化粧便の花立

椋鳥

化粧便の花立

 ここいらで化粧便と言えば、花立を置いて他に居ない。花立は華奢な割に力があり、容姿に優れ、おまけに頭も良い。だから、女を口説くときには、決まって皆花立の所に行き、話をする。かく言う僕も、そんな輩の一人であった。


「花立、いるか?」暖簾を甲に掛けると、僕はそのまま餅屋に入る。花立の行きつけの”かいわれ”は何処か鬱気な感じがあって人も少ないが、趣がある。花立は座布団に頭を乗せ、仰向けにに寝ていた。


 けれども、様子がおかしい。いつも花立なら直ぐに起きる筈が、今日に限って中々起きない。まさか、仰向けに死んでいるのかと思い近づいてみる。すると、小さな寝息が段々と大きくなり、そんな訳が無かったと安堵した。


 以外にも人間らしいところはあるのだと、その時ふと思った。花立といえば右手に花束、左手に煎茶と謡われるし、化粧便ともなれば言うに及ばない。このまま寝かせてやろうと思い、静かに餅屋から出た。


「こりゃ明るい」外は太陽が出て久しい。ちょうど腹も空いてきたので、近場の蕎麦屋の旨そうなのが気になった。奥行きがある香りが、何とも堪らない。つられるまま椅子に座ると、活きのよい感じの職人がお冷を出した。


 軽く礼を述べ、少し頭を下げる。好感の持てる奴だと、つい思ってしまう。これで何度も痛い目を見てきたが、それも終わりにしたい。大将に蕎麦を一つ頼むと、段々と眠たいような気がしてきた。大将の後ろ姿と、近づいてくる旨い匂いに、意識は淀んでいく。


 蕎麦をすする。熱くて途中で切った蕎麦が、掴みずらくなるのも忘れる程に。眠気が晴れないまま、夢と蕎麦との間で揺れた。酒のとても合いそうにない味が、のどを通って染み込んでいく。あっという間の出来事で、椀は空になった。


「うまいよな」花立も言う。花立?寝ていた筈の花立は隣にいた。呑み込めずにあたふたとしていると、花立は箸を置きこちらを見る。相変わらずの整った顔立ちが鼻につく。こちらから目線をそらしてやると、花立はお冷を頬張った。


 二人とも、ある種の感情に支配されている。何か声に出そうとは思うが、其れも叶わないような空気か、久しぶりに会う人の気まずさだろうか?どちらも今を的確に示していないような気がする。


 花立は、空になった器を見ている。







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