第12話 失望される勇者


 オレとルージュの過去の因縁を知らぬラスキャブにとっては何が不思議なのか、なぜオレが暦を見て驚いてるのかは分からないだろう。案の定、どうしていいのか分からないという表情を浮かべている。


 一方で、ルージュもまた意味がわからないような、それでいて怪訝そうに何かを考えているかのような顔をしていた。


「ラスキャブ、少しルージュと外へ出てくる。その皮袋に多少は食糧が入っているから、適当に食べておいてくれ。先に寝ていても構わない」

「は、はい」


 オレはそう言ってラスキャブを一人部屋に残し、ルージュと共に部屋の外へ出た。部屋のすぐ隣には裏にある馬車小屋へ続く戸口があったので、そこから表に出た。


 夜だったが、ランプが必要ない程の月明かりだったので歩くのには困らなかった。戸を出たところで丁度いい塩梅で石のベンチが目に入ったので、並んで腰を掛ける。そしてオレはルージュの手を握った。


 こうすれば声を出さなくともルージュと会話ができる。誰かに見られても、魔族の女に入れ込んでいるフォルポスの男にしか思われないだろう。魔族に寛容になった世の中には戸惑いばかりを覚えていたが、こうなってみると利点の方が遥かに大きい事を思い知る。


 ◇


(何が起こっている?)


 そう、心で念じた。


(分からぬが、可能性としては二つ思い付いた)

(なんだ?)

(主様を蘇生する時か、もしくは魔王城からあの窪地に飛んだ時のどちらかで、気付かぬうちに時間が歪んでしまった、といったところか。ひょっとするとその両方であり得ない時間経過が起こったとも考えられる)


 それは確かに考えられる。


 魔法といえども代償や理屈を無視している訳ではない。死者の蘇生も超長距離の移動も時間が関わっていると言えば関わっている問題だ。発動の際に時間を代価にしたとしても十分理は叶っている。


 真相を確かめる術はないが、オレはすっかり納得してしまった。


 すると今度は、原因はともあれ八十年もの歳月が経過してしまったのだという事実の重さが圧し掛かってきた。


 八十年というのは、オレ達の一生分の歳月だ。


 五大人種の中で最も長命と言われているニアリィ族でも、その寿命は百二十年前後だと言われている。


 という事は、つまり…。


 かつての仲間だったあの四人は…。

 オレを裏切ったあの四人は…。

 この怒りの矛先だったあの四人は…。




 すでに死んでいるのかも知れない。




 そう思った瞬間、とてつもない虚しさに襲われた。あれほど燃え盛っていた怒りの炎がたった一杯の水であっけなく鎮火させられてしまったような、そんな虚無感だった。


 そしてその虚しさを後押しするかのように、オレの手からルージュの手の感触が消えた。


 思わずオレはルージュを見た。


 ルージュは氷河の方が暖かく思える程の冷たい眼をオレに向けていた。


 オレにはルージュのような他人の思考を覗き込むような能力はない。しかし、それでも考えている事は手に取るようにわかった。


 ルージュはオレに失望したのだ。


 オレ達二人を繋ぎとめていたのは、魔王とその取り巻きたるかつての仲間に対する怒りだ。戦うべき相手がいないかも知れないと、消沈したオレの感情はルージュには当然伝わっている。繋ぎとめていたモノがなくなれば、当然オレ達は共にいる必要性はない。仮にオレを見限り、新たなパートナーを探すと言い出してもオレにはどうすることもできない。


 …。


 だが。


 それは早とちりが過ぎる。


 ◆


「まて、ルージュ」

「何故だ。私にはもう貴様と共にいる理由はないと思うが? 命の心配をしているのなら無用だ。わざわざ殺しはしないさ、貴様にはもう何の関心もない。預かっているモノも返してやる」


 オレはルージュの言葉に答えずにすっと右手を差し出した。


「別れの握手のつもりか?」


 何の感情もなく、油断したままでオレの手を取ったルージュは竦みあがった。無意識に体が震えていることが手から伝わってくる。


 あの四人が死んだかもしれない可能性だけで一瞬消沈したオレにも非はあるかも知れないが、いくらなんでも見縊り過ぎだ。直接あいつらの死体を目の当たりにした訳でもなし、仮に全員が死んでいたとしても、オレの憤怒の真の矛先は未だご存命だ。むしろ今までは五等分に分けていた的を一つに絞ることができることが嬉しかった。


 ルージュは何も言わなかった、それとも言えなかったのかも知れない。


 自分では、一体どういう顔をしているのか分からないが、少なくともルージュを怯えさせる程度の形相にはなっているのだろう。


「それでどうする?」


 オレはそう問うた。


 ルージュは返事をしなかった。黙ったまま青黒く淡い光に包まれてしまう。


 そして、オレの手には一降りの剣だけが残っていた。


 再び掴んだ剣は、先日よりも手に馴染んだ気がした。


 つい衝動を抑えきれず、上段に構えてから一撃だけ素振りをする。空を切っただけなのに、一つの戦闘を終えたかのような満足感で満たされてしまう。それはすぐにルージュにも伝わったようで、また人の姿に戻った。


 雨降って地固まるとはよく言ったもので、蓋を開けてみればオレとルージュの絆みたいな何かがより強くなったようで安心する。


 まるで恋仲の男女のようだな。


 と、自分で思い立って可笑しかった。そしてそんな考えを思いついたのが、ルージュから手を離した後で良かったとも思った。


 それからはお互いに黙ったままで部屋に戻っていった。何となく謝ろうかとも思ったが、結局どちらからも謝罪などはしない。沈黙だけで十分だったからだ。剣と剣士の関係など、本来は黙して語らずで成り立つ。口にするのはむしろ礼を欠くと言ってもいいだろう。


 それにしても、オレを見限った時と再び信頼を得た時のルージュの眼光の差には驚かされる。今は春の日差しのような暖かさを帯びていて、さっきの氷河の冷たさは面影も残っていない。女というものの恐さは種族の垣根を超えるのかも知れない。


 ◇


 部屋に入る前に、ふと気が付いたことがある。どうすべきか、ルージュの手を取って相談してみることにした。


(ラスキャブには伝えるべきか? オレ達のことは)

(難しいところだな。少なくとも八十年の時間が過ぎているなどという事を言い出したのだ。何かしらのフォローはすべきだと思うが…妙案は思い付かん)


 オレも上手い言い訳などは思い付かなかったが、いつまでも廊下に突っ立っている訳にもいかない。


 部屋に入ると律儀にもラスキャブは起きていた。


「お、おかえりなさい」

「ああ。メシは食べたか?」

「はい。頂きました」


 ラスキャブはそそくさと立ち上がり、オレとルージュの分の食事を簡単に並べてくれた。従者に食事の支度をさせるなんてことは慣れていないので、何ともくすぐったい気持ちになったが、有難く礼を言って食べ始めた。


「なあ、ラスキャブ」

「うわあ! は、はい、お水ですかっ?」

「いや、そうじゃない。話しておこうとおもってな」

「な、何をでしょうか?」

「この期に及んで真相を全て話すことができないのは心苦しいが、理解してくれ。とにかくさっきの新聞を見て驚いたのはオレの記憶している最後の年から八十年が過ぎていた事に対してだ。とある理由でオレとルージュは八十年間眠っていたらしくてな、つい二日前にあの森の手前の草原で目を覚ましたところという訳だ」

「はあ…なるほ、ど?」


 あからさまに全部を飲み込めていないという顔をしているが、ラスキャブはラスキャブで記憶喪失なのだから仕方がない。ひょっとすると八十年の時間の差異よりも、そっちの方が深刻な問題かも知れないと感じた。


「ともあれ、八十年の空白があるとは言え、ずっと閉じ込められていた私と記憶のないラスキャブに比べれば、はるかに主様のが役に立つ場面は多いだろう。これからどうやって歩を進めていくのか、それを決めるのが主様の役目であり、我らがそれに従うという肝心なところは何も変わってはおらん」

「まあ、その通りだな。メシが終わったら寝る前にもう一度だけ今後について相談することにしよう」

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