お姉様(転生者)が病んじゃいそうなので、妹(ヒロイン)の私はお姉様を守る護衛騎士になります

海の向こうからのエレジー

お姉様(転生者)が病んじゃいそうなので、妹(ヒロイン)の私はお姉様を守る護衛騎士になります

 お姉様は、私の憧れです。


 お母様が亡くなってから、下町で途方に暮れた私を見つけ出して、保護してくれました。領主の館にお姉様が私の部屋を秘密裏に用意してくれました。あのゲス野郎の父に見つけられそうになったときも、お姉様は身を挺して私を守ってくれました。


 後で知りましたが、私とお姉様は違う母から生まれました。愛人の子の私は、普通はこんなにも優しくしてもらうことがないと、メイドたちが教えてくれました。


 父が死んだあと、正統な後継者はお姉様だが、まだ未成年のためそのままヒィンデール伯爵になることができない。慣例に従い、お姉様が16歳になるまでは国が任命した後見人が領主の執務をするようになりました。しかしその後見人がヒィンデール伯爵家の地位と財産を狙って問題を起こしました。それも三回連続で。


 最初はあのゲス野郎の従兄弟。親族として継承権を持っているから、私たち姉妹を暗殺しようとした。次は王都からのエリート役人。伯爵家を乗っ取るつもりでお姉様を手籠にしようとした。三人目は後見人として実績豊富な引退した教育係。しかしあの人畜無害そうなおじいさん、実は教え子たちを薬漬けの傀儡にする常習犯だった。


 それらの悪意を、お姉様がことごとく粉砕して、この家を守りました。まるで敵の考えがお見通しのように先手を打ち、鮮やかな手並みで敵を自滅させました。すごすぎます。


 しかもお姉様は大胆にもこれ以上の後見人は不要だと王家に申し入れました。これだけ迷惑をかけたから王家も強く出れない。後見人たちの不祥事の隠蔽にお姉様が協力してくれる代わりに、異例としてまだ未成年のお姉様の領主継承が認められました。


 正式に領主になってからも、お姉様はその手腕を振るい、この二年間立派に領主の務めを果たしています。革新的な魔道具の開発、治水と農地改革、道路の整備と盗賊退治、衛生環境の改善、貴族とお金もちの横暴を抑止するための法整備……領民の生活が劇的に向上しました。お姉様の側近たちはあまり実感できていませんが、下町に住んでいた私にはよくわかります。お姉様がどれだけの偉業を成し遂げましたのかを。私と違い、最初から貴族として生まれたお姉様がどうして平民たちの暮らしにそこまで関心があるのか、とても不思議です。確かにお姉様に慈悲深いところがありますが、それだけでは説明がつきません。お姉様の側近もいい人たちだけど、同じ発想には至りませんでしたから。


 しかしお姉様がすごすぎるから、私はつい最近まで気づきませんでした。お姉様は無敵超人ではないということを。


 そう。お姉様も人なんです。誰よりも優れていますが、私たちと同じように迷うし、悩むし、苦手なことだってあります。


 私が思うに、お姉様の最大の弱点はきっと、優しすぎるところなんです。特に人が死ぬところを見るのが非常に嫌いのようです。しかし領主の責任として罪人の処刑を見届けなければなりません。終わったあとお姉様はいつも気分が悪くなってしまいます。


 だから先日の一件で、お姉様の心がとても深く傷つけられました。


 護衛騎士の中に他領の貴族とつながる内通者がいた。お姉様を誘拐しようと画策した。それ自体は問題になりませんでした。いつものようにお姉様が敵の企みを察知して完璧に防ぎましたから。しかし捕縛した裏切り者が誰なのかを知ったとき、お姉様はあまりのショックで気絶してしまいました。


 お姉様に最も近いところに、違う役割の三人がいます。


 お姉様の家族の最後の一人、異母妹である私、カルメア・ヒィンデール。


 お姉様が最も信頼している、お姉様の乳母でもあった、筆頭侍女のメリアンさん。


 お姉様が一番気軽に接する、幼なじみで護衛騎士のアースミタ。


 あろうことか、そのアースミタがお姉様を裏切った。


 後で聞きましたが、内通者たちの手引きによって家族を人質に取られたから、アースミタは陰謀に加担した。仕方ないことだとお姉様は悲しそうに言いましたが、私は彼女を絶対に許さない。お姉様に忠誠を誓う彼女が家族を選んだ結果で、お姉様がどれだけ苦しんでいるかを教えてやりたかった。


 私が危惧した通り、アースミタの処刑以降、お姉様の様子が明らかにおかしくなりました。


 あの日からお姉様は食欲がなく、食べてもすぐに吐き出す。いつもは嗜む程度しか飲まないが、今はアルコールを頼らないと眠れなくなった。酔いが覚めると夜中にうなされ、急に起きて泣きわめいて、そしてまた吐く。


 このままではお姉様の心が壊れちゃう。体も持たない。メリアンさんと館のみんなが色々頑張っているが、根本的な解決には至りません。


 今まで私はずっとお姉様に守られてきました。今回は私がお姉様を助ける番です。お姉様のために私がなんとかしなければなりません。私は、自分になにかできるかを考えてみました。


 今のお姉様にとって一番の問題は、やっぱり護衛騎士のことだと思います。


 まずは人員不足。裏切り者三人を処分したから、今は六人しかいません。領主の館の警護には、最低でも八人、できれば十人はほしいと聞きました。


 それにお姉様と護衛騎士の間に距離が空いた。残った騎士たちは徹底的に身辺調査して、信用できるとわかったが、今のお姉様の感情的にどうしても信じ切ることができない。あんな事件の直後だから、騎士たちも仕方ないことだとわかっているが、信じてもらえないのは当然気分のいい話ではない。こんな状態がずっと続くのは絶対良くないです。


 この状況を改善するために、自分にできることを一つ思いつきました。お姉様の護衛騎士が足りない。そして絶対的な信頼関係を築いた護衛騎士は一人もいない。それなら、私がその絶対的な忠誠を誓う護衛騎士になればいいではありませんか?


 領主の執務室にやってきました。仕事に集中して嫌なことを忘れるのが、今のお姉様が一番穏やかな気分でいられる時間です。だから私はこの時間でお願いに来ました。


 お姉様は派手の装いが好みじゃありません。今日もおとなしいデザインの紺色のドレスを着ています。私が入室したことに気づくと、書類仕事をするときだけつけるメガネを外して、微笑みを浮かべます。私の前ではなんともないように振る舞おうとしているけど、今のお姉様は病的に痩せているし、顔色も非常に悪いです。そんな痛々しい姿が見ていられません。


「どうしたの?カルメア」


「お姉様にお願いしたいことがあります」


 今ここにいるのは私たち姉妹と、メリアンさんだけ。人払いしなくても大丈夫そうです。私の願い事自体は他の人に聞かれても問題ないと思いますが、話が進むとお姉様の秘密に触れる可能性が高いから、用心は必要です。


「私を、お姉様の護衛騎士に任命していただけないでしょうか」


「はぁ?……えっ?こんな展開、知らない……」


 びっくりするお姉様が小さくつぶやく。


「フレメーリ様。今の反応を見ると、カルメア様の仰ったことは初めて知ったみたいですが、どうなんでしょう?」


 メリアンさんのこの聞き方は、私たち姉妹にしか通じません。私がお姉様にこの話をしたことがあるか、を聞きたいわけではありません。今のは、お姉様がかつて見た未来の予想の中に、私が騎士になる可能性があるかないかを聞いています。


「うん。カルメアが騎士になりたいなんて、私はまったく知らなかったよ」


「お姉様。私は別に騎士になりたいわけではありません。今のお姉様のために、私になにかできるかを考えた結果、護衛騎士になるのが一番という結論に至りました」


「そうなの?確かに今は護衛騎士が不足しているけど、もうすぐ増員が来る手筈よ。カルメアが無理しなくても大丈夫。学園に向けての勉強が大変でしょう?」


 お姉様にとって、私が王都魔法学園に入学するのは非常に大事なことみたいです。私が無事入学できたらようやく肩の荷が下りるとか、私が学園に入らないとなにも始まらないとか、なぜかそれを一つ重大な節目だと捉えています。


「魔法学園……本当にそこまで重要なんでしょうか。王国の貴族として最低でも一つの学科の卒業資格が必要なのは知っていますが、学園に行くこと自体にどんな意味があるかはよくわかりません。私は、卒業資格さえ貰えれば問題ないと考えています。今のお姉様と同じように」


 そう、お姉様は領主だから、学園に通う暇なんてありません。冬の社交シーズンで王都に滞在する間だけ、統治学科の個人補講を受けます。二年後の最終試験をクリアできれば特例として卒業を認められるみたいです。


「……私は、他に選択肢がないからこうなってしまっただけ。学園はきっと楽しいよ。カルメアならいっぱい友達ができるし、素敵な出会いもあると思う。カルメアはまだ若いのに、結果ばかり見るのはいい傾向とは思えないわ」


「お姉様が学園に通っていないのに、そんなこと言っても説得力ありませんよ……」


 いくらお姉様が学園の素晴らしさを力説しても、あまり興味がわかない。私にとって大事なのはお姉様なんですから。


「まぁ学園のこと今はいいか。どうして護衛騎士なの?カルメアは他にやりたいことがないのかしら?」


「私は、お姉様の力になりたいです。今は他のことなんて考えられません」


「しかし、護衛騎士になると仕事が大変なのよ?まず戦えるように剣の稽古しないといけない。勤務時間が長いのもつらい。好きなことをする余裕がないかもしれないよ?」


「覚悟しております。護衛騎士になるためならどんな困難でも乗り越えてみせます」


「………………はぁ、密室アイソレート


 お姉様が防音の魔法をかけました。これから話すことは部屋の外に漏れることがありません。


「わかったわ。この際だから言うね。カルメアには、尋常じゃない魔法の才能があります。魔力量は王宮魔術師の七倍くらいある。しかもすべての属性が使える」


「ほ、本当なんですか!?私が……」


「全属性って、先代の大聖女以来ではありませんか!?」


「これも私が異界の英知を覗き見して判明したことだから、間違いないよ」


 『異界の英知』。それこそがお姉様の強さの秘密。誰も知らない世界の法則とか、国の重要人物の秘密情報とか、未来の可能性の一部まで、お姉様は昔それを偶然覗き見したことがあると言います。メリアンさんと私にその知識の存在を教えてもらいましたが、私たちが把握しているのはごく一部だけです。お姉様によると、知識の量が多すぎるから全部教えるのに無理があるし、一部の知識は今知っても意味がないし逆に有害かもしれません。だからお姉様は必要なときが来たら私たちに必要な情報だけを教えると決めました。


「カルメアが12歳になって、魔力測定を受けると大騒ぎになるでしょう。上から圧力がかかったり、行動の制限をかけられたり、自由に動けなくなる可能性が高い。だから私は、それまでカルメアは好きなことを好きなだけやればいいと思うわ」


「……では、私はお姉様の護衛騎士になりたいので、ぜひやらせてください」


「カルメア……」


「お姉様が私のことをちゃんと考えてくれるのはよくわかりました。とてもありがたく思いますが、私の意思は変わりません」


 決意が固い私を、お姉様が困ったような顔を見せて、どうすればいいかを考えています。


「……わたくしは、カルメア様が護衛騎士になるのはいい考えではないかと存じます」


「えっ?メリアンさんまで?どうして?」


「今のフレメーリ様には必要だと考えていますから」


 私とお姉様のやり取りを静観していたメリアンさんが後押ししてくれました。メリアンさんならきっと私の主張に賛同してくれると信じていました。今のお姉様がどれくらい危なっかしく見えるのか、筆頭侍女のメリアンさんが一番よくわかっていますから。


「……そうか。私、そんなにひどい状態なのね……」


 お姉様は私たちに心配させたくないから平気のように振る舞っているが、そんなにやつれると気づかないはずがありません。


「私は、お姉様に恩返ししたいです。お姉様が私を引き取ってくれなかったら、もうどこかで野垂れ死にしたかもしれません。お姉様は自分のことも大変なのに、異母妹の私を見捨てるどころか、こんなにも良くしてくれました。私はずっと感謝しています」


「そんな事、気にしなくてもいいのに……」


「お姉様はわかっていないのです!お姉様に助けてもらったのは私だけではありません。お姉様はこのヒィンデール領になくてはならない人なんです!どうして自分のことをもっと大切にしてくれないのですか!私はまだ子供で、大したことができないのはわかっていますが、最近のお姉様を見ると私、本当に怖いです。このままでは、恩を返す機会もなくお姉様を失うことになりそうです……」


「大げさなのよ……ちょっとつらいことがあって、最近は調子が出ないけど……」


 私とメリアンさんの呆れた顔を見ると、お姉様はそれ以上説得力がない言葉を並べるのをやめました。お姉様だって本当はわかっているはず。自分が今そんなこと言える状態ではありません。


「……しかし、本当にいいの?カルメアの場合、今から騎士の訓練をしても、最終的には無駄になるかもしれないよ。魔力測定の後は多分本格的に魔法のスキルを伸ばさないといけないから、今は普通の勉強だけにしたほうがいいと思うわ」


「でも、考え方を変えてみると、騎士が魔法も得意のは別に問題ありませんよね。剣と魔法両方ともできるなんて、もう最強ではありませんか」


「最強って、我が妹はいったいどこへ向かおうとしてるの……?」


 私の冗談に、お姉様とメリアンさんが苦笑します。苦笑だけど、心から楽しく笑うお姉様は久しぶりに見たような気がします。これでお姉様の気持ちが少しでも軽くなるなら、私はいくらでも冗談を言ってあげます。


「わかったわ。カルメアが私の護衛騎士になるのを認めてもいい。でも条件があります。まず一つ目。今のカルメアに正規の護衛として働くのはまだ早い。まずは護衛見習いからだね」


「え?見習い、ですか」


「カルメア様の歳を考えると、そのほうが妥当ですね」


 うう、メリアンさんがお姉様の考えに同調しました。これでは確定事項になってしまいます。


「わかりました。見習いから始めるのに異存がありません。でも私はいつになったら正規の騎士になれるのでしょうか?」


「んー、せっかくだし、カルメアには騎士学科の卒業資格をとって、本物の『護衛騎士』になってもらおうかな。それまでは見習いということで」


 えええ?それじゃ私、これから六年間ずっと見習いのままではありませんか?


「どうして、ここで卒業資格の話が出てくるのですか?」


「カルメアはあまり興味がないみたいけど、実は学園の卒業資格はカルメアが思うよりずっと大事なものなのよ。さてここで問題です。現在このヒィンデール伯爵の館に、『護衛騎士』は何人いるのでしょうか?」


「えっ?六人、ではありませんか?」


「はい不正解。答えは、二人です。さっきの騎士の資格の話は、ここにつながるわけですね」


 お姉様がわかりやすく解説してくれました。本来『護衛騎士』は王都魔法学園の騎士学科の卒業資格を持つ者しかなれません。しかし貴族の護衛の需要に供給が追いつかないから、今はどこでも欠員を埋めるために資格がない人を別の名目で雇い、護衛騎士と同じ仕事をさせます。主に引退した冒険者と傭兵から信頼できる人を選ぶ。腕が立つなら荒事に経験がない平民でもいい。それくらい護衛騎士が不足しているですから。


 本物の『護衛騎士』と、騎士じゃないけど護衛仕事をしている人との扱いにどんな違いがあるかは、それぞれの領地によって変わります。お姉様が治めるこのヒィンデール領では、両者の間に差別はしない方針です。でも騎士の資格を持つ人だけにできる、日常的じゃない仕事があります。他の領地に入るとき関所の検査の簡略化、王家の公式の式典での護衛など……そこは仕事上の能力の一つとして扱い、ちょっとだけ給料を上乗せします。


 私の想像以上に、護衛騎士になるハードルが高いです。まず魔法学園に入学するには、貴族籍が必要……あれ?


「お姉様。それでは、あのテルマさんも、本当は護衛騎士じゃないのですね?」


「そうそう。あのテルマさんでも、公式では護衛騎士じゃないの。彼女の表向きの職業は、妃殿下の上級侍女のはず。まぁテルマさんにはもっとすごい、『元Sランク冒険者』の肩書があるから、騎士の称号なんていらないと思うけどね」


 テルマさんは王太子妃殿下の護衛騎士。いや、今のお姉様の話では本当は騎士と呼んではいけませんね。この前までテルマさんは妃殿下の命令でお姉様の護衛をしていましたが、子供を産むために今は王都に帰還しています。一度だけテルマさんが訓練するときの様子を見たことがあります。お姉様の護衛騎士たちが手も足も出ない。格が違うのは素人の私でもわかります。元Sランク冒険者やっぱりすごいなぁと思いました。


 ……あの事件が起きたとき、もしテルマさんがいれば、アースミタの家族も一瞬で助け出して、お姉様の心が傷つけられるようなこともなかったかもしれません……いや、逆ですね。敵は内通者を通してこちらの状況をある程度把握していたから、テルマさんがいない隙を狙って仕掛けてきたのに違いありません。


「二つ目の条件はね、騎士になることばかり考えるのはダメ。これまでの令嬢の教育と、学園に向けての勉強も疎かにしてはいけない。カルメアは領主の一族だから、自分の身分にふさわしい人間になるのも大事な仕事よ」


「えっ?さっきお姉様も仰っいましたが、護衛騎士には剣の稽古があるし、勤務時間も長いですし……その上今まで通りの勉強を、ですか」


「……フレメーリ様、それはカルメア様にとっていささか負担が重すぎるのではないかと存じます」


「大変なのはわかるけど、そこは譲ってはいけないの。それとも、カルメアは勉強から逃げるために、護衛騎士になりたいと言い出したの?」


「いいえ、決してそのようなことはありません」


「なら問題ないよね。護衛騎士見習いの仕事と貴族令嬢の勉強、ちゃんと両立できるようにやって見せなさい」


「わ、わかりました」


 うっ、なんかいいように言いくるめられたような気が……でも勉強は昔から得意だし、頑張れば多分なんとかなると思います。


「あとは最後の条件ね。もしカルメアに他にやりたいことが見つかったり、勉強しながら働くのが大変だと思ったり、もしくは護衛騎士の仕事が自分に合わないと思ったりすると、いつでもやめていいから。無理してまでやるようなことじゃない。カルメアが進みたい道に行けるように、私が応援するから」


「お姉様――」


「正直私は、カルメアが護衛騎士になりたいなんて、一時の気の迷いだと思う」


「気の迷いなんかじゃありません。本気なんです」


「本気なら最後まで貫けばいいだけ。この条件を呑んでも別に問題はないわよ」


 もしかして、お姉様はあえて私に諦めるという選択肢を提示することで、私の覚悟を試すつもりじゃないかな。どのみち、お姉様の言う通り、この条件を受け入れても、続けるかやめるかは私自身で決めることです。


「……それもそうですね。選択肢なんて不要だと思いましたが、お姉様のせっかくの厚意に甘えさせていただきます」


「そうそう。お姉ちゃんにいっぱい甘えていいからね。最近のカルメアが根詰めすぎてちょっと心配しちゃうくらいよ」


 お姉様の気持ちはすごく嬉しいですが、私は早くお姉様を支えることができるようにならないといけません。それに、今はお姉様のほうがよほどみんなを心配させていますよ。


「私が護衛騎士になることを認めてくれてありがとうございます。後はこの書類なんですが、お姉様には読んだ後サインしていただきたいです」


 私は一枚の魔法の紙をお姉様に渡します。これはきっとお姉様の不安を取り除く最強の武器です。しかし私の将来と深く関係するモノでもあるから、深呼吸して改めて覚悟を決めないとこれを出すこともできません。


「ナニ、コレ……」


 氷のような冷たい声。お姉様が本気で不愉快なときだけこんな怖い声を出す。


 魔法の紙の上にこう書かれています。『私、ヒィンデール家の次女カルメアは、長女にして当主たるフレメーリに絶対的忠誠を誓う。いかなる時もフレメーリのことを最優先に考え、フレメーリを決して裏切らない。この誓いを破るとカルメアは自分の命を代償として差し出す』。一番下にすでに私の署名があります。後はお姉様が自分の意志でサインすれば魔法の契約として成立します。


 この契約には一つ大事なところがあります。『絶対的服従』ではなく、『絶対的忠誠』。私はもうお姉様が完璧超人ではないのを知っています。お姉様の指示に疑問を感じるとき、その指示が本当にお姉様のためになるか、私はちゃんと自分で考えないといけません。そしてその指示がやっぱり正しくないと思ったら、お姉様に進言しないといけません。お姉様も人なんです。間違った決断をするときもあります。今ではお姉様の間違いを正すことができるのはメリアンさん一人だけ。私もそんな人間になりたいです。


 お姉様は震える手で、魔法の紙をぐしゃぐしゃにします。


「お、お姉様!どうして?私が作成した契約に、不備なところがあるのでしょうか」


 お姉様に散々魔法の契約の危険性を聞かされて、扱いには慎重にと教そわれました。この契約を作成したときも何度もチェックしましたが……


 契約書を破ったお姉様が冷たく答えます。


「不備なんてないよ。この発想自体がいけないのです。点火キンドル


 破っただけでは気が済まない、お姉様は魔法を使って紙くずを燃やしました。まるでこの契約書がかけらでも残るのが許せないように。


「しかし、魔法の契約で私を縛らないと、お姉様にとって完全に信頼できる護衛騎士にはならないじゃないかと――」


「そんな必要はないから!」


「カルメア様、そんな強制しなくても、フレメーリ様はカルメア様のことを十分信頼していると言っていますから――」


「でも、ある意味ではお姉様が一番警戒しないといけないのは、異母妹の私なんじゃないかと思います……」


 お姉様の後見人だった、父の従兄弟と同じ、私もお姉様を暗殺すれば簡単に伯爵位を継ぐことができる。もちろん私にそんなつもりは微塵もないが、異母兄弟の間ではよくあることだと聞いています。そんな危険人物を護衛騎士にするなんて普通ありえません。魔法の契約などで処置しない限り。


 お姉様がとても悲しそうな顔を見せる。きっと、私が言いたいことを理解しましたから。


「……そう。そこまで心配させているのね。本当にダメな姉だね、私……」


「お姉様がダメだなんてとんでもないです。今はちょっと心が弱くなっているだけなんです。それでも最高の姉なんです」


「そんなところがダメなのよ……ねぇ、カルメア、こっちにおいて」


 私が言う通りに近づくと、お姉様は私を抱き寄せます。私はお姉様の膝の上に座るのがちょっと怖いです。今のお姉様は痩せすぎて、不用意に触れると怪我させてしまいそうです。


「私、ずっと自分のことしか考えていなかったのね。どうして私がこんな目に遭わなきゃならないのとか、事件の前に巻き戻してやり直せるならどんなにいいのかとか……そんなくだらないことばかり考えてた。あなたたちがどんな気持ちでこんな私を見ていたか、考える余裕もなかったよ」


 優しく私の頭を撫でるお姉様に、私は自分の考えをまとめ、懸命に言葉を紡いて応えます。


「……お姉様は、何でも自分一人で解決しようとする、悪い癖がありますから。多分、『異界の英知』のことがあるから、みんなには秘密にしないといけないし、自分でやったほうが早いと考えているじゃないかな。でも『異界の英知』に頼りすぎると、逆に視野が狭くなるときもあると思います。これからは、もっとみんなと相談してもいいと思います」


「ええ、そうするわ。それにしても、カルメアは本当に賢いね。お姉ちゃんのことをここまで理解しているとは思わなかったよ」


 私がずっとお姉様のことを見てきたからこそ、お姉様のこんな意外な欠点に気づきました。お姉様のそれは、おそらく能力が高すぎる人特有の悩み。見ているものが凡人と違うから、周りのみんなはすぐに置き去りにされます。お姉様のペースについていけるようになるためにも、私はもっと力をつけないといけません。


「私はまだまだ未熟ですが、これからも勉強をいっぱい頑張って、お姉様の役に立ちたいです」


「カルメアならきっとできるわ。私が保証します」


 伝えたいことがやっとお姉様の心に届いたような気がして、私はホッとしました。視界の隅に、メリアンさんがハンカチを取り出して無言で涙を拭くのを見ました。


「でも、さっきみたいな無茶な魔法契約はもうしないようにね。魔法の契約なんてできれば一生関わらないほうが一番。これは経験者としての忠告よ。特に今回カルメアが作ったやつ。あれは絶対にダメ。カルメアがどういうつもりであんなものを作ったのはなんとなくわかるけど、余計な気遣いはしなくていいわ。これは私が自分で乗り越えないといけないことだから」


 社会の勉強でお姉様が教えてくれました。この国が長い間安定を保ってきた原因の一つは、国王と貴族領主がお互いの義務をはっきりさせる魔法の封建契約を交わす、という独自の統治体制のお陰です。領主が国を裏切らないと保証する代わりに、国王が領主を不当に扱うようなことはしないと誓う。お姉様が正式に領主になるときもそんな契約を結びました。契約自体に問題はないが、精神が強引に干渉されるのは非常に気持ち悪いので、できるならもう二度と魔法の契約をしたくないとお姉様が言いました。


「はい、わかりました」


 そっか。お姉様は魔法の契約なんてもう嫌だと言ったのに、私がしようと言い出したのがいけませんでしたね。お姉様が怒るのも当然です。お姉様の足手まといになりたくないから、こんな考えなしのことをしないように気をつけましょう。


 予想以上に長い時間話し込みました。お姉様の護衛見習いになる許しは得ましたし、私はもう一つの要望を切り出します。


「護衛見習いになったばかりですが、今夜からお姉様の就寝中の警備は私にまかせていただけないでしょうか」


 わがままを言いたくありませんが……館のみんなの話によると、最近のお姉様は寝付きが非常に悪い。睡眠の質が改善するだけでも大きく変わると思います。護衛の立場を利用してお姉様が寝るときの様子を見て、なにかできることがないかを探ってみたいです。


「何を言ってるの?カルメアは見習いでしょう?不寝番をやらせるわけないじゃない」


「え?それも護衛の大切な仕事ではありませんか」


「そんなの大人がやることだから。子供は無理してはダメ」


「でも――」


「とにかくうちでは未成年は不寝番しないから。成長期は規律正しい生活が大事なの。カルメアが護衛見習いになっても、今まで通り毎日早寝早起きするようにしなさい」


 そういえば、アースミタも未成年だから不寝番を免除されて、贔屓だと陰口を叩かれたことがあったような気がします。あれは贔屓ではなく、お姉様が定めた規則なんですね。


「でも、お姉様だって未成年ではありませんか。あんなに大変な領主仕事をして、いつも私と同じ夜早く就寝するのですか?」


「もちろんよ。仕事がどんなに忙しくても、徹夜だけはしないと決めたわ。ぜんせ、コホンっ……徹夜なんて異界の英知を覗き見してた頃に散々したから、もうこりごりだよ。成人しても私はそこを変えるつもりはないわ。仕事のために睡眠時間を削るなんて、正気じゃないよ」


「そ、そうなのですか?」


 疑わしく思う私の視線に、メリアンさんが小さく頷きました。てっきり私が見ていないところでお姉様がいっぱい働いていると思いましたが、そんなことはないみたいです。常人と変わらない仕事時間でこれだけの偉業を成し遂げたとは、改めてお姉様のすごさを思い知りました。


「……わたくしの考えですが、おそらくカルメア様は、フレメーリ様の睡眠の質が落ちていることが気になるから、護衛するのを口実にフレメーリ様を見守りたいではないかと存じます」


「うっ、確かにこの頃寝付きが良くなくて……みんなには心配をかけて、悪いと思う」


「わたくしからの提案がございます。これからは、カルメア様がフレメーリ様の部屋で就寝するのはいかがでしょうか」


 さすがはメリアンさん。一緒の部屋で寝れば、徹夜しなくてもお姉様になにか異変があったらすぐに気づきますね。


「んー、お泊まり会みたいな感じかな。じゃそうしようか。でもちゃんと寝るのよ。寝ないでずっと私を見張るのはなし」


「わかりました」


「では、早速カルメア様のベッドをフレメーリ様の部屋に移動させるように手配します」


「えっ、私の部屋のスペースが狭くなるのは、ちょっと……」


「フレメーリ様の部屋にもう一つベッドを入れても十分広いではないかと存じます。どうしても狭いと感じるなら、研究用の机を他の部屋に配置したほうがいいでしょう」


「前も言いましたけど、あれはいつでも使えるようにしたいからあそこに置いているの。んー、私のベッドは大きいから、もう二人が同じベッドでもいいじゃない?」


「私はそれで構いません。一番近いところでお姉様をお守りします」


「……さすがに、お二人が同じベッドで休みになられるのは、貴族令嬢としてどうかと……でもフレメーリ様の心の安らぎを取り戻すには、それが一番の近道かもしれません……」


 難色を示したメリアンさんも、最終的に同意しました。


 自室に戻って、お姉様の部屋に泊まる用意をしようと思ったら、ドアをノックする音がします。


「カルメア様、少しお時間を頂いてもよろしいでしょうか」


 メリアンさんが準備の手伝いをしに来ました。でも本当は私に話したいことがあるみたいです。


「フレメーリ様のことに気をかけて、ありがとうございます」


「感謝する必要がありません。妹として当然なことをしただけですから」


「いいえ。フレメーリ様の心の痛みを和らぐようにわたくしどもが手を尽くしているのですが、結果が芳しくありません。カルメア様の心遣い、本当に助かりました」


 そうだ。珍しくメリアンさんと二人きりになったし、前から気になっていたことを聞いてみましょう。


「あの、メリアンさん……私、ずっと気になっていたのですが、お姉様の周りにどうしてこんなにも厄介事ばかり起きるのでしょうか?貴族の家の当主なら、それが普通なんでしょうか?」


「……普通ではありません。どう考えても異常です」


「それなら、どうしてお姉様だけ何度もトラブルに巻き込まれるのですか?未成年の女性が領主になったから、特に狙われやすいとお姉様が言いましたが――」


「それはわたくしのほうが聞きたいです!どうしていつもあの子ばかりが大変な目に遭わなきゃならないのですか!生まれてきてから父に虐待されて、助けに来るはずの後見人がみんなまともじゃないし、王都に行くだけなのに道中で三回も命の危機……今回とうとうあの子の一番の親友まで奪われました……あの子の苦難がいつ終わるのですか?あの子のことが、本当に不憫でなりません……」


 メリアンさんがこんな風に感情をむき出しにするのは、初めて見たような気がします。


「わたくしが一番納得できないのは、あの子がまるでそれが当たり前のように、自分の運命を受け入れているところです。『異界の英知』である程度の未来予想ができたとしても、普通はあんな簡単に割り切れることではありません。あの子が初めて父に殴られたときでも、なんの疑問も持たずに冷静に受け止めました。反応がなさすぎて逆に父の虐待をエスカレートさせたのがわかったら、今度は痛がるフリをするようになりました……あの子は年齢不相応に賢いから、何でも自分で解決しようとしました。わたくしたち大人がなにもしてやれなかったから、あの子をあんな風にしてしまいました……」


「私も、同じなんです。いつも、お姉様に守られてばかり……」


 メリアンさんの無力感と悔しさを私も痛感します。私が館に住むようになってから、あのゲス野郎に見つけられそうなとき、いつもお姉様が先回りしてわざとあの男を怒らせました。「危険だから絶対に出てこないように」と、お姉様にそう言いつけられた私は部屋の中で震えて、なにもできませんでした。


「……一体いつになったら、あの子が幸せになれますか?」


 静かに涙を流してるメリアンさんの疑問に、私に正解がわからないが、どう答えればいいのかがわかります。


「運命がいつお姉様を解放してくれるかはわかりません。でも私たちは一日も早くそうなるように頑張ることができます」


 私は、もう無力だった私ではありません。今日から護衛騎士見習いとして、お姉様を守りますから。


「……そ、そうですね……その、取り乱して、申し訳ございません」


「大丈夫です。メリアンさんの気持ちは痛いほどわかりますから。立場と身分の違いはあれど、私たちはお姉様の支えになりたい仲間なんです。これからもお姉様のことをよろしくお願いします」


「ええ、もちろんです」


 夕食のとき、お姉様は何度も吐きそうになったけど、なんとか踏みとどまりました。これまでのことを考えると、大きな進歩と言えます。最近ずっと睡眠不足だからか、ベッドに入るとお姉様は早速寝息を立てています。もう少しだけお姉様の様子を観察しよう、と思ったら、いきなり私のほうに寝転がってそのまま抱きつきます。


 南海岸にあるヒィンデール領の夏は蒸し暑いです。特に熱帯夜がきつい。お姉様に抱き締められるのは正直……暑苦しいです。でもこれでお姉様が安心して眠れるなら、いくらでも耐えてみせます。


 私が見習い護衛の仕事を始めてから、お姉様はすぐに元通りにはなりませんが、少しずつ回復に向かっています。とても喜ばしいことです。やっぱり私の決断は正しいです。


 一ヶ月後、お姉様は私と騎士たちの様子が気になって、訓練場に来ました。私たちの訓練を見ると、お姉様の笑顔がひきつる。


「……さ、さすがはヒロイン。剣の才能も規格外なのね……」


 見習いの私を除外して、護衛騎士は増員の新人二人含めて八人。今はその全員でかかって来ても私に勝てなくなりました。剣の稽古をはじめてからまだ一ヶ月しか経っていません。昔から要領がよく学習が早いだと自負しているが、さすがに今回は自分のことがちょっと怖くなりました。


――――――――――――――

(フレメーリSIDE)


 気がついたら、私は乙女ゲームのヒロインの姉に転生した。


 フレメーリはヒロインの姉。シナリオ上のサポートキャラでもある。自分は未成年で領主になったから学園に通えなかったことが悔しくて、ヒロインにはぜひ青春を謳歌してもらいたいと思ってる。フレメーリがどんな風にサポートするかと言うと、大体はシナリオの終盤で、ヒロインと攻略対象だけではどうにもならない問題が残ってる場合、姉のフレメーリが出てきて領主パワーでぱぱっと解決。そんなデウス・エクス・マキナ的な役割のキャラ。大半のルートはフレメーリの助力がないとハッピーエンドにならない。それが彼女がサブキャラの中でダントツの人気を得た理由かもしれない。


 どれくらい人気があるかと言うと、そんなフレメーリの過去をフォーカスする、『新米領主フレメーリの奮闘記』というタイトルでスピンオフのゲームまで発売された。どうして異母妹のヒロインにそこまで親切なのか、どうしてあんな年で領主になったのか……このスピンオフ作品で、ファンがずっと気になっていたことが明らかになる。


 『新米領主フレメーリの奮闘記』がどんなゲームなのかを一言でいうと、死に戻りゲーム。とにかくフレメーリは大変な目に遭う。ヒロインが王都魔法学園に入学する、つまり乙女ゲーム本編開始のところが最終目標。それまで受難が終わらない。最序盤はゲス野郎の父による虐待。父が死んだら、伯爵家を我が物にしようとするろくでなしの後見人たちが来る。正式に領主になってからは他領の貴族の嫉妬と暗躍。領地の経済復興のために南海岸を荒らす海賊を退治。王国の裏で一大勢力を築いた麻薬組織との因縁の対決。独断で局地戦を仕掛けてくる帝国の野心家もいるし。しまいには自然災害と謎の疫病……


 数々の苦難に抗うフレメーリの心の支えになってくれたのは、最後の家族である妹。二人は異母姉妹だから最初の関係はぎこちなかった。しかしフレメーリの心が折れそうになるたび、いつも妹のことを思い出して、あの子を守るために頑張らなきゃと気を引き締める。まだ幼いヒロインも健気に姉の力になりたいと願い、下町の孤児から貴族令嬢に立派に成長し、最後は聖女の力が覚醒して姉の危機を救う……大体こんな感じのシナリオ。本編ゲームとの関係性が良くできていて、シナリオが感動的な、全体的に高評価のスピンオフ作品となっている。ゲームシステムがあまりにも意地悪、という評価もあったが。


 フレメーリに転生したのがわかったとき、私は落胆した。フレメーリは好きなキャラだけど、自分でその役をやるのは絶対にごめんよ。何が悲しくて、次々とやってくる試練を乗り越えなきゃならないのよ。DV男の暴力に耐えて、後見人三連星の企みを退け、その上領主の重責に押し潰されないように頑張らなきゃならない……やってられるか。転生するなら、華々しい学園生活を堪能するヒロインのほうが良かったのに……


 はぁ……グズグズ言っても、フレメーリとして生まれ変わったことは変わらない。ポジティブに考えよう。原作通りなら、フレメーリに魔法の才能があまりないけど……前世で読んだ異世界作品のように、この世界の魔法を地球の知識で魔改造できるかな。できたらきっと面白そうなこといっぱいできるね。領主の仕事は責任重大だけど、考え方を変えると、自分の領地を好きなようにできる権力があるってことね。私、シム的なゲームも好きだから。ヒィンデール領の経営をどんな方針で進めるか、妄想するだけでちょっと楽しくなってきた。そうだ、一番大事なこと忘れた。かわいい妹がいるじゃない。フレメーリはヒロインの親代わりでもあるから、育成ゲーム的なこともできるね。しかもヒロインが学園に入るとそのまま乙女ゲーム本編が始まるじゃん。つまり私は特等席でゲームの実写版再現を見れる……!ああ、この世界のヒロインはどのルートを選ぶのかな?フレメーリの立場なら、私の推しである王子のルートに入るように仕組むこともできる……いやいやいやさすがにマナー違反だよね。妹の恋路に過剰に干渉するのは良くない……


 ……よし。生き延びるため、そして二度目の人生を楽しく過ごすため、この鬼畜ゲームを攻略してやろうじゃないか。


 『新米領主フレメーリの奮闘記』は、彼女に襲いかかる数々の災難を一つ一つのステージにした形式で進行する。新しいステージに入ると初回は必ずゲームオーバーになる。プレイヤーにはまず一回バッドエンドを見せるように、正解の選択肢が出ない。だから死に戻りゲームなのだ。一周目はノーミスクリア不可能の仕様。ゲームオーバーの画面では、「このステージの最初からやり直し」を選択できる。そこからもう一度チャレンジして、正解ルートに入れればステージをクリアして、次のステージへ進む。


 もしかしたら、この世界もゲームのように、ゲームオーバーしたらステージの最初まで巻き戻せるかもしれない。もちろん私にそんなことを試す勇気がない。私がこれからやるのは、鬼畜難易度のゲームを二周目プレイしてノーミスクリアを狙うようなことだね。


 前向きになったのはいいけど、最初のステージからもう最悪。ステージ1、『ゲス野郎の父の魔の手』。ゲス野郎だとみんながそう呼んでるけど、フレメーリの父、先代ヒィンデール伯爵は初めからあんな最低男じゃない。最愛の妻を亡くしてから豹変した。まぁこれは本来の幼いフレメーリにはわからないはずのこと。私が知ってるのはゲームのおまけの設定資料を読んだから。ちなみにその妻の死因はフレメーリを産むときの難産。だから先代伯爵は娘のことが最初から気に入らない。ことあるごとに暴力を振るう。あいつは外でヒロインの母以外にも愛人を何人も作って、いずれは男子の世継ぎができたらフレメーリは用済みだと考えてるみたい。それまでフレメーリは一応跡取りだから、理性があるうち殴ってもやりすぎないように気をつけている。腹が立つが、鬱憤を溜め込ませて爆発より適当に発散させたほうがいい。だから私は下手に避けないようにした。殴られても、自分を治癒魔法の練習台にできるなんてラッキーだね、ということにした。最愛の妻を失ってアル中のDV野郎に成り下がった哀れな男、だと思えば多少溜飲が下がる。


 普段はそれで問題ないが、あのアル中が酔っ払うと手加減しなくなる場合がある。そうなると本当に危険だから隠れないとやばい。治癒魔法があっても、気絶させられたら自分を治すこともできない。そのまま一巻の終わり。ステージ1のゲームオーバーは、このパターンだけ。チュートリアルステージだからこの難易度が妥当、だと思うかもしれないが、実はここですでにあのゲス野郎の従兄弟との戦いが始まっている。父の死後あいつが後見人としてやって来るから、今のうち館を探索して、使用人たちを味方につけて、先に色々準備しないと間に合わない。つまりステージ1でいくつかのフラグを予め開放しておかないと、ステージ2で詰む。チュートリアルステージに遅延型ゲームオーバーが仕込まれている、という邪悪な仕様。本当このゲーム最初から最後まで意地悪だよね……


 父がアルコール中毒で急死して……ろくでなしの後見人たちを排除して……王都への道中のトラブルと陰謀を回避して……王家と交渉して本物の領主として認められて……ヒィンデール領でリアル街つくりシミュレーションゲームを堪能して……薬使いのじじいの仇討ちに来た変な奴らを捕まえて……帝国のいきりバカ皇子を返り討ちにして……こんな感じでステージを一つ一つ攻略していくうち、気づけばもうゲームの中盤のところまでたどり着いた。


 14歳の夏。捕虜にした帝国兵を王都へ移送して、やっと今回の小競り合いの事後処理が終わった。一息入れるところで、護衛騎士のテルマさんが産休をもらいたいと私に申し出た。私たちと一緒にヒィンデール領に帰還せず、彼女の本当の主である王太子妃のところで半年ほど世話になる予定。


 私はすぐに理解した。これから新しいステージに突入する。


 『護衛騎士の裏切り』。原作ゲームでは『ボンクラ皇子との初遭遇』の次のステージ。隣の領地のクレーメン侯爵が、護衛騎士の中の内通者を使ってフレメーリを誘拐しようと目論む。私を誘拐する目的がなんなのか、ゲームの中でも特に描写されていないが、どうせろくでもないことなんだろうね。


 テルマさんは元Sランク冒険者。『フェルミールの緋槍』の異名を持つ超凄腕。彼女は王太子妃の護衛騎士だが、妃殿下の命令で私のところに出向。私は王家に大きく貢献したがトラブルメーカーでもある。納得できないけどみんなは私が色々やらかしたと思ってるみたい。いやいやどう考えてもこの鬼畜ゲームのシナリオが悪いじゃん。私はただ破滅したくないからちょっと頑張っただけじゃない……まぁそんな背景だから、テルマさんはただの護衛じゃなく、他の貴族家への牽制、そして私のお目付け役の一面もある。


 誘拐犯から見ると、元Sランク冒険者とやり合うのは得策じゃない。政治面にも、王太子妃の息がかかっている人間と事を構えるのは危険すぎる。妃殿下は現状実質この国のナンバー2だから。テルマさんがいる間仕掛けてくる可能性はないだろう。つまり彼女がいないこの半年間が勝負どころ。いや、穴埋めに王太子妃が他の人を派遣する可能性を考慮すると、向こうは速戦即決したいに決まっている。おそらくこの夏で決着がつく。


 事前に色々準備してきたから、『護衛騎士の裏切り』のステージをクリアするのは、そんなに難しくないと思うけど……困ったことに、原作ゲームでは、フレメーリの護衛騎士に名前があるキャラがいない。全員モブ扱いなのだ。フレメーリの幼なじみのアースミタでも、元Sランク冒険者のテルマさんでも、ゲームの中に名前すら出ない。これでは内通者が誰なのかわからない。


 このステージに備え、ずっと前から内偵を進めていたが、しっぽをつかむことができなかった。これ以上やっても無駄だろうと、私は内通者を探し出すことを諦めた。リソースは防衛を固めるのに使おう。


 このステージを攻略する鍵は、絶対安全な場所を確保して、そこに立てこもること。色々チートな魔法を開発したけど、この貧弱なフレメーリボディの素のスペックが低いのは忘れちゃいけない。裏切り者が誰なのかわからないままでは、少しでも隙を見せると連れ去られる。だから私はセーフルームを用意した。地球の知識とチートな魔法を駆使して建造した、最高のセキュリティを誇る部屋……というよりもはやミニチュアな砦。イベントが始まると私はカルメアを連れてそこに引きこもる。メリアンさんに作戦を伝えているから私が身を隠していても適切に対応してくれる。もし不審な動きを見せる騎士がいたらとりあえず拘束する。同時に領兵を動員して東の山へ向かわせる。そこに誘拐犯のアジトがあるはず。地道に捜索すれば見つけられるだろう。領兵の招集に金と時間がかかるけど、指揮系統が別だから今回はそっちのほうが安心。


 今回の作戦はいつもと比べるとかなり杜撰なものになっている。敵の情報が足りないから完璧な対策が取れない。でも私はそんなに心配していない。だって今回は敵の勝ち筋を封殺できる。私たち姉妹が安全なところにいれば負けることがまずない。セーフルームに食料があるし水は私の魔法で賄える。最悪でも我慢比べで勝てる。それでも私の心がざわめくのはなぜなんだろう?敵の正体が見えないからかな?


 セーフルームの中で私はカルメアの勉強を見る。カルメアを不安にさせたくないから、気丈に振る舞うように心かける。でも私は裏切り者のことについて考えるのがやめられない。もしかして、酔っ払いの父に殴られて大怪我したとき、私を助けてくれたトニーさん?他の領地のことをよく話してくれる、旅人だったサクス?まさかと思うが、メリアンさんの一番上の息子のレーアムじゃないよね?


 裏切り者を捕まえて、アジトを強襲、クレーメン侯爵の私兵も全員捕縛した。もう安全だと判断した私はセーフルームから出た。被害状況の確認と事後処理をしないといけない。しかし現実は私の想像よりも最悪。捕縛した最後の一人を見ると私は意識を失った。


 私はアースミタが裏切るなんてまったく思わなかった。それでも一応の用心で、『異界の英知』――つまり私の前世の記憶のことは彼女に教えていない。護衛騎士裏切りのステージをクリアしたら教えようと思ったのに、もうそんな機会がない……彼女の墓の前で語るかと思ったが、裏切り者には墓を建てることさえ許されない……


 実を言うと、アースミタは私を裏切ったわけじゃない。事件の報告書をよく見るとはっきりと分かる。あれは、裏切りと見せかけた自殺。


 あの日の夕方に、アースミタは誘拐犯の一味がアジトとして使う洞窟に呼び出された。そこで彼女は自分の両親が遅効性の毒を飲まされたのを見た。私の想像だけど、おそらくあの時点でアースミタはもう絶望した。私の身柄を引き渡せば解毒してくれるなんて素直に信じるほど馬鹿じゃないから。だからアースミタの中では両親と心中することがもう決定事項になって、残るのは私への最後の奉公のみ。


 誘拐犯の言いなりになったように見せかけたアースミタは、まず計画外の行動をして内通者二名を炙り出した。そして絶妙なタイミングで足を引っ張ることによって、あの二人があっさりと捕まった。最後に黒幕がいるアジトに逃亡して、道案内までしてくれた。正直今回の事件がこんなにも早く解決できたのは私のゲーム知識による対策ではなく、アースミタ一人のお陰だった。


 裏切りによって護衛騎士の指揮系統が混乱したから、全てが終わった頃アースミタがもし全力で逃げ出せば、逃げ切ることもできるかもしれない。なのに彼女は投降した。裏切り者の汚名を着せられるのがわかってても、私に断罪されることを望んだ。私に言わせると、そんなのただの自己満足よ。私に対してどこまでも親切に、そしてどこまでも残酷……


 アースミタは昔からそんな子だった。父に疎まれ、館の中で私が孤立してた頃、庭師の娘であるアースミタだけが私のそばにいてくれた。真っ直ぐで明るい彼女は私と仲良くなったけど、それ以上に両親のことが大好き。私と親どちらにも尽くしたいから、結局自分のことを後回しして、いつも貧乏くじを引く。


 もし私と彼女の親が同時に川に落ちて片方しか助けられないなら、アースミタは迷うことなく親の方に向かう。その後私も助けないといけないから迷う暇なんてない。護衛騎士としてそれが正しくないと、メリアンさんが忠告してくれた。でも私は彼女の家族愛がとても美しく感じるからそれを壊すような真似をしたくない。メリアンさんの意見を退け、私は矯正しなくていいと言った。私と両親を天秤にかけることなんてそうそうないだろうと、あの頃の私がそう思った。


 ……私のせいだ。アースミタの護衛騎士としての心構えをきちんと改めたら、彼女の両親は助けられなくても、彼女が自殺を選ぶことがなかったかましれない。全ては私の甘さが招いた結果。


 アースミタは私の命令で誘拐犯に協力するフリをした、本当は今回の事件の功労者だった、ということにすれば彼女を救うこともできるだろう。でもアースミタはすべての罪を認めるように自供した。「本当のことを言って、それだけでいいから」と私が直に願っても、アースミタは頷けなかった。「ありがとう、そしてごめんね」としか言わなかった。彼女はもう、生きたくないから。私が差し伸ばした手を、握り返してくれなかった。


 本当は罪がない、ずっと支えてくれた幼なじみを、自分の命令で処刑したのよ?ゲームの中のフレメーリがどうして平気でいられたの?私には理解できないよ……前世の記憶がある私も、早熟のアースミタも周りからよく大人扱いされてるけど、本当は二人ともまだ14歳なのよ。14歳の子供にこんな過酷な運命を背負わせるなんて……私は、このゲームの開発者たちのことが憎い……


 ……処刑の日から、ずっとアースミタの生首が視界の中にあるような気がする。そこに意識するたびに吐き気がして、胃袋の中になにもなくなるまで吐く。酔いつぶれたら眠れるのに気づいたのはいいけど、夜中でいきなり起きることが多くなってる。そんなとき意識がはっきりとしないから自分が何をしたかはよくわからない。気がついたら頬に涙痕があるから、泣いていたことだけが確か。


 ……私は、もうダメかもしれない。このまま衰弱死するか、アルコール中毒で死ぬだろう。ははっ、まだ14歳なのにもうアルコール中毒とは、やはりフレメーリの体にあのゲス野郎の血が流れているね。さすがに死因まで同じのはいやだな。眠れないのは辛いけど酒は控えておこう……


 もしかして、これはゲームの中で語られなかったゲームオーバーのパターンの一つじゃないかな。私が死んだら、ゲームと同じように、誘拐事件の前に巻き戻してもらえるのかな?今度こそ、アースミタを死なせないようにクリアするから……


――――――――――――――


 いつもは面倒だと思う、領主の書類仕事だが、今はありがたく思う。少しでも気が紛れるから。


「フレメーリ様、こちらもお願い致します」


「ありが、っ……!」


 頭を上げると、一瞬意識を失ったような気がして、慌てて自分に魔法をかける。


気付けスティムレイト補給ニュートリファイ


 覚醒作用の化学物質と栄養剤を静脈に直接投与する魔法。水属性の魔法を魔改造して、長時間休む暇も食べる暇もないステージの攻略のために開発した私のオリジナル魔法。これはあくまで緊急事態への対策。断じてブラックな労働のための魔法ではない。今みたいに不眠と食欲不振を誤魔化すのも正しい使い方じゃないけどね……この二つの魔法は一応体に害がないように設計したが、あまり多用するのはやはり健康に良くない。


「フレメーリ様、くれぐれもご自愛のほどお願い申し上げます」


 沈痛な面持ちでこちらを見るメリアンさん。私にできるのは苦笑して誤魔化すだけ。


「大丈夫よ。ちょっとめまいがしただけ」


 しばらく仕事すると、カルメアが入ってきて、お願いしたいことがあると言った。


 昔のカルメアはまさに乙女ゲームのヒロインのように可憐で愛らしかった。私がカルメアを見つけたのは彼女の母が病で倒れたばかりの時期。あの小さく震える背中と憂いに満ちた表情、非常に庇護欲を掻き立てる。あれから四年を経て、成長したカルメアは大きく変わった。今はどちらかというと、凛々しくて気高い。つややかなミスリルの髪を後ろに束ね、アメジストの瞳の奥に決意が秘めている。顔立ちと体型にまだ子供らしさが残ってるけど、10歳にしては背が高いし、姿勢がしっかりしている。しかも今日はいつもの可愛らしい服ではなく、動きやすい洗練されたデザインの服を着ている。


 今のカルメアを見ると、私はとても不安になる。ゲームの中のヒロインと明らかに違うから。外見の雰囲気もだけど、私への接し方も違う。原作でもヒロインと姉の仲は良好だけど、今のカルメアみたいに私を崇拝するような感じじゃない。どうしてヒロインがこうなってしまったのか、これまでのことを振り返ってみれば心当たりがある。


 私は知っている。この世界がまるでゲームと同じようだけど、完全に同じというわけではない。私もときには原作のフレメーリと違う行動をして、シナリオに少なからず影響を与えている。


 ヒロインを引き取るタイミングは、私の最初の重大な分岐点。関連要素が多くて、非常にデリケートだから、すごく悩んだ。


 まず気になるのは、ヒロインの母の運命。原作ではヒロインが六歳になる頃から体調を崩し、一年くらいの闘病生活の末肺病で亡くなる。この世界は完全にゲームと同じわけでは無いから、もしかして病気にならないじゃないかと考えていたが……やはり原作通りの展開になった。


 魔法を使って館を抜け出して、下町にあるヒロインの家の様子を探る私は、ヒロインが健気に病気の母の世話をする姿を見た。できれば今すぐ二人を館に連れ帰りたいが、ヒロインの母は女の子を産んだからすでにあのゲス野郎に捨てられた。バレたらきっと追い出される……いや、もっとひどいことされるかもしれない。それに私は設定資料でヒロインの母の病因を知っている。神殿の治療師程度じゃどうにもならない。エリクサーがあればいけると思うけど、領主になる前の私にはツテも金もない。結局私は彼女を見殺しにするしかない。問題は、一人残されるヒロインをどのタイミングで引き取るのが一番なのか?


 ヒロインが一人になるときで引き取るなら、あのゲス野郎がまだ生きてる。もしヒロインが見つかるとどうなるかわからない。でもこの時期の私は一番自由時間が多い。ヒロインと交流を深める暇があるし、ヒロインの教育もじっくりできる。これまで平民として生きてきたから大変なのね。教える方も教わる方も。


 父が死んだ後なら、私は後見人たちの対処に忙殺される。後見人がうちの領地に移動するに時間がかかるから、本当はちょっとだけヒロインに構う余裕がある。でもヒロインがうちに来てからすぐに後見人三連星のステージに臨むのも、なんだが微妙な気がする。私が後見人たちを排除するために使う手段はあまり褒められるようなものではないから、ヒロインの心証が悪くなりそう。


 ヒロインを引き取らない選択肢はない。私がヒロインのことを見殺しにできないのもあるけど、そもそもヒロインがいないとゲームが詰む。終盤の謎の疫病のステージ、原作通りならヒロインの聖女の力が覚醒してやっと事態が収束する。病気の研究や薬の開発など、他の手段も今模索中だけど、やはりいざという時はヒロインの力が頼り。


 原作では、フレメーリが後見人たちを退治したあと、父の遺品を整理するとき手紙で初めて自分の異母妹の存在を知った。ヒロインは母が亡くなった七歳のときから浮浪児になって、しばらくは路上生活する。その後孤児院で一年ほど過ごすとフレメーリが引き取りに来る。これで一番シナリオに影響が少ないだろうけど、さすがに遅すぎると思う。


 この世界はゲームみたいだけど、現実なのだ。ヒロインが病気になって、私と出会うことなく死んでしまうのもありえない話じゃない。原作にそんな展開がないからって油断してはいけないと思う。だから私は、ヒロインの母が死んだ直後に彼女を館に匿った。もちろん父には内緒で。あのゲス野郎に見つかる危険があるし、シナリオへの影響も怖いが、やっぱりあんな衛生条件の悪い環境に放置するなんてできない。


 原作のヒロインと比べると、今のカルメアは私と過ごした時間が一年分長い。その分より親密な関係を築いた。それに私はステージ攻略に万全を期すためにちょっと頑張りすぎたところがある。カルメアは一時期私のことを全能の神か、物語の中の良い魔女さんかと思ってたみたい。その間違ったイメージを払拭するために、私は予定より早くカルメアに前世の記憶のことを話した。「私は『異界の英知』をたまたま覗き見した一般人だよー」、「生き延びるためにその『異界の英知』をちょこっと使ってるだけなのよー」、って説明したけど……カルメアは「やっぱりお姉様はすごいですね!」と言って、相変わらずのお姉様教信者ぶり。うーん、解せぬ。


「私を、お姉様の護衛騎士に任命していただけないでしょうか」


 私の嫌な予感が的中した。私の護衛騎士になりたいと、カルメアが訳の分からないことを言い出した。


「はぁ?……えっ?こんな展開、知らない……」


 やばい。これでは私が立てた予定が全部覆される。


 王都魔法学園のシステム上、入学したら最低一つの学科を選ぶけど、余力があるなら他の学科も選べる。原作ゲームでは、凄まじい魔法の才能が発現したヒロインは必ず魔法学科に入る。他にどの学科を選ぶかは、攻略ルートによって変わる。ヒロインは可能性の塊だから選択肢は非常に多い。領主の一族だから統治学科の授業を受講する資格がある。同級生たちから「庶子風情が」と言われるのを我慢しないといけないが。行政学科と商業学科は基本誰でも受講できるからヒロインが選んでも違和感がない。領主の妹として普通はありえないが、ヒロインは愛人の子だから侍従学科に進むのもそんなに不思議な話じゃない。その場合学園に姉妹不仲説が広まってかなり嫌な展開になる。王子殿下とかに「なぜ妹のことを冷遇する!」と怒鳴られるのは勘弁してほしい。


 しかしそれだけの可能性があっても、騎士学科に入る展開だけはない。原作ゲームのどのルートにも。


「魔法学園……本当にそこまで重要なんでしょうか」


 ……ああ、しかも学園そのものにあまり興味がないようになってるじゃないか。ヒロインは本来学園に入るのがすごく楽しみにしてるはずなのに……


 まずい。これはもう軌道修正不可能なレベルまで本編ゲームのシナリオを破壊したじゃないか?んー、フレメーリにとって肝心なのはスピンオフのほうだから別にそれでもいいけど……でも妹の幸せを考えると、今はまだゲーム通りの展開にしたほうがいいような気がする。原作の実写版再現を見てみたい気持ちもあるし……


 どうして騎士になりたいのかはよくわからないけど説得してみよう。ついでに学園のことに興味が持つように話してみよう……


――――――――――――――


 ダメだった……


 カルメアの魔法の才能の秘密まで話したのに、何故か頑なに護衛騎士になりたいと言ってる。


 しかもメリアンさんまで、今の私にはそれが必要だと言った。


「私はまだ子供で、大したことができないのはわかっていますが、最近のお姉様を見ると私、本当に怖いです。恩を返す機会もなく、このままお姉様を失うことになりそうです……」


 はぁ……カルメアの泣きそうになってる顔を見ると、拒否なんてできない。


 でもカルメアに条件をつけるのはうまくやったと思う。とりあえず「いつでもやめていい」という考えを植え付けた。騎士の資格の話で学園に興味を持たせるのもよかった。我ながらファインプレーだね。


 しかしその後、また私の予想を遥かに超えるものが出てきた。


『私、ヒィンデール家の次女カルメアは、長女にして当主たるフレメーリに絶対的忠誠を誓う』


 カルメアが用意した魔法の契約書を見たとき、心臓が止まるかと思った。


 もうゲームのシナリオに沿わない展開とか、そういうレベルの話じゃない。


 私が、カルメアをここまで追い詰めたのね。私を助けたい一心で、自分の人生を捧げても構わない、と。


 誰にも話していないけど、今の私は誰も信じられなくなっている。


 これからも私と一緒に生きるより、アースミタが両親とともに死ぬのを選んだ。私はそのことを忘れられない。アースミタ実は裏切り者じゃない、彼女なりに誘拐犯に立ち向かって私のために戦ってくれたと、みんなに打ち明けたいけど……アースミタは私の期待に背いた。本当のことを言って、そして生きてほしい、という私の願いに応えてくれなかった。だから、彼女はやはり裏切り者だと言えるかもしれない。


 ずっと信じていたアースミタに私は見捨てられた。ならゲームの中では絶対に信頼できるカルメアもメリアンさんも、現実ではいつか同じようなことをするんじゃないかと、私は疑心暗鬼になっていた。自分の中にこんな醜い思考があるなんて認めたくないから、誰にも相談できない。結局私を蝕むモノの正体はアースミタの幻影ではなく、自分が生み出したどす黒い感情かもしれない。


 こんな私と絶対的忠誠の魔法の契約を結ぼうとするカルメア。間違いない。今の私はカルメアを無条件に信じることができないことを、カルメアは気づいている。自分の卑しい心が見透かされているような気がして、もう正気でいられなくなりそう。


 これ以上こんなものを見るのが耐えられない。私は自分の感情のままに魔法の紙を破り捨て、火をつけた。


「しかし、魔法の契約で私を縛らないと、お姉様にとって完全に信頼できる護衛騎士にはならないじゃないかと――」


「そんな必要はないから!」


 カルメアに向かって言ったけど、本当は自分に言い聞かせたい言葉。私は一体なにを恐れているの?どうして私がカルメアとメリアンさんを疑わなければならないの?信じるべき人たちをこんな扱いして、いつか愛想を尽かされるでしょう?もしカルメアとメリアンさんにも見放されたら、私はきっとこれ以上生きていられない。


 自分が反省して、改めて人を信用することを行動で示そう。


「……ねぇ、カルメア、ここにおいて」


 カルメアを膝の上に乗せて、愛情を込めて接する。


 私は、本当にダメな姉だね。


 私が不甲斐ないせいで、カルメアに心配ばかりさせてた。私の勝手な行動で、ヒロインの人生をめちゃくちゃにした。騎士を目指すカルメアはこれから私が知っているレールから外れ、原作ゲームのような華々しい学園生活や、素敵な恋をして好きな人と結ばれることはもうできないかもしれない。


 カルメアとメリアンさんはもちろん、他にも私のためによく働いてくれているみんながいるのに、私は終わったことをずっと引きずって、こんなにもみんなに心配を掛ける。本当、自分のことが情けない……


 心に刻まれたこの痛みは多分一生忘れることがない。それでも私は前に進めないといけない。そのことに気づくのが遅すぎた。その原因は多分、私が壁を作って周囲とは一線を引いた付き合いをしているから。


 私は、この世界ではずっと孤独だった。


 前世の記憶があって、この世界はまるでゲームをベースに作られたモノだと知っている私は、いつも疎外感を抱いている。周りのみんなは懸命に生きているのに、私だけが芝居をしているみたい。まるでフレメーリ・ヒィンデールという与えられた役割を演じているような気分。前世読んだ小説では主人公の他に転生者が出て来る作品もあるが、私はこれまで一度も出会ったことがない。あんな偶然が重なるのはきっとフィクションの中だから。現実では期待薄だろうね。だから私は、誰にも私のことを理解してもらえないと思ってた。


「……お姉様は、何でも自分一人で解決しようとする、悪い癖がありますから。多分、『異界の英知』のことがあるから――」


 でも、実際は違う。カルメアは完璧に理解している。私が感じる疎外感を。私は自分が孤独だと思い込んてるだけ。もっとカルメアとメリアンさんと、他のみんなとも真剣に交流すれば、私は本当の意味でこの世界の住人になれるかもしれない。


 そうだ。ポジティブに考えよう。原作ゲーム通りに進むことだけがカルメアの幸せとは限らない。騎士になりたいと言うなら、私が全力でサポートしよう。確か、「剣と魔法両方ともできるならもう最強じゃん」と言ったよね。上等じゃないか。希望通りにしてあげよう。私の異界の英知とチート魔法で。


 考えてみれば、今までの私は原作シナリオに囚われていた。でもゲームと同じような展開がカルメアの望みじゃないなら、私もそれに従う必要がない。運命とは自分で切り開くモノ、ってやつね。これからはもうゲーム通りに軌道修正なんてしなくていいかな。カルメアが騎士になる夢を追い、そして私も自分の幸せを掴み取る。それだけでいいよね。


 この日の夜、私は久しぶりにアルコールを飲まずに眠れた。カルメアがそばにいるだけで、こんなにも安心できるとは思わなかった。


 しかし朝起きると、何故か私はカルメアを抱き枕のように抱き締めている。うっ、恥ずかしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

お姉様(転生者)が病んじゃいそうなので、妹(ヒロイン)の私はお姉様を守る護衛騎士になります 海の向こうからのエレジー @elegia_fgn

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画