決着

 獣の大口が迫り来る。

 やたらとスローに感じるのは、極度の集中で脳ミソがゾーンの扉でも開いたんだろうか? そんなもんはスポーツ作品かなんかでやってろ。

 理由は何でもいいが、この引き延ばされた時間は実際辛い。一思いにガブリと行って貰えりゃあこっちも諦めが作ってのに、おかげで足掻く余地が生まれてしまった。

 ……魔法による拘束が僅かに緩んでいくのを感じる。

 そりゃそうだ。ただでさえ石でデコレーションされたゴブリンは、この獣にとって仕留めるのは容易でも食べずらい獲物だ。実体を持つこの闇の魔法だって食べる時には邪魔になる、なるべく食べやすいように自分のタイミングで解除するのは自然な事だ。食べ物を包装ごと食べないのと一緒。

 抵抗を止め脱力する。通じるかは分からないが……眼も瞑り、最後を悟って諦めたと獣に錯覚させる。

 魔法の拘束が更に弱まる。露出した肌には、既に獣の体温が空気越しに感じられる。一瞬先に待つ死への恐怖を無理矢理に捩じ伏せる。


「ン"ン"ン" ーーーーッッッ!!!!!」

「⁉」


 身体強化を全開にして、残った魔法の拘束を引きちぎる。体を半身に反らしながら前へと踏み込む。

 そこにあるのは獣の口内。タイミングがズレた事で、上半身の全てを食われずに済んだ。

 ナイフを持った右腕と頭を外に出せたのは僥倖ぎょうこうだろう。こんな状態からでも、反撃だってしてやれるんだからな!


「ギイイッ‼」


 渾身の力で獣にナイフを突き立てる。俺の思わぬ反撃に、驚愕の色をその眼に宿した獣と視線が重なる。

 知ってるか? 食事の時って生物が最も無防備になるんだとよ。ん? 勝利を確信した瞬間だったか? それとも別の話だったっけか。まああれだ、獲物がくたばる前に気を抜いちゃダメでしょーよ?


「グッ、ガアアア‼」


 俺の内心が伝わったのか、怒りに満ちた表情の獣の顎が万力のような力で閉じられる。石の防具がなければ簡単に食い千切られていた所だ。そして残念ながら、その守りもそう長くは持ちそうに無い。

 獣は刺さったナイフを外そうと、俺を咥え上げて激しく振り回す。滅茶苦茶な遠心力に意識を飛ばしそうになりながら、負けじと力を込めて耐え続ける。


「ギ、イイイッ‼」


 ナイフを刺した場所が悪かったのか、思いの外出血が少ない。動脈でも傷つけられていたなら、失血死狙いの持久戦も歓迎出来たのだが、このまま耐え続けても此方が一方的に消耗するばかりだ。

 何か、何か手はないか⁉


「ギ⁉」


 振り回された拍子にナイフが筋肉を傷つけたのか、顎の力が少し弱まる。

 まずい! この状況、口から放り出された瞬間に勝ち目が消える!

 慌てて獣の顎骨に抱き付く形で左腕にも力を込める。石が唾液の水分を吸収してくれたおかげか、思ったよりも滑らないでくれた。


「ッ⁉」


 いつまでもナイフを離さない俺に焦れたのか、再び獣の魔法が行使される。拘束するのと違って動かすように闇を操作するは苦手なのか、引き剥がそうとする力は弱い。だがそれに抵抗する事で、俺の腕の力は確実に削られていく。

 クソが、考えが一向に纏まらない! 本当に何か手はないのか? こいつに一泡吹かせる事が出来る、魔法みたいな手立てはっ⁉


「ギ、魔法……!」


 あるじゃねーかメインウェポン! 畑仕事で鍛えた放水の魔法‼

 都合の良い事に口の中に突っ込まれたこの左腕こそが俺の切り札だったんだ!

 正真正銘最後の賭けだ。お前の魔法でナイフが外されて俺が吹き飛ぶのが先か、俺の魔法でお前が溺れ死ぬのが先か。我慢比べといこうじゃねーの!


「ッラア‼」

「⁉」


 全力全開での放水。初めて全開でこの魔法を使ってみたが、ちょっとした放水車並みの水量が手から放たれ続けている。その分魔力の消費が激しいのがネックだな。

 強制的に喉奥へと水を流し込まれた獣は苦しげにのたうち回るが、その動きが衰える気配は感じられない。それどころか、パニックでより激しく動き出した。

 落ち着け、焦るな。獣が呼吸をしようとする度に気道にも水は流れ込んでいる。このまま放水を続ければ俺の勝ちなんだ。制御をミスるな。より効率的に魔力を回せ。こいつが死ぬまで死ぬ気で魔力を持たせろ!


「……‼ ……⁉」

「ガッ⁉」

「うわっ⁉」

「ひいぃ!」


 滅茶苦茶に暴れ回る獣が、子供達のいる大木の幹にぶつかる。

 忘れてたぜ、こいつら助けに来たんだったな。今の衝撃で誰か落ちてたりしないよな? さすがに助けられないから、死ぬ気でしがみついていてくれよ。


「グ、ク、ウゥ……!」


 その後も何度か大木に激突する獣。その度に全身を貫く衝撃に意識を持っていかれそうになりながら、なんとか魔法を維持し続けている。

 まだか? まだ倒れないのか⁉

 尽きかけの魔力に焦りが顔を覗かせる頃、遂にその時がやってきた。


「ハァッ、ハァッ……‼」


 巨体が崩れ落ち、ピクピクと痙攣を繰り返している。

 最後の意地なのだろう、それでも固く噛み締められている顎。そこからどうにか抜け出した俺は、止めを刺すべく立ち上がった。


「ギ……」


 ナイフは既に折れていた。仕方ないのでヒビだらけの防具を纏めて剣の形に作り替える。相手がでかいので、剣も俺の背丈程あるビッグサイズだ。


「じゃあな」


 ナイフで出来た喉元の傷に先端を押し込み、剣の重さを利用して切り裂く。今度はきっちり致命的な箇所まで切り裂けたようで、おびただしい量の血が噴き出した。


「……」


 血にまみれながら辺りを見渡す。ボスは倒したが、まだ十数匹の子分共が俺を囲んでいる。

 正直、もう限界だ。全身ボロボロで、剣を杖代わりにしてやっとのこと立てている。防具ももう無いので、奴らの牙も爪も防げない。

 辛うじて出来る事と言えば、こうして睨みつけるくらいなんだ。頼むから襲って来るなよ?


「ギヒ……」


 今にも倒れそうになりながら、どれくらいそうしていただろう。ついに子分共が俺を襲う事は無かった。いや、この言い方は正確じゃないな。正しくは襲う機会は失われた、だ。

 森の奥から見える炎の光。村から大人達がやって来た。

 殺気だった気配に気が付いて散り散りに逃げ出す子分共を見送り、俺は意識を手放した。

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