第1話-⑥
翌日も同じように病院内を掃除していたら、ついでに怪我人の治療を頼まれた。元は浅い傷だったのだが、軽傷だからと放置していたら化膿したのだ。ここでは薬不足も深刻らしく、簡単な処置で済ませた結果、悪化させてしまうケースが多いという。
自分がやっていいのか、半信半疑になりながらウェンディが治癒魔法をかけると綺麗に治った。患者もその家族も驚いたが、ウェンディ自身が一番驚いていた。
そこからあれよあれよと軽傷の患者を振り分けられ、雑用をしている暇がなくなってしまった。師長に訊ねてみたが、こちらが最優先と言われてしまったら反論できない。
午後はまた孤児院の医務室で子どもたちの怪我を治す。が、昨日に比べて連れてこられる子が格段に減った。怪我をせずにいられるならそれに越したことはないが、昨日との落差が引っかかる。
(……まさかね?)
困らせるためにわざと怪我をしていたというのであれば問題だ。しかしシスターのありがたいお話でもいただいたのか、それとも別の作戦に切り替えたのか、やってくるのは一人か二人。もっとも、その子たちもこの世の終わりかと思うほど暴れて泣くから、体力よりも精神にキている。シスターが四人がかりで手足を押さえつけなければいけないなんて、火事場の馬鹿力とは恐ろしい。
前任の看護師や治癒術師は何をしたのかと頭を抱えるが、ここにいない人に文句を言っても詮無いこと。
「よし、勉強、勉強」
手を叩いて気分を切り替える。
乗り継ぎの馬車の中でも勉強できるようにと、数点の教本を持ってきておいて助かった。途中で路銀が尽きてしまった時は焦ったし、遭難寸前だったが、これはトランクの中で死守した。
開いたのは、治癒術を行使する上での基本をまとめたもの。
無数の縁で結ばれたこの星は、同時に精霊の加護にも包まれている。
精霊の加護は地、水、火、風、光の五種。人は生まれた時、このいずれかの加護を授かる。これがそのまま、その人が使用できる魔法の属性になるのだ。
しかし、中にはその加護を授からない人々も生まれる。精霊に見放された彼らを国は“
生まれてきた子が
酷なことだが、
教本のページを目で追っていると、ノックの音が聞こえた。
「はーい?」
返事をすれば、おそるおそる、といった感じでドアが開く。開いたドアの隙間から顔を覗かせたのは、三歳くらいの女の子だ。
「あら、どうしたの?」
教本を置いて立ち上がる。すると女の子は怯えたように後ずさりしてドアを閉めてしまった。
が、どうやらドアは勢いで閉めてしまっただけらしい。すぐにまた開いて、隙間からこちらを窺ってくる。
「どうしたの? 誰か怪我した?」
その場でしゃがみ込み、目線を合わせて訊ねる。大人と子どもでは目線の高さが違う。子どもの目線に合わせるのは、相手の話を聞くうえで基本の姿勢だった。
女の子はおずおずと、ドアで隠れた向こう側を指さした。
「あっち」
「わかった。案内してくれる?」
こくりと頷いた女の子の後を追い、ウェンディはドアを開ける。
「きゃあああ!?」
ばっしゃあん、と派手な音と共に大量の水が降ってきた。同時にゲラゲラと子どもたちの笑い声が聞こえる。
そちらを見れば、子どもたちがウェンディを指さして腹を抱えて笑っていた。呼びに来たはずの女の子も手を叩いて笑っている。
「…………」
頭上を見れば、水滴を垂らしながら揺れるバケツが目に入った。ドアを一定以上の角度で開けるとひっくり返る仕組みのようだ。
頭から水をかぶると、いくら室内とはいえ冷えるもの。だからウェンディはドアを閉めて鍵をかけ、室内にあった予備の服を引っ張り出した。
謝って洗って返そう。
そう思いながらシスターの服を身につける。
子どもたちはまだ足りないのか、しきりに開けろと言ってドアを叩いてくる。ウェンディはそれを無視して、びしょ濡れになった服――これも村から頂いたものだった――に顔をうずめた。
「――ふぅ」
顔を上げ、服をハンガーに吊るして乾かしておく。帰る頃までに乾いていれば上々だ。
そしてドアの鍵を開ける。
「おい、おっぱい見せろよ!」
ドアが開いた瞬間、そんな言葉が飛び込んできた。ウェンディはそれを無視して廊下を進む。
「ムシすんなよー!」
「やーい、でかぱい!」
「パンツみせろー!」
耳障りな声を無視しながら、孤児院内を歩き回ってようやく目当ての人物を見つける。
「あ……」
囃し立てることに夢中で気付いていなかった子どもたちが、顔を赤くするシスター・ケイトに全身を強張らせる。
彼女が規律にも差別にも人一倍厳しいのは、昨日一日でウェンディも骨身に沁みていた。
「あんたたちっ!!」
シスター・ケイトの怒号に、子どもたちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。シスター・ケイトは彼らを追わず、ウェンディに駆け寄る。
「ウェンディさん、大丈夫?」
「……はい」
頷きはしたものの、声は情けないほど震えていた。
ウェンディは
「すみません……。頼るようなことになってしまって……」
こらえきれなかった涙を零すウェンディに、シスター・ケイトがその両手を掴む。
「いいのよ。こちらこそ気付かなくてごめんなさいね」
皺が刻まれた両手からぬくもりが伝わる。そうして、ようやく自分が緊張と恐怖に苛まれていたのだと、ウェンディは気付いた。
「服は? 医務室にある?」
「はい」
「じゃあ、帰る頃までそこにいてね。怪我した子がいたら連れてくるから」
「はい。服は、ちゃんと洗って返しますので」
「ありがとう。さ、戻りましょ」
シスター・ケイトに促されて、ウェンディは医務室への道を戻る。
「――なんてことをしたんですかっ!」
戻る途中、医務室の方から別のシスターの叱責が聞こえた。天井が高いから、遠くの声もよく響く。
子どもたちの悪事がばれたのかと、ウェンディはほっと胸を撫で下ろす。
だが、次の瞬間に聞こえてきた言葉に耳を疑った。
「破くなんて……少しは人のことを考えられないのっ!?」
若いシスターの金切り声。それが意味するところを瞬時に理解して、ウェンディとシスター・ケイトは走り出していた。
ウェンディは運動があまり得意ではなかったが、それでも年上のシスター・ケイトに負けるほど体力も衰えていない。
「わたくしはっ、あとから、追いつきます……!」
「はいっ!」
後ろから聞こえるシスター・ケイトの言葉に声だけで返し、ウェンディは廊下を走る。
破かれたのは服か、教本か。教本は値が張るものの、給金で買い直せる。しかしあの服は、寒さで凍えていたウェンディたちが村人から分けてもらったものだ。たとえありきたりなものだとしても、値段以上の価値があの服にはある。
「あ……」
子どもたちを叱っていたシスターが目を見開く。その横を通り過ぎ、医務室のドアを開けた。
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