第1話-⑤

 クィエルは日照時間が短い。たとえ真夏でも五時間がせいぜいだ。冬になれば一時間にも満たない極夜が訪れる。そのため人々は夜明け前から動き出す。

 ディムも周囲が暗い中、馬車に乗って街を出た。それでも時間は朝の七時だから、平常通りか少し遅いくらいである。

 彼を見送って、ウェンディはリュミスと共に慈善病院へ、オズワルドは警備隊長と共に宿舎へと向かった。

 慈善病院は教会が設立したものだ。主に教会への寄付で成り立っているそこは孤児院も作られており、子どもたちの声がかすかに聞こえてくる。

「なるほど。では、ベッドメイクや清掃、それから子どもたちの相手をお願いします」

「はい」

 看護師長らしき女性が紹介状に目を通し、ウェンディにそう言い付けた。雑事は王都の病院でもやっていたこと。下町の医者ならともかく、看護師見習いのウェンディにできることは限られていた。

 他の看護師たちと協力して手早くベッドメイクをし、掃除をしていれば、あっという間に午前が終わった。

「今日から一週間、みなさんの怪我を診てくださる人よ。仲良くね」

「ウェンディと言います。よろしくお願いします」

 そのまま孤児院へ向かい、紹介を受けて子どもたちやシスターらと共にテーブルに着く。

 突然見知らぬ人間が来たからか、食事中も子どもたちは緊張で身体を固くしていた。中には警戒するような視線を送ってくる子もいて、ウェンディは一度スプーンを置いた。

「どうかした? 私の顔に何か付いてる?」

 そう訊ねるが、子どもたちは皆さっと視線を逸らしてもくもくと食事に戻る。しかし、彼女が食事に戻ればまた視線を送ってきて、ウェンディは内心でため息をついた。

 孤児院は名前の通り、親を亡くした子どもたちが大人になるまで育つ場所だ。当然、それだけで偏見や差別の目に晒される。中には親が番号札ナンバーズではないかと謂れのない中傷を受けることだってあると聞いた。番号札ナンバーズは生まれた時に生殖機能を取り上げられているから、子どもは作れない。しかし人間というのは想像力だけでどこまでも恐ろしいことを考えられるのだ。

 看護師は傷の手当だけでなく、そうした子どもたちの心のケアや孤児院でのシスターらのサポートも業務に入っている。

 ゆくゆくはウェンディもそれらに携わっていくのかもしれないが、今回請け負ったのはちょっとした傷の手当だ。

 遊んでいれば何かしら怪我を負う。さすがに木から落ちたら病院に運ぶか医師を呼ぶ必要があるが、転んでできた傷くらいならウェンディにも治せた。

「おれ、いっちばーん!」

「あっ、ずるいー!」

「まてー!」

「こら、食器をちゃんと片付けなさい!」

 さっそく誰が一番に外へ出るか競争し始めた。院長を務めるシスター・ケイトの声も聞こえていない。

 団子になった子どもたちが玄関に殺到する。

「あ」

「わあっ!?」

 先頭にいた子どもが足をひねったのか、バランスを崩す。そのまま将棋倒しになると、次の瞬間には泣き声が響いた。

「うわああああ~~ん!!」

「アンディが押した~!」

「ちがうよ、こいつだよ!」

「うえええええ~~!」

 泣く子、うずくまる子、泣きながら喧嘩する子で一気に騒然となる。

「はいはい、治すよ~」

 こういう時にウェンディの出番だ。孤児院に来てまだ一時間くらいしか経っていないが、怪我人を前にしてそんなのは関係ない。

 すぐに駆け寄り、治すために手をかざして、

「触んなっ!」

 年長らしき少年に手を払われた。

「よそ者の施しなんか受けるかっ!」

「んなっ」

 どこでそんな言葉を覚えてきたのか、やたらと大人びた言動に目を見張る。

 見たところ十歳くらいだろうか。なるほど大人に混ざりたい年頃である。

 だが、ウェンディにはそんなの関係ない。

「怪我人を治すのが私の仕事だから。ピンポイントでのけ者なんて芸当、私にはできないからね」

 そう言って再び手をかざす。

 己の中に流れる、血液とは別の循環を感じ取る。

 雪解けの清流のようなそれは、清らかな水音と共に高まり、空中に陣を構成する。

 陣はこの世に奇跡をもたらすための扉。内側に書かれる構築式は世の理を書き換える。

 構築式を書き終え、陣が完成する。

 この世を満たす五大元素のひとつ、すべてを癒し清める水の魔法が発動した。

 淡い光が子どもたちを包み込む。その時間、わずか一瞬。

「……え?」

 光が弾け、役目を終えた陣が空中に溶けていく中で、子どもたちは呆然と自分たちの手足を見る。

「……なお、ってる?」

「え?」

 駆けつけたシスターらが目を見開く。

「ちょ、ちょっと見せて!」

 ウェンディを押しのけてシスターたちが彼らの傷を確認する。遠目でも赤い血が滲んでいるのがわかったのに、その傷口には綺麗な肌しか見えない。

 全員の傷が消えたのを確認すると、シスターたちは呆然とウェンディを見上げた。

「……あなた、本当に看護師見習い?」

「はい。就職してまだ三カ月くらいなので」

 病院では最初の一年間で座学と雑用を叩きこまれ、二年目になってようやく本格的な実践に移れる。よほど才能に恵まれているのなら話は別だが、就職三カ月目のウェンディにはまだわからなかった。

「…………」

 シスターたちは顔を見合わせると、一人が慌ててどこかへ走り去る。残ったシスター・ケイトが咳払いの後、手を叩いた。

「さあ、みなさん! 怪我を治してもらったんだから、お礼を言いましょう!」

 えー、と子どもたちからブーイングが上がる。

「お・れ・い・は?」

「……アリガトーゴザイマシタ」

 シスター・ケイトに凄まれて、ものすっごく小さな棒読みのお礼が返ってきた。

「はい、どういたしまして」

 ウェンディはそれに苦笑しながら返す。思うところはあるが、よそ者なのは間違いない。一週間でここを去るのだ。それまでの辛抱だと思ってくれればいい。

 そう思っていたのだが。初日から元気いっぱいに遊びまわっては怪我をこさえてくる子どもたちに振り回されたウェンディは、帰る頃には体力をだいぶ消耗されていた。

「い、いつもこんな感じなんですか……?」

 帰り際、隙を見てシスターに訊ねてみると、

「うーん、はしゃぎすぎてるかな……?」

 困ったように返された。

 さすがにこれを一週間は辛いかもしれない。

 そう思いながらウェンディはあてがわれた部屋に戻り、夕食もそこそこにベッドで泥のように眠ったのだった。


「リュミスさん、ちょっといい?」

 屋敷の庭で雑草を取っていたリュミスは、駆け寄ってくるシスターを見てその手を止めた。

「はい」

「あの、今日来たウェンディって子……」

「彼女がどうかしました?」

 初日から何かやらかしたのか。とてもそうは見えなかったが、人間には意外な一面というのがある。

 しかし緊張を見せたリュミスにシスターは首を振って答えた。

「あの子、とんでもないわ。子どもたちの傷を一瞬で治しちゃった」

「え?」

「出来たばかりの新しい傷から、痕になっちゃった古い傷まで、全部。確認したから間違いないわ」

「…………」

「あれだけのポテンシャルがあるのに見習いって、どういうことかしら」

「…………ちょっと、調べてみましょうか」

「ええ。こちらから師長に伝えておくわ」

「お願いします」

 リュミスはシスターを見送り、しばらく難しい顔で考え込んでいた。

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