第36話 日和さんからの信頼

 日和さんが木を登っている。

 何回か失敗するが、もうちょっとのところまで来ていた。


 それにしても、失敗しても楽しそうなのが印象的だった。

 俺のアドバイスを聞きながら、少しずつ高いところへと行けるようになる感覚が面白いのかもしれない。


 だけど、登りきれない。


 どうやら、彼女の腕の長さだと掴めそうな木の出っ張りに手が届かない。懸命に手を伸ばしているが無理そうだ。

 俺は幹の方へと寄り、手を差し出す。


「雲原さん。手、掴んで」

「……! はい! 掴みます」


 日に照らされているからか、いつもより輝いて見える瞳が俺を捉えていた。

 そして、迷いなく俺の手を握った。


 日和さんが大変そうだったから思わず手を出してしまったが、女子の手なんて握ったことがない。この間の小指手繋ぎは体験版みたいなものだし。


 その感触と感慨を感じる前に、俺の貧相な筋肉が悲鳴を上げ始めた。

 女子に対して重いなんて言いたくないが、本音を言えば……重たい。


 だけど、これは嬉しい悲鳴でもあった。

 日和さんが俺のことを全面的に信頼して体重を預けてくれている。

 これに応えないわけにはいけないと思い、何とか踏ん張る。


 頑張ってくれ、俺の貧相な筋肉……!

 

 そう思いながら少しだけ耐えると、日和さんは足を上へと進めて、こちらに来るだけとなった。そのまま体重を支えられた彼女は、何とか太い枝の上に到着した。


「お疲れさん……初めてなのに、凄いね」

「鳥羽さんがお手本を見せてくれたお陰ですし……その……」


 濁る日和さんの言葉と一点に向けられた視線。

 彼女の目線が向かっていたのは、俺が握っていた日和さんの手だった。


 何を言わんとしているか、気づいた俺は慌てて手を離した。


「ご、ごめん! 強く握り過ぎてた! 痛くなかった?」

「少し痛かったです……」


 何も誤魔化すことなく、そう語った日和さんは手をさすっていた。

 下手に誤魔化されるよりはマシだったけど、己の非力さに罪悪感を感じる。


 もっと鍛えておけば、必要以上に強く握らなくて良かったはずだろう。


「でも……必死に支えてくれたのは、カッコよかったです」


 同じ枝の上で、手が触れ合いそうなほどに近いこの距離で。

 日和さんは、微笑みながらそんなことを言ってくれた。優しくも真っ直ぐな瞳に俺が写っているのが分かる。


 木の上だから、周りの様子なんて気にならない。

 照れがない彼女の、あまりにも純粋な「カッコよかった」が心を揺さぶっていた。


 今まで生きてきて女の子にカッコよかったなんて、言われたことはない。

 だから嬉しいのだろうか……いや、そんな単純なことではないのだろう。


 異性として意識しているし、意識されている関係。

 そんな彼女からの言葉だから、ということもあるだろう。


「……あ、ありがとう。今度はもっと優しく握れるようにする」


 次とか言ってしまったせいか、日和さんが赤くなり目を背けてしまった。

 普通の男女はお互いの手なんて、握らない。次があるとしたら……。


「そ、そうしてください。でも……次に木を登るような機会は、中々無いと思いますけど」

「確かに……そうだね。プフッ」


 日和さんなりの照れ隠しなのかもしれないが、次に木に登る機会の無さに思わず噴き出してしまった。

 俺の様子を見ていて連られたのか、日和さんも笑っていた。


☆ ☆ ☆


 そんな風にして木に登り終えて待っていると、親たちが出てきた。

 表情を確認するよりもまず、盗聴器を起動させる。日和さんにイヤホンを渡して、二人で話している内容を聞く。


『…………』

『…………』


 盗聴器を起動したが、話している様子がなかった。今の距離では表情まで見えないから、何を考えているのかは分からない。


「バラ園、良かったと思うんですけど……」

「俺もそう思うけど……花、綺麗だったと思うし」


 施設がつまらなかったわけではないのに。。


 そのまま歩いてこちらに近づいてくる親たち。

 段々と二人の輪郭が明らかなものになってくる。どちらを向いているのか、目視できる距離感だ。


 流石に上を向いてはいなかった。

 木の上ならバレないというのは、二人がデート中だから、ということでもあった。


 そんな二人は前を見ている。当然のことではある、歩いているから。

 でも、親同士目で合うことは見ている限り無かった。


 そして、赤くなった顔と強張ってしまった表情をしっかりと確認する。

 彼らの表情は俺らがいる木を通り過ぎるまで、変わることは無かった。


「……雲原さん、これってさ」

「……そうですね。鳥羽さんを紹介されたときと、何一つ変わらないと思います」

「だよね」


 日和さんと俺の意見は合致していた。

 つまり、親たちは未だにガッチガチに緊張したままなのだ。

 それをちゃんと理解したことで、思わず俺は嘆息を吐いてしまった。


 しかし、日和さんはそうではないようで首を傾げて呟いた。


「……だとしたら、さっきは何でちゃんと喋れていたんでしょうか?」

 


 


 

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