第21話親子の絆

インフルエンザも完全に治って、それからは順調に仕事もこなしていた私である。2000年3月で2歳になる賢も、言葉の発達の遅れはあるものの、いくつかの単語を組み合わせておしゃべりができるようになって来た。その中でも一番うれしかったのが、賢の口から初めて

「お父さん」

という言葉を聞いたときである。本当にこのときは涙が出るくらいうれしかったのを今でも思い出す。他の子供に比べたら言葉の発達は遅いかもしれない、自閉症という知的障害を併せ持ったハンディキャップがあるかもしれない。他の子供に比べたらひとつのものに強い執着心があったり、理解できない行動を取ることがあるかもしれない。でも、賢は息賢りのスピードでゆっくりとではあるが、確実に成長しているんだということを実感できた瞬間であった。私が仕事を終えて、賢が

「お父さん」

と、お出迎えしてくれることがこんなにうれしいことだったなんて自分でも想像できなかった私である。私自身も小さい頃、こうやって私の父を出迎えてたのかなぁなんて考えたりしていた。ただ、まだこの時点ではお父さんだけで、そのあとのお帰り~とかの二語文までにはいたらなかったのであるが、それでも子育てをしてきて、本当にうれしかった。そしてこの頃から私が始めたのが、数を数える練習と体の各部分の名前を教えること。風呂には毎日入るので、風呂から上がるとき1から10まで数えて、ついでに英語での数え方も教えて、体の各部分の名前は、体や頭をこするときに、毎日教えていた。その甲斐あってか、2歳になるころには数字の数え方や体の名前などは言えるようになった。ただ、体の名前は、私が勝手に歌を作って賢にとって覚えやすいように頭から足の先まで順番に教えたので、順番にこれは何?と聞かないと、なかなか体の名前と賢の言っていることがマッチしないことのほうが多く、これは何?とランダムに聞かれて正しく答えられるようになるまでは、かなり時間がかかった。それでも毎日続けた甲斐があって、少しずつですが正しく言えるようになっていったので、今改めて考えてみると、試行錯誤しながらも、あの頃の俺って頑張ってたよな~と思う私である。やはり自分の息子だから、息子のためと思ってできることなんだなと実感した私である。


*この後の発達はほかの健常児に比べると遅かったのであるが、それでもそれ以前に比べるとだいぶ成長曲線が上向いていたので、やはり普段からの言葉がけや、規則正しい生活が何より大事なんだと思う。あくまでも成長には個人差があり、もう少し年齢が上になって伸びる子もいるし、息子の年齢よりも早い段階で言葉が話せるようになる子もいるので、私が書いている記録は、参考にはなると思うが、子供の実情に合わせた療育を心がけていただけたら幸いである。

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