第13話
「それよりもさ、今日の晩ごはんどうする?昨日のおでんの残りならあるよ。」
「あ、おでんいいね。」
健が賛成すると、珠子も頷いた。
「じゃ、それでいっか。私、ちょっと寝るー…。」
「こたつでうたた寝は風邪を引くコースでは…、」
言い切る前に、こたつ布団に包まった珠子の健やかな寝息が聞こえてきた。健は小さなため息を吐き、珠子の肩が出そうになっていたのでこたつ布団をかけ直した。
「…。」
珠子の頬は柔らかそうで、桃の産毛が生えているようだった。健康的な肌色は温かさから、上気している。閉じられた目蓋を縁取る睫毛は長く、時々ぴくりと震えた。小さな鼻も、つんとした唇も若さに溢れているようだった。
今まで食べてきた女性は、不健康な雰囲気をまとっていたことを思い出す。か細く、儚く、柳の葉のようにつかみ所の無い人間だった。自殺を志願するような子たちだから、仕方が無かったのかも知れないけれど。
なんて、美味しそうなのだろうと思う。無防備に眠る彼女にそのままかじりついたら、一体、どんな芳醇な香りと味がするのだろう。酸っぱい梅干しを見たときと同じように、唾液がこみ上げてきた。
「…我慢。」
もう少し。もう少し、彼女と一緒にいてみたい。珠子が描いた自分に会ってみたかった。
健は珠子から目をそらして、気を紛らわせるために台所のシンクにあった食器を洗ったりなどをする。手伝って良さそうなところを片付けて、今度こそ本当に手持ち無沙汰になってテレビの電源を付けてみた。ボリュームを下げることを忘れずに。
年末の特別番組がほとんどで、クイズ番組に目を留めてみた。若手の芸人がおかしい答えを連発し、売り出し中のアイドルに叱られている。賑やかな雰囲気に皆、浮かれているようだった。ぼんやりと頭をカラにして観るには丁度良かった。
その後。珠子はたっぷり1時間眠り、呆けた顔をしてもそもそと起き上がった。
「おはよぅ…。」
「おはよう。夜だけどね。」
んー、と唸りながら、珠子は目を細めながら健を凝視する。
「どした?」
健は首を傾げる。
「あー、健だ。うっかり叫ぶところだったよ。不審者ーって。」
「危ねえな!」
珠子に思い出してもらえて良かったと、健はほっと胸をなで下ろす。
「冗談だよー。」
けらけらと笑いながら、珠子は手のひらをひらりと振った。冗談という彼女の先ほどの目色は、本気で不審者を疑っていたようだったが気付かないふりをしよう。
「喉渇いたなあ。あ、健の残ってるお茶ちょーだい。」
そう言うやいなや、健が使っていたマグカップを取ってお茶を飲み干す。珠子の警戒心の薄さが心配になった。
「ごめんね、お腹空いたっしょ。ごはんにしようか。」
珠子は台所に向かって、冷蔵庫の扉を開ける。おでんの入った鍋を取り出して、温め直すためにコンロの前に立った。IHヒーターの温度を確認しつつコトコトと煮詰め、やがて湯気が立ってくる。部屋中に、おでんの出汁の良い香りが立ちこめた。
「健。こたつの上、片付けて。」
「はいよー。」
程なくして、おでんが鍋ごと運ばれてきた。もう読まないという雑誌を鍋敷きにして、こたつの天板に置かれる。
「お酒飲むっしょ?」
「いただきます。」
そうこなくちゃと笑い、珠子は冷蔵庫を再び開けて缶ビールを出した。
「さー、食べよ。」
「うん。ありがとう。」
珠子がおでんを取り分ける間に、健はプルトップに爪を引っかけて開けた。わずかに炭酸が抜ける音が立つ。二人で小さく乾杯をした。
「おでんってさー、カレーと同様に作り過ぎちゃうものランキングに入ると思わない?」
少し煮崩れてしまったという大根を頬張りながら、珠子が言う。
「どっちもたくさん作らないと美味しくないしね。」
「そうなんだよ。健、ごはんは?冷凍で良ければ温めるよ。」
「ビールとおでんで、お腹いっぱいになるから大丈夫。」
「同じくー。」
湯気が鼻に来て、鼻水を啜っているとティッシュを差し出された。
「ありがと。」
鼻をかみ、ゴミ箱を探す。見つけたゴミ箱は健の位置から少し遠い。横着して投げてみると、ゴミ箱のふちに当たって外に落ちてしまった。
「やーい、下手っぴー。」
珠子に笑われ、健はやれやれと立ち上がりゴミ箱に正式にティッシュを捨てる。
「健、立ったついでに冷蔵庫にあるからしを取ってきて。」
ここぞとばかりに珠子はリクエストをする。腰を据えてしまって、こたつから出たくないのだろう。
冷蔵庫から出したからしを取って戻ると、珠子は健の頭をよしよしと撫でた。
「ありがとう。家に人がいるといいなあ。」
「たまちゃん、お安すぎるよ。」
「そう?」
健は頷く。
「そんなに人恋しいなら、実家とか帰れば良いんじゃない?もう年末だよ。」
「あ、いーのいーの。私の実家って長野なんだけど、冬の長野なんて帰ったら雪かき三昧だから。」
朝起きて、カーテンを引くと絶望するぐらいに雪は降ると珠子はいう。
「さらさらの雪ならまだ良いんだけど、水分の多い雪だと重いんだよね。」
「ははあ、なるほど。」
健はちらりと窓の外を見る。雪はちらちらと舞うぐらいが丁度いいのだ。
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