第37話
案の定、蔵にあった首吊り死体はすぐに見つかった。
地方新聞に載るぐらいの扱いで、事件性はなく自殺として片づけられた。それでも、小さな町だ。噂話は自殺した人のことで持ち切りだった。
亡くなったのは高校生の若者らしく、いじめを苦にしたものだと遺書が用意されていたという。受験シーズンの今、いじめっ子たちは戦々恐々とした気分を味わっているだろう。
それこそが自殺した彼の復讐なのだから、成就してほしいと健は思った。
一方で珠子はと言うと知恵熱のような熱を高温で出し続け、そして大学の冬期休暇を明けた。
「今日から大学始まるけど、健、昼間は好きに過ごしてていいからね。」
玄関を出ようとする珠子が振り返り、健を気遣って告げる。
「うん、ありがとう。…熱は大丈夫なん?つらくない?」
「へーき。冷たい風に当たってた方が気持ちいい気分。」
それが心配なんだけどな、という健の呟きを無視して珠子は大学に向かった。
珠子が通う大学は小さな山の上にある。バスで揺られ、終着の大学構内停留所まで向かった。
雪が大量に積もり事務局の職員が雪かきに奮闘する中、彫刻科の学生たちが雪像を作って遊んでいるのが見える。随分と力作ぞろいで、特に巨大な寝そべる裸婦像が目を引いた。
他に山の斜面を利用してソリで滑降する学生や、スケートリンクを作ろうと平らな地面にお湯を張る学生がいて、皆、積雪や冬を楽しんでいた。
「珠子、おはよー。」
先に大学に来ていたさやかが、珠子を見つけて声をかける。
「おはよう。さやかは雪で遊ばないの?」
さやかは大学のラウンジのストーブに一番近い席で、缶のホットコーヒーを飲んでいた。
「雪は実家で見飽きてんじゃん。今更、珍しくもなんともないよ。」
「確かに。」
雪国育ちにとっては、雪はただただ厄介な存在だ。感動もなければ、感慨もない。
珠子は自らも飲み物を求めて、自動販売機の前に立つ。小銭を投入して、ココアと迷ったがミルクティーを選択した。
「相変わらず、コーヒー飲めないの?」
「苦いの嫌いなんだよ。」
プルトップを開けて、缶を傾ける。茶葉の芳醇な香りと、ミルクの甘さが舌に心地よかった。
「そういえば、木原先生が珠子のこと探してたよ。個展のレポート提出しろって言ってた。」
「うえー。マジか…。」
木原は絵画学科、油画専攻の先生で、学部長も務めている。度々作風を変えることで有名な変人で、また高圧的な雰囲気もあり彼を苦手に感じている学生は多い。
珠子はせっかく開けた缶だが、一気にミルクティーを飲み干して立ち上がる。
「もう行くの?」
「面倒ごとはさっさと終わらせてくるよ。」
「いってらー。」
ひらひらと手を振るさやかに見送られて、珠子は木原の研究室へと向かった。
「…。」
溜息を一つ、そして気合を入れて珠子は研究室の扉をコツコツと叩く。少しの間をおいて、「どうぞ」と入室を促す声が聞こえた。
「失礼します、三回生の桜井です。」
「ああ、入りなさい。」
木原は煙草を吸いながら、パソコンの画面に向かっていた。
「ちょっと待ってくれ。研修の写真をまとめてるんだ。」
カチカチとマウスをクリックする音や、タイピングの音が響くことおよそ五分。珠子はその間、研究室にある本棚にある背表紙を眺めていた。
油絵の画集や古い論文、辞書。芸術雑誌のバックナンバーなどが乱雑に並べられている。
「それで?」
不意に声をかけられて、珠子は木原を見た。
「あ、ええと。さやか…、三島さんから言付けをもらったので。休暇中に行った個展のレポートを持ってきました。」
慌ててリュックから、レポート用紙を取り出す。木原は受け取ると、レポートを眺め始めた。
「次からは言われる前に来なさい。」
「すみません。気を付けます。」
木原はパラパラと用紙をめくりながら、赤ペンで治す個所をチェックしていく。
「ここと…、来場者の感想のところはもっと簡潔で良い。直して再提出。」
「はい。」
珠子は返されたレポートを受け取る。
「概ね、好評のようだが色に違和感を覚える観客も多いようだ。次作の制作時に心がけてみなさい。」
「…すみません。私、目が、」
木原の言葉に、珠子は自分の色覚異常について何度目かの説明をした。
「そうだった、色彩がね…。よく画家を志したものだ。」
ふん、と鼻を鳴らして、呆れたように木原は言う。
「私なら潔くあきらめるけどね。ま、頑張って。」
そう言うと木原は再び、パソコンに向かってしまう。どうやら、もう珠子は用無しのようだった。
「失礼しました。」
珠子は心のシャッターを閉じながら、研究室を出て扉を後ろ手に閉めた。
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