第12話 好きな声優の彼氏になるため決断する!
「やっと終わったみたいだな。七時間スタジオに缶詰されてどうだった?」
ディレクターコース全員(オレ達)が必死になって終わらせた編集済みの音源を聞いた刻土さんが言った。
この人も隣でずっと仕事をしていた筈だが、全く疲れた顔をしていない。これが慣れってヤツなのか。
「まさかギリギリになるとは思いませんでした……」
対してこちらは死にかけ状態だ。休憩が終わった後、休む間もなく編集作業を続けて、終わったのは午前五時半過ぎだった。
――たった十分の番組の編集に六時間以上かかった。音を切って貼るだけの作業がここまで時間がかかるとは思わなかった。
時間があったら収録練習しようとか言っていたのは誰だ? ソイツぶん殴ってやりたい!
「最初はそんなもんだ。だんだん早くなっていくから心配するな。それよりも丁寧に編集されてて評価する。初めてだからって雑にやらないのは偉いぞ」
「はは……ありがとうございます」
丁寧にやったと言うより、それ以外の誤魔化ができなかっただけなのだが。オレのレベルでは不自然にならない様、少しずつ少しずつ繋げていくしかなかった。
結果評価されたので万々歳ではあるものの、これでは実際の仕事でお話しにならない。
何処を取捨選択し、それをどう繋げていくかの判断をもっと素早く、的確にしなければ……
模擬番組収録から編集作業までやってみて、身を持って色々と理解した。
「これが終わったら、次は卒業制作に向けての企画と台本作りだ。次回から作家チームと合同になるからしっかりやれよ。今日はこれで解散!」
流石にみんな疲れたのか「お疲れ様でした……」という弱々しい声をあげて散り散りに帰っていった。
「佐久間もお疲れさん。気をつけて帰れよ」
刻土さんがまた隣のスタジオに戻ろうとしている。
ここがチャンスだ。
「あの刻土さん。ちょっとお聞きしたいのですが」
帰る筈の教え子からの突然の申し出に驚いたのか、刻土さんが不審な顔をしてこちらを振り返った。
「何か用があるのか? 徹夜しておいて元気だな」
徹夜してるのは刻土さんも同じだし、「この後まだ仕事しようとしてるアンタの方が化け物だよ!」と思いながら、オレは先程決めた行動方針にしたがって一手を打つ。
「刻土さんはB&Dのレギュラー番組、何本やってるんですか?」
「ん? 今は三本だが」
実は聞くまでもなく知っている。刻土さんはB&D以外にも配信番組のレギュラーをいくつか持っているし、まだ聞いてない仕事がいくつかあるのも知っている。
「今週って栄化放送で収録ありますか?」
「ないな。打ち合わせならこの後あるが」
「その打ち合わせってプロデューサーさん参加されます?」
刻土さんの表情が少し厳しくなった。こちらの言わんとしている事を察したらしい。
オレが世紀の思い付きの様に打ち出した“プロデューサーへの売り込み”なんて、誰でも思いつける。おそらく過去に刻土さんへ打診した人はいたはずだ。
「参加すると言うか、そのプロデューサーとの予算の話だな。なんだ、お前も参加したいのか?」
ここで「参加したいです!」なんて言おうものなら「関係ない奴を参加させられるか」と返されるのが関の山だ。
なので、こういう言い方をする。
「プロデューサーさんに、紹介してもらう事って可能ですか?」
オレがそう言うと刻土さんの顔はより厳しさを増した。
――これは講師の顔ではなかった。つまり今、オレは講師と話していない。
刻土ディレクターと交渉しているのだ。
「どうしてだ?」
当たり前の疑問を叩きつけられた。刻土さんにとって、ビジネス相手であるプロデューサーに教え子でしかない者を紹介する理由もメリットもないからだ。
もちろん、それはオレも理解している。「そうっすよね、お疲れ様でしたー」と引き下がる訳にはいかない。
結果はどうあれここは自分を押していく。
「駆け引きとかしても時間の無駄なのでストレートに言います。今後の為にプロデューサーへ自分を売り込んで行きたいんです」
今のオレが何を言おうと、刻土さんに都合のいいものなど用意できない。オレはこの姿勢を刻土さんに買ってもらおうとしていた。
これが何の考えも無い体当たりなのはわかっている。愚直な行動だとも理解している。
オレには何のコネもない。だから、どんなに微小だろうと、その行動がチャンスになり得るなら掴みに行かねばならなかった。
待っているだけの者や動かない者にチャンスは絶対に回ってこない。動くのは明日ではなく、常に今なのだ。
もちろん動いた結果がどうなるかはわからない。
ただ、今を動く者には必ず幸であれ不幸であれ未来がやってくる。
「…………」
刻土さんは沈黙している。
オレは表情があまり固くもならない様に努めた。まだ一世一代のお願いをするタイミングはきていない。刻土さんから目をそらさず真っすぐ見つめる。
「正直お前を紹介する理由は全くない」
刻土さんの口が動く。
「あと紹介したところでお前の今後の為になるのかも知らん。それでも良ければ徹夜明けの疲れた頭で判断が鈍った事にして、五分だけ時間を作ってやる」
刻土さんが顔をしかめつつ低い声で言ってくれた。
「ありがとうございます!」
いらない事は言わない。お礼だけ言えば十分だ。
「俺はまだ少しやらなきゃいけない用がある。どっかで時間潰してこい。七時五十分に十階のエレベーターホールで待ってろ」
「七時五十分に十階のエレベーターホールですね。承知しました」
「ったく、ホントお前って返事だけは達者だな。まあ、それが出来ない奴もたくさんいるんだが」
そう言うと刻土さんは「面倒事が増えたな」と言わんばかりにため息をして、スタジオに戻っていった。
「……ありがとうございます刻土さん」
刻土さんが「売り込みって何をやるんだ?」と突っ込んでこない所に愛を感じた。しかも、疲れているのにオレという負担を増やしてくれた。感謝しかない。
「ここからだな……」
どうにか時間を作ってもらうのは成功した。何者でも無いオレが、たった五分で劇的な何かを残せるとは思えないが、名前を言えるだけでも意味があると思う。
人気のないフロアのトイレに行って顔を洗い、本日の延長戦に向けて気を引き締め直した。
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