第31話 会いたいけれど

 リュアティスの旅は順調以上に進み、最初の予定では明日の午前10時頃にアークレルト領に入り、それから10時間ほどかけて公爵家に着く予定だったが、半日以上早くアークレルト領へ入った。


「殿下、この先の分かれ道は左へ行けば公爵邸、右へ行けば伯爵邸へと続いていますが」

「右だ」


(即答ですか)


 それも仕方のないことだろう、とネスアロフは思う。

 はす向かいの位置に座り、無言で窓の外を眺めながら馬車に揺られているこの少年は、彼の話が全て本当だった場合、召喚対決の直後から、ずっと一人の少女のことだけを考え続けていたことになるのだから。

 その対象者がいるほうを選択するのは当然だろう。


 リュアティスの返答にこっそり苦笑して御者に行き先を告げたネスアロフは、ついでに近衛兵の一人に、先に伯爵家のほうへ向かうと公爵家に連絡するように頼んだ。


「理由は?」

「行程が前倒しとなったので、近くにある伯爵家のほうへ先に行って、そのあと公爵家でゆっくりなされたいそうだ」


 無理矢理過ぎるか、と思ったネスアロフだったが、近衛兵はこの理由で納得したようで、一人、左の道へ馬を進ませた。


「あと2回休憩すれば、伯爵家に到着いたします」

「……」


(何か気になることでもおありになるのだろうか)


 気のせいか、ここ数日リュアティスの口数が減っているようで、ネスアロフは少し心配になっていた。

 しかし、それを指摘してもリュアティスが答えるとは思えず、彼の思考を妨げるだけになりそうで、ネスアロフも自分の側の窓の外を眺めた。


 この時のリュアティスは、実は何も考えていなかった。

 ただぼーっと外を眺めていただけだ。


 彼らをどうやって見つけよう、どうやって会話をしよう、無事に返すにはどうすれば、と、あんなにずっと考えていたのに、彼らを前にするその瞬間が近づくにつれ、リュアティスは、なぜか会いたくなくなってきたのだ。


 二人に会って、直接謝罪して、向こうの世界に返さなくてはならない。

 そんなことは百も承知だ。

 二人と話すのもとても楽しみだし、みんなでやりたいことだっていろいろある。

 それなのに、会いたくない。


 ではなぜ、さっき、ネスアロフに聞かれた時に、「左だ」と答えなかったのか。

 それは、やはり、会いたいからだ。


 この矛盾している気持ちのせいで、リュアティスの思考はほぼ停止していた。


 こんなことではだめだ、と気持ちを切り替えることにする。


 彼らに会うことは終点ではない。どちらかと言えば出発点だ。

 その出発点に立つ時に、感情の堂々巡りをやっている場合ではないんだ。


 彼らを無事に送り返す。

 そのことだけを、考えよう。


 軽く伸びをしてネスアロフを見たリュアティスは、溜まっていた息を吐いて少しだけ躊躇したあと、言葉を発した。


「次の休憩所まで、肩を貸せ」


 ネスアロフがリュアティスのいる側の椅子へ移動すると、慣れない長旅で疲れがたまっているのに最近碌に眠れていなかったリュアティスは、彼に寄りかかって久しぶりにぐっすりと眠った。


   ☆

   ☆

   ☆


「殿下、そろそろ伯爵家に到着いたしますよ」


 ん?


 ガラガラと車輪の音がする。

 目を開けると顔のすぐ前に誰かが腰かけていて、見上げたらこっちを見ているネスアロフと目が合った。


「やっとお目覚めになられましたね。

 動かないでそのまま少しお待ちください」


 そう言いうとネスアロフは、馬車を道のわきに寄せて止めるように御者に命じた。


 んん?


 馬車の中なのに、なぜ僕は横になっているんだ?


 動くなと言われたので頭だけ動かして辺りを見ると、ネスアロフが座っていたところは椅子のままだったが、それ以外の片側はベッドに改造してあるようで、その横幅がかなり狭いため、下手に動くと床に落ちてしまいそうだ。


 椅子の前の空間にしゃがんだネスアロフが片膝を突き、リュアティスが身体を起こすのを手伝ってくれた。


「なんだこれは」

「殿下があまりにも気持ちよさそうに眠っておいででしたので、休憩所にて内装のほうを作り変えました」

「はぁ?」


 外にいる近衛兵に、水と着替えを持ってきてくれるように頼むネスアロフ。


「すぐに水をお持ちいたしますのでお身体をお清めになられましたら、こちらにお着換えください。

 あと半時ほどでアークレルト伯爵様のお屋敷に到着いたします」

「え?」


 確か、あと2回休憩すると言っていたような……


「休憩所はとっくに通り過ぎました」


 呆気あっけに取られている彼の表情を読んだネスアロフがそう言いながらいたずらっぽい笑みを浮かべ、失態に気づいたリュアティスは真っ赤になった。


 うそだろー!! 寝過ぎだろ!!


「長旅でお疲れだったのでしょう。

 皆、心得ておりますので、大丈夫です」


 何がだ!!


 ネスアロフは、近衛兵が汲んできた水にタオルを浸し、軽く絞って、赤面しているリュアティスに渡した。


「これでお顔等をお拭きください。

 ここからお屋敷までの間には身なりを整えられる場所がございませんので」


 僕が起きなかったらどうするつもりだったのだろう。

 まあ、その時は、叩き起こされていただろうが。


「近くの休憩所まで戻るというのは……」

「半時ほどで戻れますが、そのあとそこで3時間ほど過ごすしたあと再び1時間かけてお屋敷へ行くことになりますよ?」


 リュアティスは、ガクッとこうべを垂れた。


「……わかった」


 眠りこけていた僕が悪い。


 ネスアロフに言われるままに身なりを整え、対面式だった椅子が今は直角の長椅子のようになっている馬車に乗り込んだ。


 あれ?


「近衛兵が二人減っているようだが」

「公爵家より先に伯爵家へ行くことになりましたので、そのことをお伝えしに行っていただきました」

「そうか」


 それにしても、もう少しちゃんとした格好で会いたかったな。


 やはり、先に公爵家へ行くべきだっただろうか、と少しばかり後悔するリュアティスであった。

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