第36話20世紀の終わり

2001年から賢が通う幼稚園への入園も無事に決まり、ほっとして落ち着いた状態で20世紀を終えて、21世紀最初の元旦は私の実家で迎えた。私が賢をつれて、大晦日の夕方から泊りがけで実家のほうに遊びに行って、賢を早々に寝かせて、私たちは20世紀最後の紅白を見ながら、

「20世紀もあともう少しで終わるんじゃねぇ。」

とか言いながら元旦を迎えて、新年の挨拶と年越しそばを食べて、ひとまず眠りにつつき、翌日、実家の近くの神社に初詣に出かけ、賢と私たちみんなが元気に過ごせますようにお祈りをして、姉の子供たちの遊び相手をしながら時間を過ごし、夕方借家のほうに帰って、元嫁とも新年の挨拶を済ませて、大家さんに新年の挨拶を兼ねて日本酒を持って伺って、挨拶を済ませてその夜、これから賢を育てていく上でどう接していこうか話をした。その中で話があったのが、私が考えていたことなのであるが、やはり

「兄弟がいたほうがいいのかなぁ」

ということであった。兄弟がいれば、もし私たちがいなくなっても、お互い助け合っていくことができるんじゃないか、と考えていたので、そのことも話をしてみたが、さと子は

「まぁそのうちまた子供もできるんじゃない」

と言っていた。

 この時は元嫁の言動や行動も落ち着いていて、これならきっとうまくやっていけるんじゃないかとも思っていた私である。そして、賢の入園式を目前に控えた3月の終わりごろ、さと子が

「最近生理が来ていない」

ということを話していたので、そのときは妊娠しているとは思わなくて、何か悪い病気にでもかかっているんじゃないかとも思ったので、

「産婦人科で診てもらったほうがいいんじゃないか」

と言って、産婦人科に行って診察してもらうと、妊娠していることがわかった。出産予定は10月の終わりごろだということもわかり、息子の入園と妊娠というおめでたが重なって一時おめでたい空気が、私たちを取り囲んでいた。そのことを母に話すと「あんたたちも妊娠したの?」

というので、

「あんたたちって他に誰か妊娠したのが誰かおるん?」

と聞くと、

「姉が9月に出産予定って言ってた。」

というので、これには正直私も驚いた。さと子も、

「おめでたいことが重なってお父さん・お母さんも嬉しいんじゃない?」

と言っていた。私の両親は、出産が続くので、

「今年の後半は大変じゃぁ」

と嬉しい悲鳴を上げていた。こうして元嫁の妊娠がわかった状態で、息子の幼稚園の入園式の当日を迎えたのであった。

 このときは、まさかほんの8年ほどで家庭が機能不全に陥り、完全崩壊するなど、夢にも思ってなかった私である。

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