第2話さと子の妊娠
新婚旅行から帰ってきて、一日休みをはさんで、月曜日から普段の仕事が戻ってきた私。ゴールデンウィークも過ぎて、6月に入ると、
「そろそろ子供が欲しいね」
ということになり、毎晩子作りに励んでいた私たち。お盆休みに入って、実家やさと子の叔母の家などに挨拶を兼ねて出かけた。姉夫婦も和君を連れて帰ってきていた。和君も1月に生まれて、7か月が過ぎて、体つきもだいぶ大きくなっていて、ハイハイしながらあちこち行くので、姉が
「目が離せん」
と言っていた。その時、さと子から
「そういえば最近生理が来てないんじゃけど」
ということが知らされた。
「ひょっとしたら懐妊したんかもしれんね」
ということで、ちょっとしたお祝いムードになった。 お盆休みが終わって、産婦人科に行って検査してもらったところ、妊娠しているという事であった。出産は来年3月終わりという事であった。そのことを報告すると、私の両親からも
「おめでとう」
の言葉をかけてもらえた。そして熊毛の両親、小野田の叔母やさと子の弟にも伝えて、お祝いムードが高まった。このころになるとさすがに吹奏楽OB・OGバンドに顔を出すことも控えて、あまりさと子の負担にならないように私が休みの時は、私が家のことをすることも多くなった。やがて秋も深まってくるとつわりも始まり、さと子は食べ物の匂いでも吐き気を催すようになったので、食事は私が、時間がある時は作るようになっていった。そして、お腹もだんだん大きくなってきて、妊娠線も見られるようになってきた。私は女の子が欲しいと思っていたので、頭の中は女の子の名前でいっぱいであった。そして詳しくエコー検査をしてもらうと、男の子だということが分かり、自分の苗字と合わせてみて、どんな名前がいいか人名辞典でいろいろと調べて、こういう名前にしようということで、
「賢」
という名前に決めて、その時からお腹の中の賢にその日あったことなどを聞かせていた。いわゆる胎教っていうやつである。その他にも私が、音楽が好きなので、いろんなジャンルの音楽を聴かせては、将来どんな大人になるんだろうとか、どんな顔をしてるんだろうなどいろいろと想像を巡らせては、賢と会える日を楽しみにしていた。
やがて、和君が生まれた1997年も終わりを迎えて、さと子も安定期に入ったので、太り気味だったので、少し運動しなさいと言われていたので、いろいろと散歩に連れだしたりしたのであるが、もともと出不精なうえに面倒くさがりな性格もあって、運動ということをしなくなり、産婦人科の先生からは
「このままだと妊娠中毒症の危険性がある」
と言われて、ようやく運動を始めたのである。確かこの時、さと子の体重は80キロくらいあったのではないかと思う。妊産婦でいくら体重が増えやすいとはいっても、やはり体重が増えすぎだったようである。
やがて1998年が幕を開けて、私は親戚やさと子の叔母の方に挨拶に行ったのであるが、さと子は出産を控えていることもあって、あまり車で連れて回って、もし何かあってはいけないということで、おとなしく家で待たせることも多かったのであるが、アパートから近い実家には顔を出して、皆でお正月の祝いをした。1月で1歳を迎える和君も、このころになると歩けるようになっていて、姉も余計に手がかかるようになったと言っていた。
お正月休みが終わると、休みを使ってベビー用品を色々と買いそろえて、出産の準備も本格化。産婦人科での検診では順調にお腹の中で成長しているという事であった。そして姉は、出産経験者として、さと子にいろいろとアドバイスをしていた。出産までにしておかなければいけないこと、用意しておかなければいけないことなど、いろいろとさと子に教えてくれていて、私としては大変ありがたかったのであるが、さと子としては「何よ。ちょっと先に子供を産んだからって偉そうに」
などと文句を言っていた。最初、私は出産を控えていて、ナーバスになっているのだろうと思っていたが、あまりにも私から見て悪態をつくので、
「お前な、皆いろいろと心配して言ってんじゃろうが。少しはありがたいと思え」
というと
「何よ。あんたのお姉さんはしょっちゅう実家に帰って親に頼ってから。私には頼りたい親なんかおらんのじゃけぇね」
など言うので、私もこれ以上言い返すと、後々面倒なことになると思ったので、
「もうお前の好きなようにすれば?」
それだけ言い残して、それ以降その日はさと子とは会話をしなかった。
翌日、さと子は前日のことを
「ごめん。昨日は言いすぎた。私もちょっとイライラしていたみたい」
などと謝ってきたので、私もそれ以上引きずりたくなかったので、普通に会話をするようになった。そして、いよいよ出産の時が来たのであるが、賢は逆子であることが分かっていたため、帝王切開で3月10日に産まれることになっていた。3月8日から私は出産のため、仕事を休むことになっていて、さと子もしばらくの間、私の実家で出産前後を過ごすことになっていた。3月9日に地元の総合病院に入院して、私はいったん家に帰って、翌日を待つことになったのである。
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