れそうだな」

 頭に毛糸の帽子をかぶり、口元まで隠した毛糸のマフラーをもごもごさせてディムは言った。

「はい。今年の収穫量次第では、新たに牛や馬を買おうかという意見も出ています」

 隣にいる人物はにこにこと微笑みながら頷く。

 全部で三十戸ほど、総人口百人ほどの村は、作付けのピークを迎えていた。掘り起こした土を畝の形に整え、そこに種を撒き苗を植える。早いものなら一ヵ月、長くても三カ月ほどで収穫の時期を迎える。彼らを手伝うため、私有軍の兵士も各地に派遣されていた。

 ディムと村長は畑全体を見渡せる場所で、その作業を見守っていた。

「すまないな、こんな忙しい時に」

「いえいえ、滅相もありません」

 村長が首を振る。

「領主さまこそ、お忙しいでしょうに。わざわざこのような小さな村にまで来ていただくなんて」

「それが俺の仕事だ。前の領主のようなことはしない。先々代の頃にまで戻してからが本番なんだ」

「……ベネディクト様、ですか」

 村長がくしゃりと顔を歪める。

「あの御方は、聡明でした。……聡明すぎたのです。もう少し時期を見れば、あのような……」

 そこまで言って、慌ててディムの方を見やる。

「いえ、決してベネディクト様が悪いわけでも、ましてや領主さまが悪いわけでも……!」

「いい」

 一言、斬り捨てるようにディムは言った。

「……いいんだ。先々代が亡くなったのは俺が原因なんだ」

 ディムの視線は、畑でにこやかに笑いながら作業する村人たちに注いでいる。しかしその目は、そこにいない人物を探して彷徨っていた。

「どれだけ詰られてもいい。誹りも受けよう。だけど、先々代を悪く言うのだけは、どうかやめてくれないか」

「……領主さまの仰せのままに」

 村長は帽子を取り、深々と頭を下げた。

「ところで、日はまだ高いのですが、お食事はいかがなされますか?」

「ありがたいが、あと二カ所ほど回らなければならない。他に困りごとがあれば、役所に文を出してくれ」

「はい」

 村長が頷いたのを見て、ディムはマフラーをぐいと下げる。

「おぉーい!!」

 畑に向かって放たれた声は良く伸び、作業に集中していた村人たちが顔を上げた。

「今年の畑作、期待しているぞー!!」

 村長の隣に並ぶ青年が領主だとわかると、全員が慌てて地に伏せて最上級の礼を取った。兵士たちは直立不動で敬礼している。

「あー……」

 それを見たディムは苦い顔になった。

「できれば手を振ってもらいたかったんだが……」

「まだまだ慣れません故」

 村長がくつくつと笑う。

「応援しておりますぞ、領主さま」

「……ああ」

 マフラーを巻きなおし、ディムは頷いた。

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