第15話
「…んあ?」
珠子が目覚める。枕元で充電していたスマートホンを見て、時刻を確認する。どうやら寝坊は免れたようだ。
ベッドから起きて、こたつを見ると健がいない代わりに書き置きが残されていた。
『コンビニに行って来ます』
少し右肩上がりのシャープな文字だった。
とりあえず出て行ったことではないことに安心して、珠子はテレビの電源を点けた。チャンネルを数局変えてみるものの、今の時間はほとんどニュース番組だった。
カピバラの温泉についてのニュースが流れて、見始める。なんとも言えず気持ちよさそうな顔をして、湯船に浸かるカピバラだった。コマーシャルの間に珠子は朝食を何にしようかなど、ぼんやりと考える。
「たまご、あったかな…。」
献立を頭の中で組み立てていると番組は戻り、アナウンサーが次のニュースを読み始めた。
「…ん?」
県を跨いだところの事件についてだった。遺体に臓器がない猟奇的な殺人だと報じている。犯人について、重要参考人がいるようだがその人物は逃走しているという。
「ふーん。」
玄関の扉が開く音が響く。
「あ、健。おかえり。」
「ただいま、たまちゃん。」
健はコンビニのビニール袋に飲み物や新聞を入れて、帰ってきた。
「ニュース見てるの?」
「うん。」
「ああ、このニュース。」
「知ってる?」
「うん。犯人、僕。」
こたつの上にビニール袋を置いて、沈黙する珠子とゆっくり目が合わせる。
「あ、言っちゃった。」
彼女の瞳は濁り無く、真っ直ぐに健を見ていた。
「そうなの?」
屈託のない幼子のような目線だった。珠子は小首を傾げるように、健に確認を取る。
「そう。僕が一樹を殺した。」
口を滑らせてしまった以上、もうこの生活を続けることはできないだろう。少し、寂しく感じる。
「やっぱり。」
「え?」
健は伏せた視線を持ち上げる。珠子の思いがけない言葉に、動揺が走る。
「知ってたよ。」
ふうとため息を吐きながら、珠子は苦笑を浮かべた。
「どうして?」
僕が人を殺めたことを、
そして君の優しさにつけ込んだこと。
もしかしたら自身も殺されるかも知れないと、何故思わない?
「…あの日、私も廃村にいたのよね。」
「…。」
「あの村、おばあちゃんの故郷なの。」
区切りを付けて、珠子は台所に向かった。ポットに水を注ぎながら言う。
「お茶を飲みながら話そうか。」
「…うん。」
鼻の奥がつんと痛くて、健は泣きそうだった。珠子が入れたお茶と共に、こたつに戻る。向かい合うように腰を据えた。
「健、コンビニで何を買ってきたの?」
「え?ああ…。新聞と、あと炭酸水とサンドイッチ。朝ごはんにどうかと思って。」
ミックスサンドの包みを珠子に手渡すと、彼女は両手で受け取った。
「ありがと。作らなくて済んじゃった。」
「うん。」
しばらく沈黙の時間が流れる。気まずいような、どこか愛しいような心地だ。
「あの…、」
口火を切ったのは健だった。
「ん?」
「何故、あんな時間に廃村にいたの?」
珠子は湯飲みに入ったお茶で手のひらを温めながら、思い出すように目を細めた。
「ちょっと嫌なことがあって。バイクで走ってたんだ。で、ふとおばあちゃんのお墓参りに行こって思ったんだよね。」
アパートの駐輪場に置かれていた赤い色のボディをしたバイクを思い出す。あれは、珠子のものだったのか。
「夜中に?」
「そう。変?」
「いや、変っていうか。怖くなかったの?」
「怖くないよ。本当に怖いのは、人だと思うから。」
珠子の答えに健は返す言葉もなかった。
「まあ、びっくりしたよね。健ったら、人のお腹を裂いてるんだもん。」
一樹を殺した瞬間を目撃したようではなかったらしい。目の前の友人のことでいっぱいで、珠子の気配に全く気が付かなかった。
「恥ずかしいな。僕の顔、醜く歪んでただろ。」
自虐を込めて言うと、珠子はふるふると首を横に振った。
「顔はね、よく見えなかった。暗かったし。」
「? じゃあ、なんで…。」
「耳。」
「耳?」
珠子の手がそっと伸びてきて、健の左耳をくすぐるように触れる。
「月明かりで一瞬、健の横顔が浮かび上がったの。私、あなたの耳を記憶したわ。」
ふふふ、と珠子は笑う。耳朶を優しく揉みながら、その形を確かめているようだった。
「人の顔を覚えるの苦手だから、耳の形で覚えるようにしてるんだ。私。」
珠子が初めて会ったときに耳に触れたのは、健があの夜の殺人鬼かと確認していたのかと悟る。
「…たまちゃんは、僕が怖くないの?」
「怖いよ。背筋がゾクゾクしてる。」
そう言いながら、珠子の表情は柔らかく慈しみが込められている気がした。
「でもね、私、だからこそ健を絵に描きたいんだ。モデルが人殺しだなんて、生きていてそう経験できることじゃない。」
心底楽しそうに声を弾ませる珠子に、健は安堵感を覚える。
「君も、どこか壊れているんだね。」
健は自分が人恋しかったことを知った。
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