第1話-④
リュミスの案内でやってきた食堂は、応接室などと同じく過度な装飾のない、けれど暖炉の熱が最大限生かされる工夫がされていた。
煙や熱が上へ向かうのを利用し、床から五十センチほどの場所でパイプが三つほど連なって壁を走っている。中には温水が入っており、それを循環させて熱を放出し、部屋の隅々まで温めている。
長テーブルには二十人分の食事が並べられ、上座にディムが座る。そこから料理長や警備隊長、メイド長が座り、ウェンディとオズワルドはそのすぐ横に座らされる。残った席には使用人たちが座り、満席となった。
「全員揃ったな」
ディムが長テーブルのメンバーを見回し、料理長を見る。
「本日のメインはワタリガモのローストです。スープはユキニンジンのピューレ、付け合わせはポテトサラダです。ベック・ブレッド(そば粉のパン)はカゴからご自由にどうぞ」
巻きヒゲが特徴的な料理長の説明の間も、いい匂いが目の前のプレートから漂ってくる。誰かが涎をすする音がした。
「では」
ディムが手を組む。それに合わせて全員が同じように手を組む。
「星の恵みに感謝を」
『星の恵みに感謝を』
食前の祈りを終え、夕食が始まる。
鮮やかなオレンジ色のスープをすくって一口飲むと、お菓子のような甘さが口の中に広がった。
「美味しい……!」
「それは良かった」
呟きが届いていたのか、料理長が微笑む。
「領主さまのご友人だとお聞きしたので、いつもより腕を振らせていただきました。お口に合ったようで幸いです」
「い、いえ、こちらこそ……」
思わず恐縮してしまう。貴族の、それも領主の屋敷で働く料理長の料理なんて、一生かかっても食べられるものではない。
ちゃんと味わって食べよう、と決意する横で、メイドの一人が声を上げる。
「えー? 料理長、いつもは手抜きなの~?」
「失敬な。ちゃんと毎日腕を振るっていますよ。いつもと気合の入り方が違っただけです」
「それを手抜きって言うんじゃないの~?」
「アンネ……あなたいつか痛い目見ますよ?」
料理長の顔が引きつり、こめかみにうっすらと青筋を立てる。食事の席でさすがに声を荒らげる真似はしないが、いつか仕返ししてやるという意思ははっきりと読み取れた。
「アンネさん、お料理冷めちゃいますよ?」
成り行きを見守っていたリュミスがおずおずと声をかける。アンネと呼ばれたメイドはニマニマとした笑みから一転、不服そうな顔をしたものの、素直にフォークを手に取った。料理の誘惑には勝てないようだ。
それがいつもの光景なのか、意に介さない様子のメイド長がディムに向けて口を開く。
「明日以降のご予定ですが、特にお変わりはありませんね?」
「ああ。一週間留守にするが、よろしく頼むぞ」
「承知しました」
ポテトサラダを口に運びながら、ウェンディは目を見開いた。こんな風に使用人たちと共に食事をして、しかもその席で情報交換やスケジュールのすり合わせをする。
およそ話に聞く貴族や領主の食事風景ではない。
そういえば、ここの料理もすべてまだほんのり温かい。料理人や使用人がまず毒見をするため、貴族の料理は冷めてしまったものがほとんどと聞くのに。
というか今、とんでもないワードが聞こえた気がした。
「でぃ、ディムさん、どこかへ行くんですか?」
「ああ。領地の視察」
鴨のローストを口に運びながらディムは答えた。
「書類はちゃんと部下に探させる。これが終わったら王都へ行く支度をするさ」
ウェンディはほっと息を吐いた。領主の仕事がどれほどのものか、彼女にはわからない。ただ、いない間も出来る限りのことを部下に指示してこなす姿は立派だと思えた。
だけど。
「どうしても、なんですか?」
ウェンディの感覚では、いつでもできる視察よりも王都の召喚状の方が重要な気がした。
「ああ。まだまだ荒れた場所が多いし、現状を把握できていないところもある」
ディムはパンを半分にちぎり、口に放り込む。
「王都へ行くにしても、まずは自分の足元を確認してからだ」
「……なるほど」
納得しかねるが、領主の仕事においそれと口を出せる立場ではない。ウェンディはひとまず頷いておいた。
「そのついでなんだが、ウェンディ、オズワルド」
「ん?」
「は、はいっ!?」
不意にディムに声をかけられ、ウェンディは飛び上がった。
「悪いんだけど、俺が戻ってくるまでの間、どこかサポートに入ってくれるか?」
「サポート?」
「あー、違うな。臨時で働いてもらいたい」
ウェンディは再度目を見開いた。彼女たちの立場は、一応領主の知人であり客人だ。その客人に働いてもらいたいなんて、どれだけ人手不足なのだろうか。
「俺はいいぞ」
「わ、私も」
二つ返事で了承しながら、ウェンディは疑問を投げかける。
「でも、どうして?」
「端的に言えば、人手不足」
ディムは本当に端的に言った。
「前の領主の置き土産が思いのほか酷くてな。今急ピッチで色々と直している最中なんだ。正直、猫の手も借りたい」
前の領主はどれだけの圧政を敷いていたのだろうか。いくらクィエルが辺境だとしても、放置されすぎではなかろうか。
「ウェンディは何ができる?」
「治癒魔法なら、少し」
「具体的には?」
「基礎治癒魔法を覚えているから、ちょっとした切り傷なら塞げる程度」
「なら、近くにある慈善病院を頼む。ついでに併設している孤児院も。紹介状を書くから、明日朝イチで行ってくれ。案内はリュミスに任せる。リュミス、いいか?」
「はい、領主さま」
話を振られたリュミスが頷く。
「んでオズワルドは……」
「駐屯地があるならそこで訓練する」
パンをちぎったオズワルドが答えた。
「そんでいつかお前に勝つ!」
「猪突猛進の癖を治したらな」
ディムはため息交じりにそう答える。
「一応、私有軍はある。けど最低限の人数だけ警備と稽古に当たらせて、あとは土木作業に従事させている。お前もそっちに行ってくれるか?」
「は? ヤだよ」
「ちょっと……!」
即答するオズワルドにウェンディが小声で咎める。だがディムがすかさず追加する。
「帰ったら一戦交えてやる」
「やる!」
ころりと手の平を返したオズワルドに、ウェンディはもちろん使用人たちも呆れるしかなかった。
乗せられるオズワルドもオズワルドだが、ディムはこうして人を手玉に取るのが上手い。学生時代も、上級生に難癖をつけられながらも話を逸らし、何度も丸め込んできた。それでも対処できない相手は腕力でねじ伏せる。だいたい相手が先に手を出してくるため、正当防衛が適用された。そういう風に仕向けるのも得意だから、次第にオズワルド以外は誰も手を出さなくなってきたが。
「兵士たちも基本は宿舎で寝泊まりしている。そっちにも紹介状を書くから、同じく朝イチで向かってくれ。案内は警備隊長に任せる。場所はわかるか?」
「おう。西の建物だろ?」
オズワルドの言葉にディムは頷き、明日以降の予定をメイド長らと詰めていった。
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