第1話 裏切られる勇者

「いよいよだな」


 地獄で感性を磨いた職工が作ったようなおどろおどろしい扉の前で、オレは皆の顔を見た。


 オレの言葉に四人が頷いてくれる。


「最後にきちんと回復しておくね」


 そう言ったのはこのパーティで治癒術を担当してくれているレコットだ。途端に五人が白と緑が合わさったかのような淡い光で包まれる。それが治まると残るのは湯浴みをした後のような爽快感だった。


 ふうっと、レコットが息を漏らす。この魔王討伐の旅路はレコットのような華奢な体つきの女には想像を絶するような苦痛だったことだろう。それでも弱音の一つも吐かずにここまで辿り着いた彼女を、オレは心の底から尊敬する。


「…勝てるかな」


 ふと、そんな弱音が聞こえた。


「勝てるに決まってるさ」


 そして、すぐさまにそんな弱音を掻き消す力強い言葉が飛ぶ。


 幾度も見てきたフェトネックとシュローナのやり取りももうすぐ見納めになるだろう。


 弓使いとしてパーティの殿を務めていてくれたフェトネックは、職業柄かかなり用心深い。始めの頃はその心配性に苛立ちもしたが彼女のお陰で事前に対処できたトラブルは数えきれない。翼を持つ特殊な一族の出ということもあり、空を制することの心強さと、空を制されることの恐ろしさの二つを教えられた。


 そして、そのフェトネックの隣で豪快に笑うシュローナ。


 女だてらにシュローナの持つ男顔負けの肉体能力と戦闘のセンスはオレ達の闘いの要だった。向こう見ずで無鉄砲な性格だったが、彼女の竹を割ったような性格のお陰で、立ち止まったり躓いたりしてもここまでやってこれたのだと思う。


 その内にレコットまで加わり、いつの間にか談笑し合っている。


「決戦前だというのに、全く仕様がない奴等だ」


 オレが頭に思っていたのと同じ言葉をバトンが代弁してくれた。その言葉にオレとバトンは笑いあったのだから人の事は言えない。


 バトンは魔術師としてパーティを支えてくれたオレが最も信頼している男だ。彼の知識は魔法のみならず、地理、歴史、文化、宗教に経済から流行の菓子に至るまで幅広くあらゆる困難を解決する糸口を見つけてくれた。


 かつてのオレは勉学など文字が読めて買い物の時に勘定ができればそれで十分と思っており魔術に頼り自分を鍛えようとしないバトンとは馬が合わなかった。


 けれどもそれは大きな誤解だった。


 今となっては彼以上に、甘やかさずに自身を鍛え上げ、昇華することに貪欲な者をオレは知らない。


 オレは門を背にして、ここから始まりの町を思い浮かべる。


 ここまでの道程。

 ここまで積み重ねた経験。

 ここまで出会った人達。


 そんな感傷的なことが頭にフラッシュバックする。


 尤も目に入る光景は先ほど倒した魔物たちが死屍累々となっているので、気分のいいものじゃない。


 もう一度、オレは全員の顔を見渡した。


 このパーティならどんな敵が相手でも勝てる。


 この魔王の城までの旅は自信を確信に変えるには十分すぎる程だった。


 臨戦態勢を保ったまま扉を押し開ける。重々しい見た目とは裏腹に、難なく開けることが出来た。


 中は王宮を思わせるほどの豪華な造りになっている。陰惨で陰鬱な場所を想像していただけに一瞬のだけ心を奪われた。


 魔王を模して造られた彫刻や絵画を気色の悪い装飾を除けば、楽園と言われても納得のいく広間だ。金銀や宝石を散りばめられた柱や磨かれた石の床などは、この世界にいるどの王族よりも高級だと思う。


「らしくねえ所に住んでいやがる」


 広間の雰囲気に飲まれぬよう、憎まれ口を叩いて自分を鼓舞した。そして、きっと奥の玉座にのうのうと腰かけている魔王を睨みつけた。


 ◇


「やあ。待ちくたびれたよ」


 オレ達を見た魔王はそんな気の抜けた挨拶をしてきた。


 どういう原理かは分からないが、奴はこれまでに幾度もオレ達の前に幻影となって現れては安い挑発を繰り返してきた。他にも魔王討伐を目標に掲げるパーティはそれに攪乱され、命を落としていったのだ。


 魔王は正しく異形そのものだ。俺たちとは根本的に姿が違う。体格こそオレ達と似通ってはいるが、まるで毛の抜けた猿が服を着たかのような禍々しい顔をしている。筋肉や骨格はまるで女のように弱弱しい。だが魔力でその全てを補い、神の如き力を振るう。


 悔しいことに一対一の闘いであったのなら俺は奴には勝てないだろう。


 だが、オレは一人ではない。


 五人の力を合わせれば、負ける未来などは全く見えない。


「待たせて悪かったな」


 魔王の挨拶に応じてやる。殺意も敵意も止めどなく溢れ出てくるのに、心は馬鹿に穏やかだ。


 オレが返事をするとは思っていなかったのだろう、少々驚いた顔をした。しかし、それもすぐにいやらしい笑みに変わる。


「返事をしてくれるなんて嬉しいなぁ」

「まあ、最後くらいは応じてやる」


 魔王はさも造作ないように空へ浮いた。羽もないのに飛ぶ様はやはり奇怪だが、いい加減慣れもした。


「けど、本音を言えば辿り着くとは思っていなかったよ。直接手は出さなかったが、結構本気の妨害だったんだ。計算を間違えたかな」

「オレ一人だったら、お前の思惑通りだったかもな」

「頼りになる仲間が四人もいるのは羨ましい」


 オレは笑った。心にゆとりがあるというのは素晴らしいと思った。この魔王を前にしてのらりくらりと言葉を交わせる。


 ◆


「さて。もしも勇者が本当にここまで辿り着いたその時は、言ってみたかった台詞があるんだ。」

「言ってみろよ。遺言代わりに聞いてやる」


 そう言うと、いかにも勿体ぶった咳払いの後に言葉を吐いた。


「もし、俺の味方になるんなら世界の半分をお前にやろう。どうだ? 俺につかないか?」

「…」

「ここまで頑張ったんだ。世界の半分を手にすれば割に合うだろう? 欲しくはないか?」

「…世界か。欲しいな」


 オレの返事に後ろにいた四人がざわつく。


「おい、本気か」

「魔王につくつもりかよ」

「…」

「そんな…」


 本当に余裕というものは恐ろしい。ただ、悪ふざけもいい加減に潮時だ。オレは剣を抜いて、そして言った。


「世界は貰うさ。ただ、貰うのは半分じゃなくて丸ごとだ。お前をぶっ殺してな」


 折角格好つけられる場面なのに、もっと気の利いたセリフが言えない自分を呪う。だが、それでいい。オレなんてのは所詮その程度の男だ。


 だからこそ、仲間に出会えたんだ。


「本当にお前が羨ましいや。仲間が四人というところがいい。リーダーを中心に四人の個性豊かなキャラクターがパーティを彩るなんて、すでに様式美だな。お前らは無自覚だろうが、どの世界でも黄金比って奴はあるらしい」

「何をほざいていやがる」

「まあ聞けよ。五人一組というのは綺麗だなって話さ。もしくは信頼のおける相棒との二人組っていうのも乙だ。でも誰ともつるまない孤独の戦士というのも捨てがたい」


 魔王は広間の中を巡回するように歩きながら、能書きを垂れ始めた。


「僕は今までは三番目だった。一人きりで戦ってきたんだ。まあ手下みたいなのは大勢いたけどな。けど俺の立場だって仲間はいていいはずだと、最近考えを改めた。魔王が従える四天王なんて言うのは、これもまたお約束だろう」

「…」

「まあそんな目で見るなよ、もう話は終わるから。で、四天王だ。本当ならこの城の要所要所に配置して如何にもな決戦の舞台を作りたかったんだが、間に合わなかった。けどがっかりしないでくれ。ギリギリになったけれど、どうにか僕との決戦前には四天王を用意することが叶った」


 言葉巧みにこちらのペースを乱すのは奴の常套手段だ。よく分からない単語を並べたところで、今更惑わされはしない。


 けれども、オレの中の本能が何か嫌なものを感じ取っていた。


 さっきまでの心のゆとりは嘘のようになくなり、自分の心臓の音が広間にこだましている様な気になった。


「だから僕と戦いたいならその前に、折角用意した四天王と戦ってくれ。お前にとっては中々の強敵になるだろうから頑張ってくれよ。信じてもらえないかも知れないけど、僕はお前には結構期待してるんだ」

「…だったら、さっさとそいつらを連れて来い」

「ああ。すぐに連れてくるさ…というより」


 魔王は細い指を立て、真っすぐにオレを指差して言った。


「もうお前の後ろにいる」


 ◇


 その言葉をきっかけに、パーティのメンバーが武器を構える気配が伝わった。どんな状況でも、すぐに戦いを始めることが出来るのはいつも通りだった。


 ただ唯一いつもと違っていたのは。


 皆が武器で狙う先にいるのが、他ならぬオレ自身だったということだ。

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