私が多重人格になった理由、そして、そんな私が幸せになるまで。

hysteric cat

はじめに

 2024年、秋。


 冬の匂いも濃くなってきた頃、私は現在のパートナーに誕生日を祝ってもらった。私とパートナーは茹だるような真夏にSNSで知り合い、短いながらも濃密な時間を重ね、時に大きくすれ違いながら、その日を迎えた。私とパートナーは現在進行形で関係を深めている。もうすぐ、本格的な冬がやってくる。


 私が30代に足を踏み入れてから、かれこれ数年が経った。自身の、生きて30代を過ごせるとは思えなかった人生の振り返りをしたいと思い、私は今、この文章を打っている。私は現在のパートナーに出会って、初めて手放しで幸せだと笑えるようになった。側から見たらくだらないかもしれない、でも、確かに温かい、パートナーとの日々が私に向き合う勇気をくれたのだ。私の過去は、恐ろしく、冷たい。



 私は虐待サバイバーだ。近年、巷でも聞くようになった「毒親」育ちである。周りの人間からはその傷口に塩を塗られながら生きてきた。全てが全て、不幸であったとは言わない。恵まれていたところだってあるだろう。でも、それで片付けられたら、トラウマという単語は要らない。


 私は危うい10代を何とか生き抜いて、20代で救われることを願いながら、20歳の時に奈落へと転落した。20歳の私に何が起きたのか。シンプルに言うと、親の身勝手な言動が私の心を砕いたのだ。砕いた、という形容は非常に適切だと思う。親の言動がトリガーになり、私の心は致命的な「解離」を引き起こし、砕けた。


 30代、私の主たる精神障害は「解離性障害」で、主症状は「多重人格」だ。私が20歳の時には、「解離性障害」はまだ広く認知されていなかった。「多重人格」の症例は非常に少ない、そう言われていた頃の話だ。今でも「多重人格=演技・嘘」のレッテルを貼り付けられることはあるが、その頻度はとても少なくなった。少なくとも、解離することで精神の安定を保っている自分自身を疑うことは無くなった。



 この文章は、私の人生に関わってくれた人の中でも、プラスに作用してくれた人たちに捧げたい。その筆頭は現在のパートナーで、私の振り返りを全て読んで、感想を聞かせてもらえたら嬉しく思う。生きていると、本当に色々なことが起こる。良いこともあれば悪いこともある、その反対も然り。パートナーと出会えた奇跡、自分の軌跡をなぞりながら、私は自分の物語を紐解こうと思う。それが何にどう作用するか、今の私にはまだ分からない。ただ、この先の自分が流す涙は温かいものであってほしいと願う。


 本編に入る前に、「家族(交代人格)」にいくつか言葉を残したい。


 私は、あなたたちのお陰で今日という日を笑って過ごせる。今後、何年一緒に生きられるかは分からないけれど、これからも私とパートナーの日々に寄り添ってもらいたい。温かい保証はする。今は羽根を休めて、また話せる時に話せたら嬉しい。小説とは少し形は違うかもしれないけれど、いつか約束した通り、あなたたちのことを文章に残すことが出来た。今はそこから私、そして、パートナーを見守っていてほしい。


2024年も終わろうとしている。何から振り返ろうか悩んでしまうが、印象的なエピソードから振り返っていきたいと思う。少しばかり楽しんでいる自分がいることに驚きを隠せないけれど、このまま続けようと思う。

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私が多重人格になった理由、そして、そんな私が幸せになるまで。 hysteric cat @hyscat

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