第27話
「はじめまして。」
初めて食べるために殺した人は、SNSを通じて知り合った。自らを千鶴と名乗り、女子高生。17歳だという。
「けんさん…ですか?」
健は自分の名前の漢字、もう一つの呼び方をハンドルネームとしていた。
「はい。あなたは千鶴さん、かな。はじめまして。」
待ち合わせをしたのは、駅前の有名な犬の像の前。雑多なビル群、その他大勢の人間に紛れる蜃気楼のように千鶴はゆらりと立っていた。
自分たちの服装の特徴を伝え合い、スマートホンで通話している最中に機械と現実の声が重なって出会うことができた。
「カフェにでも行きましょうか。」
「あ…、えーと。じゃあ、そこで。」
健の案に、千鶴が指名したのは大手のチェーン店のコーヒーショップだった。女子高生から見れば敷居が低く、入りやすい店なのだろう。季節は8月。自動ドアをくぐると、店内に効いた涼しい空調が心地よく肌を包んだ。
汗をかいたアイスコーヒーを二つ購入して彼女用にミルク、砂糖のシロップも二つトレイに乗せて座る席のテーブルに置いた。
「どうぞ。」
「すみません。あ、お金、」
慌てて財布を取り出そうとする千鶴の手を止めて、健は首を横に振った。
「ここは奢りで。年上に花を持たせてください。」
「…ありがとうございます。」
「うん。」
しばらくアイスコーヒーで口の中を潤しながら、何気なく大きなガラス窓から外の景色を眺めていた。千鶴と同じぐらいの年頃の女の子たちが、その若々しさを誇るかのように肌を露出した服を着て闊歩している。
「あの、けんさんは…、」
か細く絞り出すかのような声に気が付いて千鶴を見た。そういえば彼女はこの気温の高さに対して、日差しを拒絶するかのように長袖のカーディガンを羽織っていた。暑くないのかな、と思っていると、千鶴は自分の左腕を右手でさする。
「私と一緒に、死んでくれるんですよね。」
周囲の雑音が刹那、消え失せた。
なるほど、と思う。恐らくだが、千鶴の左腕にはリストカットの痕があるのだろうと邪推した。
「…。」
俯き、涙を一粒零す千鶴の肩は震えている。まるで、生まれたての小鳥のようだと思った。
「…そうだよ。一緒に旅立とう。」
健気な小鳥に、健は白々しい嘘を吐いた。
移動した先は、健が暮らすアパートだった。ここでゆっくり、製薬会社で働く健が盗んできた薬を飲む予定だ。
「片付けたつもりだけど、散らかっていたらごめんね。」
「気にしないです。」
千鶴を部屋に通して、健はクーラーで空調を整える。
「カーディガン、暑いでしょ。」
「え?あ、ああ。はい…。」
頷いた千鶴はもたつくように、羽織っていたカーディガンを脱いだ。そして、その左腕には想像したとおり幾重にも痛々しい線状の傷痕が刻まれていた。
何気なさを装って観察したつもりが、その視線を千鶴に気が付かれてしまう。
「ご、ごめんなさい。気持ち悪いですよね。」
「いいや?そんなことないよ。」
綺麗だと思う、と言葉を紡ぐと千鶴は驚いたように目を見開いた。
「そう言われたのは、二度目です。」
そう呟くと、千鶴は癖のように左腕をさすった。ザリ、と微かな音と共に乾いた血液が粉のように落ちた。直近にも傷つけていたものだろうと思う。
千鶴は何かを思い出すかのように、視線を遠くに泳がせる。その目色には重苦しい悲哀が混じっていた。
「…何か思い出が?」
冷えた麦茶をコップに注ぎながら、健は問う。
「…そう、ですね。」
手渡されたコップにかく汗を人指し指で辿りながら、千鶴はぽつぽつと語りだした。
「私、小学生のときにいじめをしたことがあるんです。」
「いじめられたのではなく?」
健は意外な言葉に些か目を張る。はい、とか細く言って、千鶴は頷いた。
「幼なじみの友だちを取られたくなくて、私が彼女につらく当たるのに正当性を無理矢理、見出してました。」
私だって嫌な思いをしている。
先に、私を害したのは彼女だ。
だから報復をしたまでなのだ。
「私は子ども過ぎて、その理不尽さに気が付こうとしなかった…っ。」
声を詰まらせて、涙を零す。
「でも、気付いてしまった?」
健が話の続きを促すように、静かに言葉を紡いだ。
「そう。そうなんです。…今まで、見ようとしなかったものは、子どもだから、では済むものではなかった。」
中学生に上がった頃、千鶴は恋をしたのだという。初めての恋で、ふわふわと浮かれるようで、そして相手の先輩である男子も千鶴の想いに応えてくれたらしい。
吹奏楽部の部活で一緒の楽器になり、よく演奏を教えてもらっていた。その末に宿った恋心だった。
部活を終えた放課後。緊張で拙い告白をして、彼は少し照れた風を装いながらOKをくれた。
朝、待ち合わせをして一緒に登校し、手を繋いで帰る家路。休日には一緒に遊ぶことを名目に会って、ウインドウショッピングやゲームセンターなどを巡った。別れを惜しみ、触れるだけのキスをしたこともあった。
そして、彼の家にお呼ばれしたときのこと。千鶴は現実と向き合うことになる。
『ねえ、言ったことなかったけど、僕には妹がいるんだ。』
彼の部屋で、二人きり。何気ない会話の一部かのように話し始めた。
『そうなの?今日、挨拶できるかな。』
『無理だよ。妹は部屋に引きこもっているから。』
そのときの彼の笑顔は、とても怖かったことをよく覚えている。
『ねえ、千鶴。いちかのこと、覚えてる?』
『…、』
いちか。
千鶴は、過去にいじめた田所いちかのことを思い出す。だが、彼の名字は田所ではない。だからだろう。安心して、彼を好きになったはずなのに。
『忘れちゃった?君がいじめた女の子だよ。』
『…え…。』
そういえば、中学の入学式に同じ学区に通うはずのいちかと出会わなかった。私立の中学にでも受験したのだろうと、勝手に思っていた。
『いちかはね、中学受験を失敗して君と同じ中学に通うのが嫌で、部屋に引きこもるようになったんだ。』
『…先輩?』
『いちかの不調を理由に喧嘩をするようになった両親が離婚して、名字が変わったんだよ。』
それが幸いすることになるとは思わなかった、と彼は乾いた笑いを浮かべる。
『君の名前は聞いてた。まさか、こんなにも簡単に事が進むなんてね。』
ピチ、と小さく氷が弾けた。
窓の外から夕日が差している。カラスが鳴きながら、寝床に向かって空を羽ばたいているのが見えた。
千鶴の話を聞きながら、自業自得だな、なんて健は思っていた。もちろん、言葉にするつもりはないが。
千鶴はグスと鼻を啜ると、最後に言った。
「…それから、手首を切るようになった私に先輩は言ったんです。」
綺麗だね、と。そして、よく似合う、とも。
「でも、今日、ようやく罪滅ぼしができる。やっと、死ぬことができる。」
そうですよね、と呟く千鶴を、健は優しく抱きしめた。
「ああ。一人で死ぬのが怖くても、一緒ならきっと死ねるよ。」
良かった、と言い、千鶴は微笑んだ。
「ありがとう。」
橙色の空が、濃い青色の夜空に押し出されそうとしている時刻。健が用意した睡眠導入用の錠剤を、二人で飲み始めた。
薬は徐々に効き始め、千鶴は意識が朦朧としながらも錠剤を飲み続けた。
「…、」
「千鶴さん?」
健が声をかけて、名前を呼ぶ。千鶴は目を閉じていた。反応はない。そしてずるずると、床に倒れ込んでしまう。
「口の中が、甘いな。」
健が口に運んでいたのは、錠剤によく似た形をしたタブレット菓子だった。千鶴に合わせて飲むには、結構きつかった。
台所で、水道水をがぶ飲みする。ようやく口の中から甘味は消えたが、胸焼けがするようだった。小さく舌打ちをすると、その手にロープを持って健は深く眠る千鶴の元へと戻った。
そして、千鶴の首をロープで絞めて殺した。ギリリ、と鈍い音が肌から立ち、薄く開かれた千鶴の口から溶けかけた錠剤が半分、唾液と共に零れた。
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