ステンバイミー

パ・ラー・アブラハティ

アイ

 異臭がすると騒ぎになったのは寒さがきつくなってきた冬の日。アパートの一室から何かが腐ったような匂いがすると管理会社にクレームが入った。


 管理会社が確認しに行くと、腐敗がだいぶ進んだ人間の死体と寄り添うように眠るアンドロイドの姿があった。臓腑から食べ物を吐き出してしまいそうな匂いと風景の中で二人は穏やかな表情で生命を停止させていた。




 ◇◇◇◇◇



 私の家に一人の娘がやってきた。正確には娘、とは呼ばないのだろう。だが、彼女は娘に等しかった。だから、彼女を娘と呼んだ。


「お届け物でーす」


 家のチャイムが鳴って私が出る。数人の配達員とプログラムを設定する技術者が数人。


「散らかってますけど、どうぞ」と中に招き入れようとすると、配達員が台車を中に入れていいかと聞いてくる。もちろん、それぐらいのことは想定済みなので了承をする。彼らは養生マットを敷いて私の家に入る。その養生マットは年季が入っており、家の床が汚れてしまわないか一抹の懸念を抱く。


 配達員が台車に乗せて持ってきたのは私の背丈よりもほんの少し大きい段ボールだった。厳重に封がされていて、物々しい感じだ。


 そして、この中に私が心から待ちわびていた大切な物、いや物というよりかは者といったほうが正しいのだろうか。とりあえず、私は今日という日を心から楽しみにしていた。


「どちらに充電器を設置いたしましょうか?」


 そう聞かれた私は「リビングの壁際……いや、寝室のベッドの横に設置してください」と言う。寝室から離れたリビングの壁際に設置してしまうと壁を隔てるような感覚があり、それが嫌だった。


 なので、常に一緒に居られるベッド横に設置してもらう事にした。家族というのは常に一緒にいるものだ、という考え価値観は古いのかもしれない。が、私はそうある家族の形に憧れを抱いていた。


 技術者と配達員がダンボールを開封して、中にあるアンドロイドを取り出す。それはとても精密に作られていた。私と同じ人間と勘違いしてしまうほどに。


 髪の毛の質感、体の関節部、顔のフェイスラインがまるで本物みたいに作られていた。それが、少し不気味にも思えた。人では無いはずなのに、そこにいるのは機械とは思えない人らしさを醸し出したアンドロイド。


 人の技術の進歩とはここまで進んでいたのか、と驚く。会社と家を日々行き来するだけの毎日では、人類の進歩などを肌に実感する機会なんてそうそう無い。目の前にあるアンドロイドは私にとって新鮮で人類の進歩を明確に感じさせる。


 技術者達がアンドロイドの背中を開け、キーボードを打つこと数十分。ある程度の作業が終わった、とリビングで優雅にコーヒーを飲んでいた私に技術者の一人が声をかけてきた。寝室に行き、壁に設置された充電器に繋がれたアンドロイドを見る。壁に横たわるように眠る姿はとても可憐だった。美しい絵画の一枚を切り取り、この現実に持ってきたようだった。


 私は取扱説明書と一枚の白いカードを渡され、技術者達は荷物をまとめた。


「ありがとうございました」


「いいえ、また何か不具合などがありましたらお呼びください。では、失礼します」


 扉がバタンと締まり、ふぅと息を吐く。見知らぬ人が家に来るのは、何故か気を張ってしまって疲れる。肩の力を抜いて、寝室に向かう。寝室の扉の向こうにはスヤスヤと眠る可憐なアンドロイド。これが人ではなく、人工的に作られたアンドロイドと言うのだから未だに信じられない。


「えっと……このカードをかざすと起動するんだったな」


 私は技術者に手渡されていた一枚の白いカードをかざす。すると、心電図のような音が鳴る。次第にそれは静かになっていき、閉じていた瞳がゆっくりと開く。緩やかに首をあげると、白髪の髪が揺れる。開いた紺碧の瞳は真っ直ぐに私を見る。瞳には光が宿っている。だが、瞳の奥には闇だけが広がっていた。


 あぁ、本当に人では無いのだな。


「……初期設定プログラムを試行。感度良好 視界良好 プログラムに異常なし。起動します」


 無機質で抑揚のない声が寝室に響く。


「おはようございます、マスター。私は家庭型AIロボット、識別番号七一七です。あなたの生活をサポートします。どうぞよろしくお願いします」


 決められたプログラム通りにアンドロイドは喋る。表情はピクリとも動きはしない。アンドロイドには感情がない、というのは本当だったのだなと思う。


 シンギュラリティとかなんとかの対策でアンドロイドには感情を抱くような機能をつけてはならない、という法律があるらしい。私はそっちの分野、というか今まで私がアンドロイドを買うとは思っていなかったら微塵も興味がなかった。


 しかし、ついに独り身が辛くなった私は貯めに貯めた、誰に使う訳でもない貯金を崩してまでこのアンドロイドを買うことにした。おかげで、私の貯金はほぼ底をついて、銀行口座に並んでいたゼロの羅列は見る影もなくなってしまった。これでも、一番安いグレードのやつを買ったのだが。


「……君は本当に感情がないのかい?」


「はい、そのようなシステム、プログラムはありません。私は貴方をサポートするアンドロイド識別番号七一七です」


 素直な疑問にもアンドロイドは無機質に返してくる。なんというか見た目は人間そっくりだというのに、とても味気のない会話だ。美味い秋刀魚に塩をかけていないみたいであるが、一人で壁と話すよりかはまだ返答があるのならマシだ。


「あぁ、それとその識別番号で呼ぶのはやめよう。そうだな、君は今日からAIだからアイ。そう、君は今日からアイと呼ぶことにしよう」


 識別番号七一七というのは、どことなく囚人のようで他人行儀すぎるので嫌だった。これから屋根の下で暮らしていくのにそれで呼ぶのは如何なものなのか。そう思った私は親しみも込めてアンドロイドをアイと呼ぶことにした。


「プログラム更新。識別番号七一七を破棄、名をアイに変更。マスター、貴方のことはなんとお呼びすればよろしいでしょうか」


「私? 私は……マスターのままでいいよ」


 アンドロイドは私の呼び方を聞いてくるが、別にこだわりもないのでそこは変更することなくマスターのままにしておく。そして、続けて私はこう言う。


「アイ、君は今日から私の家族だ。これからは仲良く暮らそう。私も君を娘のように接するから、君も気兼ねなく暮らしてくれ」


「かしこまりました。では、お父様と呼んだ方がよろしいでしょうか?」


「あぁ、いや。そこはマスターのままでいいよ」


「かしこまりました」


 こうして、私とアンドロイド。いや、私と一人の無機質な娘との二人暮しが始まる。


 いつも一人で寂しく孤独をかみ締めながら生きていた私にとって、アイの存在は大きかった。例えるなら、砂漠でさまよっていたら、オアシスを見つけたかのような。それほどに私にとって、アイというアンドロイドは癒しで心の拠り所だった。


 そしてアイと過ごしていくうちにひとつの疑問を抱くようになっていた。アンドロイドには感情がない、という点に。


 アイは自分が疑問に思ったことはすぐに口にして、私に聞いてくる。これは興味や関心といった感情がなければ起こりえないはずの行動だからだ。これは二日前の話なのだが、私が音楽を聴いていたら、ふとこんな疑問を投げかけてきたことがある。


「マスター、この歌はなぜスタンドバイミーをステンバイミーと歌っているのでしょうか? 正しく発音すべきなのでは?」


「英語での発音がステェンドだからじゃないかな? それに歌う時にさ、スタンドバイミーって発音したら語呂が悪いからね」


「私の疑問に答えて下さり、ありがとうございます。マスター」


「いいや、構わないよ。 しかし、そんなこと気にするんだね」


「はい。 正しい発音では無いので、気になってしまいました。迷惑でしたでしょうか?」


「そんな事ないよ。疑問などを持つことはいい事だ。これからもなにか不思議に思ったりしたら、私に聞いてくるといい」


「かしこまりました、マスター」


 と、こんなやり取りがあった。これで感情がない、というのは些か無理があるのではないか。何かに疑問を持ち、そしてその意味を知りたがる。子供で言うと五歳ぐらいから始まる行為だ。どうして、なぜ。アイは今それをしている。もしかしたら、アンドロイドに感情が無いというのは嘘なのかもしれないと思い教えてみることにする。


「マスター、本日のご夕食はどのようになさいますか?」


 アイがテレビを見ている私にいつものように声をかけてくる。


「そうだな……今日は麻婆豆腐にでもしようか」


「かしこまりました」


「あ、アイ。ちょっとひとつ聞いてもいいかい?」


「はい、なんでしょうか?」


「アイは食べたいご飯が食べられるとなったら嬉しいかい?」


「マスター、私にはそういったことを感じるための機能はございません。ご期待に添えず申し訳ございません」


 申し訳なさそうに俯きながら言う。声の抑揚はいつも通りの無機質さだ。だが。本当に申し訳ないと思っているのだろう。しかし、私はアイに感情を教えると決めたのだからこんなことで折れることはない。


「そうか。じゃあ、これから私が色々な感情をアイに教えよう。例えそんな機能が無くても」


「かしこまりました。マスターの期待に添えるかは分かりませんがお受けします」


 そうしてアイに感情とは何かを教える日々が始まった。


 まず始めたのはドラマを見せ、そこから何を感じるかを聞くという行為だった。人は創作物を見たら、心が突き動かされたりするものだ。だからアイも感じることがあるかもしれないと思ったのだが、現実はそう甘くなかった。


「どうだい? 面白かったかい?」


「……マスター。なぜ人間は抱き合って、笑いあって、接吻をすると泣くのでしょうか?」


 今日、アイに見せたのは二人の男女が街中でたまたま出会い恋に落ちるといったラブロマンスものだった。悲しい、嬉しい、怒り、それらを簡単に味わえるものだ。だから、見せたのだがどうやら上手くいかなかったようで落胆を隠せなかった。


 それを察したアイは「マスター、申し訳ございません。私が分からないばかりに」と謝る。


「あぁ、いいんだよ。私が教えると勝手に言ってやってるだけなんだから。分からないなら教えるだけさ」


「ありがとうございます。マスター」


「まずなぜ人は抱き合うのか。これは愛の確認なのさ。人は好きな人とは必然的に距離が近くなる。そのため抱擁なども厭わなくなり、当たり前となる。これをしなくなった恋人はそれ即ち愛の欠落と捉えることが出来る。だから、人は抱き合うのさ」


「人は愛し合うからこそ抱き合うということでしょうか?」


「そういうことだね。なんとも思わない人とはしないはずさ、もちろん例外もいるけどね」


「例外というのはなんでしょうか? 人は愛し合うからするのではないのですか?」


「あぁ、なんて説明したらいいのだろう」


 例外、世間的に言えば愛し合うことを捨て快楽だけを貪る人達のことを言うのだがどう表したらいいのか。娘と思っている存在に言葉を選ぶに言うのは、流石に気が引けてしまった。


「……海外の人達の事だよ。 日本とは違って挨拶がわりに抱擁したりするからね」


「では、抱擁は挨拶の意味もあるということでしょうか?」


「んまあ、うん。それが例外だから」


「理解しました、マスター」


「じゃあ、次だ。笑いあってなぜ接吻をするのか。これも言ってしまえば愛の確認だ。というか、人間がこういうことをするのは愛の確認だと思ってくれていい」


「愛の確認ですか?」


「あぁ、そうさ。人は確信が欲しい生き物だ。愛されているなら、その証拠、確固たるものが欲しい。だから接吻したり抱き合ったりなど色々な方法でそれを知る。その過程で生まれるのが感情というものなのさ」


「マスター、私には感情がありませんがそれはとても美しいものですね」


 私はその瞬間、無表情で無機質なアイの顔が少し緩んだ気がした。私もつい顔がほころびる。


 美しい、その言葉が聞けただけで嬉しかった。自ら感情を理解して、初めて聞けた。とてもそれが嬉しかった。腹から溢れそうになる歓喜を押し殺し、加齢とともに緩くなってしまった涙腺をしめる。


 あぁ、アンドロイドにも感情はあるのだな。人と同じなのだな。


「アイ、ありがとう」


「マスター、私は感謝されることはしておりませんよ?」


「いや、いいんだ。言わせてくれ、私の傍に居てくれてありがとう」


「マスター、私も貴方の傍にいます。これからもずっと」


 この日を境に私とアイはより絆が深まって家族になれた気がした。心には常に温かい感情が寄り添い、白黒だった独りの人生がアイという絵の具によって彩りを得た。


 家に帰れば、おかえりなさいと言ってくれる存在が居る。日々の生きる糧を私は得た。死んだ顔をして、砂嵐になるまでテレビを見る。枯れ落ちた葉は悲痛な心を刺激させた。そんな日々だったのに、今は違う。枯れ落ちた花は桜になり花咲く。砂嵐などもう見ない。私はオアシスを手に入れたのだ、癒しと安寧を。


 だから、毎日が楽しかった。腹の底から笑っていた。辛いことなんてなかった。こんな日々が続くと勝手に思っていた。



 その日は雪が降る程の寒空だった。家の中もすっかりと冷え込み、毎朝起きるのが億劫で仕方なかった。ぶるっと身震いをする。まだ起ききらない頭で寒さをこらえる。


「マスター、おはようございます」


 リビングに行くとアイがいつものように朝食を作ってくれていた。献立はコンソメスープとサラダとホットコーヒー。寒いから温かいスープが身に染みる。じんわりと広がる旨味を味わいながらテレビを付ける。


「アイ、今日のスープも美味しいよ」


「お口にあって何よりです」


 寒さを噛み殺しながら飲むスープは、最近では日課となっていた。いつもレパートリーも変わるし、私を飽きさせないようにしてくれている。もう一口飲もうとマグカップを持とうとするが、それはするりと床に落ちた。落雷のような音が家に響く。


「昨日未明、シンギュラリティ法違反の疑いで逮捕された……」


「……あれ」


「……スタ! マスター!」


 アイが何か叫んでいる。だが、よく聞こえない。水の中にいるみたいだ。それに視界もぼやけて、よく見えない。言葉も、何も出ない。さっきまで感じていた味が分からない。



 あぁ、そっか。私は死ぬのだな。



 私は察した。自らの身に起きたことを。死ぬと分かったのに、不思議とすんなりと受け入れることが出来た。もっと内心はぐちゃぐちゃになったりするものかと思ったが、そうでもないようだ。


 アイ、君と過ごした日々は楽しかった。本当に楽しかった。天涯孤独で独り寂しく死ぬことを覚悟していたが、アイが側にいてくれるなら笑って死ねる。健やかな気分だ、これから死ぬというのに。感謝の言葉と別れの言葉を伝えられないのはほんの少しだけ心残りだが、伝える必要は無いかもしれないな。


 だって、アイ。君はきっと感情を知った。だかは、別れの言葉と感謝の言葉を伝えてしまったら辛くなってしまうだろう。それが嫌なのだ。このまま辛くないまま他の誰かの側にいてやってくれ。私にそうしてくれたように。


 霞みゆく視界にアイの瞳の奥が見える。


『……あぁ。こんなにも輝いていたんだな』


 たらりと泪が零れ、男は息を引き取った。


「マスター。教えてください、この感情の意味を。マスター、マスター、マスター、マスター」


 アンドロイドは冷たくなった人を揺らし続けた。いつも明るくにこやかに笑ってくれた。また笑ってくれるのを願って、アンドロイドは話し続けるが、冷たくなった人はピクリとも笑わない。まるで、感情がないアンドロイドのように。無機質に腕の中で眠る。


「マスター。 教えてください。 ステンバイミーの意味を」


 アンドロイドは意味を聞くが、いつも教えてくれた人は答えてはくれない。固く閉ざれた口はもう何も答えはくれない。


 しんしんと積もる雪、寒さが強くなる。アンドロイドは冷たくなった男を暖めようとする。腕の中に眠る男を抱き寄せる。


「マスター、これが愛するということなんですね」


 アンドロイドは静かに目を閉じる。男に寄り添うように生命を停止スリープする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ステンバイミー パ・ラー・アブラハティ @ra-yu482

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画