第35話

「…なんか、肝試しできそうね?」

「する?」

「いやー…、この寒い中ゾッとしたくないなあ。」

そう言いながらも、珠子は興味津々とばかりに蔵の中を覗こうと扉に近づく。

「鍵がかかってるんじゃない?」

「そうかもねー。ん、いや、開いてる。」

珠子が重そうな扉の取っ手を握ると、ガチリ、と鈍い音を立てて回すことができた。

蝶番が油が必要だと叫ぶような音を立て、それでも室内へと誘うように扉が開く。

「おっ邪魔しまーす!」

元気よく珠子が足を踏み入れた。が、すぐにぴたりと立ち止まってしまう。

「―…、」

「たまちゃん?どうした、」

健が珠子の異変に気が付いて中を覗き込むと、そこに瞳孔が見開いて真っ黒になった眼球と目が合った。

虚無を映す目を見開き、だらしなく青黒い舌を根元から出して、首が通常の倍近く伸びている。ゆらりと揺れる体の穴と言う穴から体液が漏れて、地面に水たまりを作っていた。

そこにあったのは、蔵の天井にかかる梁に犬の散歩用の綱を結んで首を吊った男性の死体だった。

「…見ちゃダメ。」

健はビニール袋を地面に落とし、彼女を背後から抱きしめるようにして手のひらで珠子の両目を隠した。手のひらの下で、珠子のまつ毛が瞬いて肌をくすぐるのがわかる。

その行為は凄惨な現場を見せないための良心ではなく、珠子に対する忠告だ。

珠子の瞳はいきなり死体を見た衝撃で爛々と輝き、まるで零れ落ちてしまいそうだった。瞬時に上がった体温に肌が発汗し、熱く荒く、そして浅く呼吸をしている。そして、その口角は上がり笑みを浮かべていた。

次の瞬間にも死体にむしゃぶりつきそうな珠子を見て、健は目を覆ったのだった。

「大丈夫?たまちゃん、ゆっくり呼吸してみて。」

「…、…、」

ふー、ふー、と手負いの獣のように、珠子は呼吸を繰り返す。彼女には刺激が強すぎたようだ。ぶるぶると肩を震わせる珠子を抱きしめて、落ち着かせようと試みる。背中を撫でながら、声をかけ続ける。

「たまちゃん。たまちゃん…。」

珠子を抱く数分が、数時間にも感じられた。やがて彼女の体が弛緩して、膝がかくんと折れた。健が倒れ込む前に珠子を抱えて、地面に膝をつく。腕の中で、珠子は意識を失っていた。

「…。」

健は何とか珠子を背負うと、外に出て扉を閉め、蔵から離れた。

警察に通報するには健に分が悪いので、放置することにする。遅かれ早かれ、あの死体は発見されるだろう。その時の人たちに後を任せておけばいい。

神社の裏道からそっと抜けて、アパートに戻る。時々すれ違った数少ない人々は季節柄、赤い顔をした珠子は酔いつぶれてしまったのだろうと想像したのか微笑ましく見送ってくれた。カサコソと後ろ手に持ったコンビニの袋が、首吊り死体のように揺れていた。

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