第4話 事切れる勇者
上手い具合に逃げ出せた。だが、誤算が二つあった。
一つは煙幕目掛けて放たれたバトンとフェトネックの攻撃がオレの左足に直撃していたことだ。何とか矢を抜き取って止血と応急処置は施したが、回復薬も回復役もないオレには、引きずる足を直す術がない。
もう一つは、逃げ出した先が通って来た回廊とは別の回廊に繋がっていたと言う事。魔王の間に着くまでのルートなら把握しているが、ここは未知数だ。おまけに、すでに魔王の手下と一度戦闘をしてしまった。息の根は止めたが、いずれ足取りがばれるだろう。かといって慎重さを欠いて進むことは死期を早めるだけ。
オレはもう、祈る事しかできなかった。
そんな時、不意に誰かの声を聞いた。
【こちらに来い】
声でない声がオレを呼んでいる。
罠。幻聴。神の導き。
色々な考えが頭の中を交錯した。そして結局はその声を頼ることにした。ただ漠然と祈るよりも心が楽だったのだ。
敵か味方かどちらにせよ、声はオレを守っているようだった。分かれ道ではどちらに進むべきか教えてくれ、敵が近づいたら待機させたり物陰に隠れろと指示を出してくる。
お蔭でそれからは一度も敵と遭遇することなく、ある場所へと辿り着けた。どうやらオレを逃がすと言うよりも、声の主はここへ連れてきたかったようだ。
しかし、着いた先を見てオレは声を失った。
そこには覗き込むのですら躊躇いたくなるような、底なしの奈落があった。周りにはギャラリーが座り、奈落を望めるような建物がそびえ立っている。
「…処刑場、か」
始めは闘技場かと思ったが、戦うための場所だとは思えない。むしろ罪を犯した者が恐怖に歪みながら奈落に落ちていく様を、皆で見て楽しむための場所と考えた方がしっくりくるのだ。
「そう思ってくれて構わないよ」
頭に思っただけの感想に答えが返ってくる。途端に冷や汗が背中を覆った。振り向かなくてもそれが誰なのかは分かっている。
「それにしても驚いたよ。あの局面から逃げに転じるとは僕も思ってもみなかった。逃げ延びるのも戦術の一、やっぱり戦いというものを心得ているね」
相変わらず飄々といた魔王が呟く。オレはもう観念した。
「やられたぜ。姿を見せず声だけで希望を持たせて、最後は全部刈り取ろうって算段か」
「ん? 言っている意味が分からないんだけど」
「最後までとぼけやがって。どこまでもムカつく野郎だ」
もう逃亡の道は立たれた。オレは死の覚悟を決める。
ここまで来てしまったなら、オレに出来ることは一つだけ。次に魔王に挑む奴等のために少しでも魔王に損害を与えておく事。少なくとも周りを囲っている四人は刺し違えてでもオレが殺しておかなければならない。
四人は何も言わず、冷たい目でオレを捉える。
前方は魔王とかつての戦友たち。後方は底なしの奈落。
ここまで来ても恐怖ではなく武者震いに震える自分を自分で褒めてやりたい気持ちで満たされた。
だがその時。底なしの奈落の底から、再びあの声がした。
一度目は蚊の鳴くような微かな声。そして一瞬の静けさの後に響く二度目の声は。
【こっちにぃぃぃ来いぃぃぃぃぃぃ】
その刹那、オレの意識は全てその声に奪われた。そうして生まれた隙にシュローナは一点の曇りも容赦もない勢いで戦斧を振り下ろす。
辛うじて剣で受ける反応は出来たが、無駄だった。斧は軽々と刀身を砕き、鎧を割り、オレの肉も骨も喰い千切っていった。そして、その衝撃でオレは奈落へと放り込まれてしまう。
薄れていく意識の中、ほとんど柄だけになった剣を魔王の顔面を狙って投擲する。だがそんな鼬の最後っ屁もフェトネックの矢に阻まれて届くことは敵わなかった。
更にいたぶるかのように、オレの体はレコットの魔法で拘束された。光を縄状に操って束縛するのは、レコットに流れる英雄の血がなせる業。かつてはどんな神聖な聖遺物よりも美しく見えたその御業も、今となっては禍々しい光を放つ毒蛇のように見える。
そこに、これ以上ない程の加虐的な目をしたバトンが血魔術で追撃を加えてきた。自分の血を媒介にする血魔術は禁忌とされている術式だ。そうまでしてでもオレを踏みにじり、冒涜したいのだろう。
シュローナに剣を砕かれ、最後の足掻きはフェトネックに防がれる。
身動きをレコットに封じられ、バトンの血魔術にてオレは討たれた。
血魔術で拵えた赤よりも赤い槍で心臓を貫かれたオレは、一切の抵抗なく奈落の底へと消えていった。
◇
◆
◇
まず最初に頭の中を掠めたのは懐かしい風の匂いだった。
これはオレの故郷に吹く風だ。山から頂から降りてくる風は森を抜ける間に色々な草花の香を孕み、草原に抜ける。そして草原で太陽の匂いと交ざってオレの生まれた町に届くのだ。
町を出て麦穂のような草が茂る草原を南東に進むと、小さくはない窪地がある。町の老人たちは、その昔にいた巨人の足跡だとか、かつての英雄同士の決闘の跡だとか、星が落ちてきたとか、色々言っていた。出来た理由がなんであれ、子供の頃のオレはそこの斜面に寝転がるのが好きだった。周りの奴等は窪地よりも丘の方が日差しも風通りもいいと言って、滅多に他の誰かが来ることはなかった。そういうところも気に入っていた理由の一つだ。
それからもう少し成長すると、その窪地の底で剣の訓練をするようになった。
オレ達フォルポス族は剣に対して厚い信仰を持っている者が多い。それは山岳地帯に住み、鉱物を掘り、たたらの熱に育てられ、鍛冶鉄工に生きることで歴史を築いてきたからだと町の老人たちから耳に胼胝ができるほど聞かされた話だ。
フォルポス族の男は十人いれば十人が鉄と炎と共に生きるとまで言われており、そこで鉄を打つか、鉄で撃つかが半分に分かれる。
屈強な剣を作る鍛冶工を夢見た時期がなかったと言えばそれは嘘だ。戦うのも死ぬのも、反対に誰かを殺すのもとても怖かったことを覚えている。できることなら血ではなく
けれども、その考えを改める機会は突然にやって来たのだ。
◇
「妹と弟が魔物に殺された」
無情に告げられたのは九歳の誕生日が間近に迫った時の事だった。
その日から十年間。夢を捨て、体を鍛え、故郷を出て魔王討伐の旅に出る段になっても、結局オレはそれ以上のことを両親から教えてもらえなかった。
仔細を思い出したくなかったのか、それを話せば魔王討伐に燃えるオレの意思に水を差すことになると思ったのか、それとも別に理由があったのかは遂に分からず終いとなった。
幼い弟妹たちの命を奪われた、その怒りからオレの旅は始まったんだ。
◆
…。
……。
………。
…畜生。
畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生。
あいつら…。
絶対に許さねえ。
怒り以外の感情が湧いてこない。オレの心はあの日から雁字搦めにされた。怒りから始まった旅は怒りで終わると思うと、さらに怒りが湧き上がってくる。
その激情に応えるかのようにピクリと指先が動いた。そこで初めてまだ身体が残っていることと、まだ死んでいないということに気が付いた。目を閉じたまま鉛のように重たい右腕を胸に這わせる。砕かれた鎧はそのままであったが、斧と魔法で貫かれた心臓の傷は塞がっていた。
あの状況から助かったのか?
疑問は浮かんだが、この際もう何もかもがどうでも良い。
ゆっくりと開いた目に飛び込んできた景色は、まるでオレとは正反対の澄んだ青い空だった。
けれど、もうその景色を美しいとは思えない。色々なものにオレは絡めとられてしまっている。
オレに残された自由は激怒だけだ。
そう心の中に過ぎった時、確かな声を聞いた。
「目が覚めたか?」
それはあの時、あの城の中でオレを導いたのと同じ声だった。
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