第3話賢誕生
翌3月10日、帝王切開の手術が昼過ぎから始まるため、早目に私は昼食を済ませてから、病院へと車を走らせた。やがて、ストレッチャーに乗せられたさと子が私の前にやってきて、私は
「頑張れよ。元気な賢を生んでくれ」
そう言うとさと子も
「ありがとう。頑張ってくる」
そう言って、手術室へと入っていった。病院の待合室で待つ時間はゆっくりとすぎていき、まだ生まれないのかと思って時計を見てみると、さっき時間を確認してから10分ほどしかたっていない。そして、幾度となく時間を確認しながら待っていると、元気な産声が聞こえてきた。やがて看護師さんが生まれたばかりの賢を抱っこして、
「おめでとうございます。元気な男の子ですよ」
と言って、賢を見せてくれた。体重は3000グラムほど。小さな手足をバタバタさせながら、元気に産声を上げて賢は誕生した。やがて賢は保育器にいれられて、それからしばらくして、出産という大きな仕事を終えたさと子がストレッチャーに乗ってやってきた。私は
「お疲れさん。よう頑張ってくれた。ありがとう」
そう言うと、さと子は
「賢はどんなじゃった?元気じゃった?」
そう言っていた。私が
「元気に産声を上げて保育器の中に入っていったわ」
と告げると、安心したようにほっと一息胸を撫で下ろしたように見えた。そして、病室へと運ばれて行って。こうして賢は3月10日に無事この世に生を受けることができた。くしくもこの日は太平洋戦争で、東京大空襲が起きた日。きっと賢は平和を願う人の想いも背負って生まれてきたのかもしれないと思った私である。
病院を出るときに、役所の出す出生届を受け取って、その日のうちに賢の出生手続きを済ませて、家に帰った。
その日は無事に賢が生まれたことを祝って、そして私が父親になったことを祝って、ちょっとしたパーティーが実家で行われた。私も父親になるって、どんな感じなのかなと思っていたのであるが、それはやはりしっかり守ってやらないといけないという覚悟というか、決心みたいなのが湧いて出てきた。どんなことがあっても賢は絶対に守っていく。そういう思いでいっぱいであった。やがて夜も更けていき、早く寝ないと仕事に差し支えるため、風呂に入って就寝。
翌日、私は仕事が終わると、病室にさと子の様子を見に行った。この時は、熊毛の両親も来ていて、一緒に見に行くことになった。私の両親も昼間、行ったようで
「元気にしちょったよ」
と言っていた。病院に着くと、まずは賢の様子を見にナースステーションに行って、お世話になっている看護師さんに挨拶を済ませて、案内してもらった。賢の隣には早産で産まれた未熟児の赤ちゃんがいて、賢との体の大きさはかなり違って見えた。その未熟児で生まれた赤ちゃんもきっと今頃は立派に成長して、元気に暮らしていることだろうと思う。熊毛の両親も
「おうおう、あんなに手足を動かして。可愛いねぇ」
と言っては目を細めていた。この日はさと子も始めて賢を抱くことができたみたいで、母乳を飲ませる練習なども始まったという。私も抱いてみたが、意外と重たい。見た目はとても健康そうに見えたので、安心して病室を出た私達である。いったん家に帰った後、熊毛の両親は帰っていった。そして、私も遅い夕食を済ませて、その日は過ぎていった。
賢が産まれたのは、長野オリンピックが終わった直後。賢の出産がなかったら、長野オリンピックの観戦に行こうかなどと話していたのであるが、賢の出産が間近ということで、テレビで観戦していたのであるが、やはり日本人選手の活躍には勇気をもらった。ジャンプ団体の逆転の金メダルや、スピードスケートの選手の活躍など、大いに盛り上がった。このほかの競技でもたくさんのメダル獲得にわき、日本中を感動の渦に巻き込んだのを今でもはっきりと覚えている。
そのオリンピックの興奮冷めやらぬ中、生まれてきた賢は発育も順調で、1週間もしないうちに退院して、家での生活が始まった。出産を終えて間もないということで、しばらくは両親の家に世話になることになったのであるが、家に帰るとやはり慣れないことが多くて、子育ての先輩である両親にあれこれ聞くことが多かった。風呂の入浴のさせ方からおむつの変え方、ミルクの飲ませ方など、いろいろと教えてもらって2週間が過ぎていた。
3月の終わりごろアパートに帰ってみると、普段私たちが車を停めていたところに見知らぬ車が停まっていた。車が停められないので大家さんに連絡してみると、二階に新しい人が入居したのでとりあえず空いているところに車を停めてもらったという事であるが、私が停めていた所だったため、車があるということは在宅だろうと思い、2階の新しくやってきた住人に挨拶もかねて車の移動を申し出たところ
「あんたら誰?」
というような如何にも不機嫌そうなものの言い方をするので、私が
「子供の出産で里帰りしていたから停めてなかったけど、ここは俺が車を停めていたところ。悪いけど、ちょっと移動させてくれんか」
というと、
「クッソめんどくせぇなぁ」
などと文句を言いながら車の移動をし始めた。この新しくやってきた、ちょっとヤンキーっぽい兄ちゃん、後々問題を起こすのであった。そして賢であるが、後に知的障害を伴う自閉症という診断が下されるなど、この時は夢にも思ってなかった私達である。
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