第11話 好きな声優の彼氏になるため作業する!
栄化放送のビルは地上十三階建ての高層ビルだ。
ビルには二階の受付か、地下の駐車場から入れるが、いずれも入館証が必要になる。
アカデミー生は仮の入館証を持っているが、仮なので勝手にビルの中には入れない。授業がある日は地下駐車場に全員集合した後、入館の許可を得て栄化放送に入る。仮の入館証では自由な出入りができないようになっているのだ。
だが、レギュラー番組を持てば本物の入館証が貸し出され、個人での保管も許される。
この入館証はアカデミー生からすると垂涎もののアイテムだ。
憧れの栄化放送に自由に出入りできる通行許可証を手に入れるため、みんなが虎視眈々とレギュラー番組を狙っている。
「おーし、行くぞー」
引率の刻土さんに連れられて栄化放送に入っていく。
ビルの九階から上にあるのはスタジオだ。九階には一スタから七スタまでが設置されており、十階には八スタと映像付きラジオ用の収録スタジオがある。
あと十階は雑多に並ぶデスクの中、B&D番組のスタッフが仕事をしている部屋もある。
番組で使う小道具が置かれていたり、プロデューサーのデスクもここにあるので、十階は何かと人の出入りが多い場所だ。
十二階はイベントが行われるメディアプラスホールがあり、十三階は社員用のスカイラウンジと、スタジオが一件設置されている。
この十三階のスタジオはメインで収録が行われる事は少ない。十階までのスタジオが埋まっている時にやむなく使用されるスタジオだ。その為、普段はよく空いているので、ディレクターコースのメンバーはこのスタジオを使って機材訓練をしている。
先日の疑似収録もこの十三階のスタジオを使って行われた。つまりディレクターコースのメンバーは九階や十階のスタジオを今まで使った事がない。
しかし今日は九階にある六スタの使用許可が下りている。スタジオの使用目的は先日した疑似収録の編集作業だ。
「お、緊張しているヤツがちらほらいるな? ま、緊張するなら緊張しとけ。今しかできない貴重な体験だ。いずれ死んだ顔が珍しくなくなる」
編集作業は長時間スタジオを使用する。その為、頻繁に利用される六スタで編集作業を行うなんて許されないのだが、今回は特別だ。
何故なら、今日は栄化放送で泊まり込み徹夜編集の授業だからだ。深夜二十三時に栄化放送に集合し、朝の六時までの七時間ぶっ通しで編集作業をやる。こんな深夜になると九階スタジオの使用は少ないので、アカデミー生の使用が許可されたのである。
ちなみに、他のスタジオが全く使用されていない訳ではない。他のスタジオでも、徹夜で編集作業をする現役ディレクターがいたりする。死んだ顔をしながら……刻土さんが言ってた通りだ。
「俺は隣のスタジオで編集してるから、どうしても分からない事があったら聞きにこい。じゃあ、朝まで頑張れよ」
それだけ言うと刻土さんはオレたちを残してさっさと隣のスタジオに行ってしまった。
健全な仕事じゃないのは分かってるが、朝まで缶詰にされるとは。でも、他に使う人がいなければ機材を解放してくれるというのはかなり待遇がいいのではないだろうか。
正直な所、普段バタバタしながら使ってるスタジオと機材を、七時間も自分達だけで使い放題と言うのはワクワクする。編集機材と収録機材は別なので、編集に煮詰まったら収録練習をしてもいい。
編集は根気のいる作業だが、無駄な間を削除して詰めたり、不要な部分をまるまるカットするのは楽だ。
しかし、それらをしても更に尺を詰めなければいけない時は、必要なトークは残しつつ、カットしても意味がつながる部分をカットしなければならない。
どういう事かと言うと。
「先日、美容院に行ったんですよ。髪を切ってもらってる間に美容師さんから、今年の夏はどこに行きました? って聞かれたので、奥多摩の方にキャンプに行った話をしたんですね。そしたら、その美容師さんはキャンプに行った事がないらしくて。え? 学生の時に林間学校とかありませんでした? って聞いたら、そういう授業はズル休みしてたらしいんですよ。もちろん、家族とのキャンプも行った事ないみたいで、キャンプについて全く知らなかったんですね。だからテントの建て方とか、火のおこし方とか、バーべキューで肉や魚を焼いて食べると美味しいって、キャンプの楽しい部分を熱心に伝えたら、やっぱり今度友達同士で行ってみようかなって言ったので、是非行ってみるといいですよって、おススメのキャンプ場を教えてあげたんですよ。でも、いい部分の話ばっかりだと、実際にキャンプに行って衝撃を受けるかなと思ったので、夜になると車が使えなくなるキャンプ場も多いので、小腹がすいてもコンビニまで歩くなんて絶対無理ですよ、とか、隣のテントが学生だと、深夜まで、下手すると朝方までギャーギャーうるさくて寝られないですよ、とか、何よりキャンプは虫との戦いなので、自販機に巨大な蛾がいるのは当たり前ですし、川に入れば虻が襲ってきますし、テントの中にゲジゲジ的なのが侵入してくるのなんて日常茶飯事ですよって教えてあげたら、一生キャンプには行きませんって言われちゃいました。いやー、人に楽しみを伝えるのって難しいですね」
というトークがあったとして、コレを一分のトークにする必要があるとする。
このままだと尺が一分二十秒くらいのトークになるので、どうにかして二十秒は縮めなければならない。
そうなると、このトークで必須の部分を考えて、それ以外の部分をカットしなくてはならなくなる。当然、カットによって前後のトークに繋がりがなくなると変になるので、カットは慎重にしなければいけない。
トークの趣旨としては美容師さんがキャンプに行った事がない、美容師さんにキャンプの楽しいところを伝えたら行ってみたくなった、ついでに悪い所も伝えたら二度とキャンプには行きたくなくなった、という話だ。
なので、これらが伝わる範囲でトークをカットする。
人が話しているので、流れの続いている部分はカットできない。息継ぎや、一瞬間を空けたところを見逃さずカットして、違和感のない編集を行っていく。
すると、こんな感じの一分トークになる。
「先日、美容院に行ったんですよ。美容師さんから、今年の夏はどこに行きました?って聞かれたので、奥多摩の方にキャンプに行った話をしたんですね。そしたら、その美容師さんはキャンプに行った事がないらしくて。家族とのキャンプも行った事ないみたいで、キャンプについて全く知らなかったんですね。だからテントの建て方とか、火のおこし方とか、キャンプの楽しい部分を熱心に伝えたら、やっぱり今度友達同士で行ってみようかなって言ったので、おススメのキャンプ場を教えてあげたんですよ。でも、いい部分の話ばっかりだと、実際にキャンプに行って衝撃を受けるかなと思ったので、夜になるとコンビニまで歩くなんて絶対無理ですよ、とか、隣のテントが学生だと、下手すると朝方までギャーギャーうるさくて寝られないですよ、とか、何よりキャンプは虫との戦いなので、テントの中にゲジゲジ的なのが侵入してくるのなんて日常茶飯事ですよって教えてあげたら、一生キャンプには行きませんって言われちゃいました。いやー、人に楽しみを伝えるのって難しいですね」
「髪を切ってもらってる間に」、「バーベキューで肉や魚を焼いて食べると美味しいって」、「車が使えなくなるキャンプ場が多いので小腹がすいても」、「深夜まで」と、単体で数えたら、ほんの数秒ほどの言葉をザクザクカットしていく。
ここまでカットすれば、だいたい一分弱に抑えられる。
言葉で説明すると簡単に思えるが、実際にやってみると非常に難しい。時間のかかる作業で、このチマチマした作業を全体尺に収まるまで続けていく。
「……なるべく尺通りに収録しておいて良かった。これからもこのやり方をすべきだな」
カットして繋ぐ。
違和感がないか確認。
違和感があるなら元に戻してやり直し。
編集はこの三工程を死ぬほど繰り返す。
数フレーム違うだけで良くも悪くもなる為、まるで針の穴に糸を通し続ける様な作業だ。
人によっては気が狂いそうになるだろう。
でも、オレはこの作業が結構好きかもしれない。
人の言葉を切り取って作り変えられるなんて面白い。一度口から出た言葉を推敲できるなんて素敵だと思うのだ。
それに全く違和感なく、まるで最初からその流れで喋ったかの様に編集ができると、得も言われぬ達成感がある。ピタッと繋がった時の「これだ!」感はあまりに甘美でたまらない感覚だった。
「あれ? もうこんな時間か」
作業に没頭していたら、あっと言う間に深夜二時を越えていた。開始から三時間、一心不乱に編集作業をしていたようだ。
流石にちょっと休憩を取ろう。作業を保存し、来る前にコンビニで買っておいたコーヒーを片手にスタジオを出る。
ちょっと体を動かすつもりで階段を使って十三階へ向かう。十三階にはラウンジがあるのだ。鍵がかかっている時もあるが、この日は開いていた。
ラウンジにある机に座って一休みする。
正面の窓から隣のビルが見えた。この時間でも明かりがついている部屋があるのは、防犯の為か、それともあそこでも社畜の人が頑張っているのか。
猛烈に意識を集中していたせいか、一息ついたらすこし気が抜けてしまった。
ぼーっと窓の外を眺めながら、今後について考える。
「このまま順調に実力をつけていけば、自分がイメージするポジションにつけんのかな……」
美姫香から言われた事はかかさず実践している。
今だって声優系のラジオ番組を十五本はチェックして研究しているし、まののん狙いでやって来たなんて誰にも言っていないし、ファン根性は捨てた(思うのは仕方ない!)し、必要ない事も言わない様にしている。
もちろん、何かチャンスがあればノータイムで返事をしているし、まののんをイメージさせる様な人と仕事したいとアピールもしている。
それらのおかげが、刻土さんから可愛がってもらえている(と思う)し、イベント手伝いの誘いもたくさん来る。だから、事務局からの評価も悪くないはずだ。
自分の実力は磨けているし、アピールもしっかりやれている。それは間違いない。間違いないが……これがそのまま仕事に繋がるのかどうかは分からない。
どうしても不安は付きまとってくる。
「でも、今はコレをやるしかないからな……」
机にべたーと顔をあずけ、今の自分が行ける先をイメージしていると――実践できていない項目が一つあるのに気づいた。
いや、やろうとは思っていたが、そのチャンスが全くないのである。
「プロデューサーの動向チェックだけ全然やれないんだよなぁ」
何度か栄化放送の十階でプロデューサーらしき人達を見たが、大抵は打ち合わせ中だったり、すぐに出かけて行ったりする。イベントの手伝いで姿を見かけても、本番日は忙しいに決まっているので、話しかけられるタイミングも会話できる時間もない。
美姫香との話でも出てきたが、プロデューサーの存在は重要だ。
プロデューサーは番組(仕事)の全責任者だ。もし売り込みするなら、プロデューサー相手にアピールをした方が効率いいに決まっている。
でも、その機会が訪れない無い。
ならどうすればいいのか。
「自分でどうにかチャンスを作るしかないよな……」
そう、どうにしかしてプロデューサーにオレを売り込む機会(チヤンス)を作ればいいのだ。今更だが自分で動くしかない。
まずは十階に行く機会があったら、必ずプロデューサーがいるか確認する。見かけたら、それが誰か、どの番組を担当しているか調べる。分からなければ刻土さんや、他のアカデミー生に聞く。そしてプロデューサーの特定が出来たら、番組の質やスタッフの座組から、どういう人材を求めているかのデータを集める。いや、それよりも直接お願い(特攻)してみるのは――さすがにこれは無茶だな。
オレはアカデミーの授業がある時は必ずポケットに忍ばせている、ある物の存在を確かめた。
このポケットに入っている物がオレが持つ唯一の武器だ。うまくこの武器を使って、プロデューサーに自分を売り込まなければならない。
「何とかして会わなきゃだよな」
オレは飲んでいたコーヒーをロングシュートでゴミ箱にお見舞いし、スタジオに戻って編集作業を続けた。
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