第26話 花嫁の魔法



 結婚式の当日。


 エッタは、白いドレスを身にまとっていた。


 リーゼアから支度金は山ほどもらっているはずだか、それらはほとんどが火の車だった家計と家族の贅沢に回されている。


 エッタのドレスには、ほとんど金は使われなかった。おかげで、エッタのドレスはえらくシンプルだ。


 公爵家に嫁ぐ人間には相応しくないかもしれないが、こればかりはエッタはどうにも出来ない。


 花嫁衣装を選ぶのは花嫁の実家だが、イテナスはエッタの花嫁衣装など勿体ないという顔をしていた。花嫁衣装代は、リーゼアが渡している結婚準備金に含まれているというのに。


 婚儀用のアクセサリーすら用意してもらえなのかったので、ロアにもらったアクセサリーを着けた。それでも花嫁としては華やかさに欠ける。


 トーチが腕をかけてメイクをしてくれたが、それだって悪あがきのようなものだ。


 貴族たちは娘のハレの日には贅を凝らした衣装を用意するというのに、とエッタは呆れた。この結婚式で浮いたお金で、また贅沢をするのだろう。


 結婚式に夢を見ていたわけではないが、人生のハレの日に自分がないがしろのされている事を再確認するのは悲しい。


「エッタ、綺麗よ。あなたには、お金がかかっていないドレスが似合うわね」


 花嫁の準備室に入ったファナは、エッタの姿を笑っていた。結婚式に金をかけてもらえない妹が、惨めそうに見えてしょうがなかったからだ。


 一方で、ファナは今日のために仕立てた新品のドレス姿である。


 流行をおさえたドレス姿のファナは、エッタに自分の姿を自慢する。レースをふんだんに使ったドレスにはビーズが縫い付けられていて、動くたびにキラキラと輝いた。


 だが、異様なことにドレスの色は白だった。


 結婚するのは自分のはずなのに、とエッタは首を傾げる。


 他人の結婚式に白を着るのマナー違反だ。新婦よりもゲストは目立ってはいけないからである。だから、白は厳禁なのだ。


 だというのに、ファナはエッタよりも美しい白いドレスを着る。まるで、自分こそが花嫁であるというふうに。


「今日の私は綺麗でしょう」


 ファナは、エッタにドレス見せつける。


 エッタはドレスを羨ましいとは、一言もいわなかった。その様子が面白くなくて、ファナはしかめっ面になる。


 女ならば、ファナのドレスに嫉妬するはずである。だが、エッタはファナのドレスを不思議そうに見るだけだ。


「あなたって、本当に可愛げがないわね」


 ファナは、昔のことを思い出す。


 館で一緒に暮らし初めたころから、エッタは可愛げのない子供だった。すました顔で教師たちの教えをすぐに覚えて、大人は常に幼いエッタを褒めた。


 ファナは、勉強が苦手だった。


 ファナが暗記すべきことを覚えられなかったり、間違えたりすれば家庭教師たちはため息をついた。そして、出来のいいエッタを褒め称えるのだ。


 エッタは、自分の賢さを誇らなかった。


 それが、当たり前だと言うように振る舞っていた。


 ファナは、それが嫌いだった。ファナの出来の悪さが際立っているような気がして、エッタが影でほくそ笑んでいるように感じていたのだ。


 ファナの母であるイテナスは、元は父の愛人だった。商家の娘だったが、父と結婚したこともあって貴族になった。


 そのため、屋敷の使用人でさえもイテナスとファナを商家上がりと言って軽んじている者もいた。一方で、エッタは男爵家の跡取りとして尊敬を集めていたというのに。


 エッタが魔法使いの弟子になって、屋敷からいなくなればファナはほっとした。エッタと比べられることもなくなり、ファナとイテナスを見下していた使用人も次々といなくなっていった。


 イテナスと父は、ファナを可愛がった。ファナが勉強嫌いでも将来は優秀な婿を取ればいいと言ったり、おやつにお菓子を食べ過ぎても怒ることはなかった。


 両親にとって、ファナは今まで不当に扱われていたヒロインだった。だから、今までの人生に報いるようにファナを甘やかした。


 ファナに、手に入らないものはなかった。


 けれども、エッタが帰ってきてからは全てのことが変わった。貴族らしい生活をしてこなかったエッタを笑ってやろうと思ったが、ファナの思い通りにはならなかった。


 エッタは自分の人生を受け入れて、そこに不満を持つことはなかった。


 エッタは素晴らしいドレスもアクセサリーも持っていた。麗しい公爵だって、エッタに首たっけだった。なんて、恵まれた人生なのだろうか。


 ファナは、エッタの頬を力いっぱい叩いた。エッタは頬を擦りながら立ち上がろうとする。叩かれた頬は熱を持っていた。


 トーチを呼び出して、メイクを直して貰わないといけないかもしれない。エッタは叩かれることに慣れすぎていた。叩く側の気持ちなど全く考えていなかった。


「そういうところが気に入らないのよ」


 叩かれても何でもない顔をする。まるで、ファナのことを無視するように。自分の人生にファナなんていないかのように。


 ファナは腕を伸ばして、エッタに馬乗りになった。驚いた表情のエッタに、ファナは少しばかり溜飲が下がる。


 しかし、まだ足りない。


 ファナの人生は、エッタよりも上なければならない。そのために、ファナは絶対に公爵の花嫁にならなければならなかった。


 ファナは、エッタの首を絞めた。


 いきなりのことで、エッタは驚く。


「ファナお姉様……。なんで……」


 エッタは、戸惑った顔をしていた。ファナのことなど、エッタは簡単に振りほどく事が出来る。


 魔法を使えばいいのだ。


 だが、エッタは魔法を使えなかった。ファナの目に、どうしようもない悲しみが見えたからである。


 エッタは、家族に嫌われている。


 逆に、ファナは家族を愛されていた。おしみなく注がれる親の愛は、エッタが掴めなかったものだ。


 エッタは、それが羨ましい。


 ファナは全て持っているのに、持っていないエッタを羨む気持がちっとも分からなかった。


「ほら、死んでよ!あんたが死んだら、リーゼア様は私のものになるんだから!!」


 ファナの目には、狂気があった。


 だが、その狂気にはリーゼアへの愛がなかった。あるのは、エッタに対する嫉妬だけだ。


「あんたを殺すために、魔法使いまで使ったのよ。どれだけしぶといの。まるで、ゴキブリみたいね」


 ファナの手の力は緩まない。


「お姉様が、どうやって魔法使いを……」


 令嬢の魔法使いをファナが操れたとは思えない。ファナは、エッタよりも上になりたい。それだけを願って狂った女なのだ。


「ゴロツキを雇ったの。おかげで魔法使いの妹をさらってくれたわ」


 ファナは、鬼の形相でエッタを睨みながら言った。ファナが雇ったゴロツキは、非常によい仕事をしてくれた。


 魔法使いを人質一人をとっただけで操り、エッタを殺そうとしてくれた。


 想像した事と違っていたのは、令嬢の魔法使いが思ったより弱かったことだ。


 エッタを殺すどころか、あっという間に負けてしまった。あの時は、使えない令嬢の魔法使いに殺意さえも覚えた。


「魔法使いは、あなたを殺せなかった。役立たずよね」


 他人では、ファナを殺せない。ならば、自分の力で何とかしなければならない。


 だから、ファナはエッタに首を絞める。


 自分が幸せになるために。


 エッタは、目を見開いた。必死になってファナの手を首から離そうとしていた。エッタの必死さは報われて、一瞬だけファナの手はエッタからはなれた。


「どうして、そんな酷いことを……」


 家族がいるというのに、他人の家族を人質にとるだなんて。どうして、そんな酷いことが出来るのだろうか。エッタには信じられないし、やってはいけないことだ。


 ファナには、人間が持つべきものがない善性がなかった。そうでなければ、エッタを殺すために他人を巻き込むことは出来ないだろう。


 エッタは、やむを得ず魔法を使おうとした。風の魔法ならば、ファナに怪我をさせることなく無力かできるであろう。


「私は、あんたよりも幸せになるべき人間なのよ!あんたよりもずっと美しいのよ!!」


 家族に甘やかされて肥大した自己愛が、ファナのなかで爆発していた。そして、そこから発生したねじれた自己愛がエッタを襲っているのだ。


「お姉様は……今でも……幸せで」


 息も絶え絶えなエッタは、小さく呟く。


 ファナは親からの愛情も、理不尽な暴力がない生活も、全てを持っていた。エッタが、欲しくてたまらなかったものたちだ。


 それは余りにも当たり前のことだから、それだけ

 ファナは自分が恵まれた人間なのかが、分かっていない。


「うるさい。あんたなんか死んじゃ!」


 ファナの暴言に、エッタは目を見開いた。


 聞きたくなかった言葉だった。


 六歳で修行に出されたエッタは、ずっと寂しかった。ロアが親代わりになってくれたが、ずっと家族からの無償の愛が欲しかった。


 いっその事、ここで死んでしまおうか。


 エッタは、そんな事を考える。


 家族の幸せがエッタの死であるのならば、それでも良いような気がした。そんな考えが過る。


 いや、駄目だ。


 エッタの脳裏に浮かんだのは、リーゼアの顔だった。あの人の妻となり、常に守ると誓った。その約束を破るわけにはいかない。


 彼が新たな家族になるのだ。


 リーゼアを悲しませないために、エッタ死ぬわけにはいかなかった。


 エッタは風の魔法で、ファナを吹き飛ばす。ファナは壁に叩きつけられた。どん、とファナが壁にぶつかる音が響く。


 それは、エッタにとって家族との決別の音だった。


 エッタは泣いていた。


 エッタは、ファナを含めた家族が好きだった。どんなに叩かれても愛して欲しかった。


 だから、呼び出された時には少し期待した。エッタも家族だよと言って、迎え入れて欲しかったのだ。


 ファナはよろよろと立ち上がり「この化け物!」と叫んで出ていった。


 疲れ切ったエッタは、その場に座り込む。


 鏡を見れば、乱れた自分の姿は憐れだった。とてもではないが、花嫁の姿ではない。


 こんな姿では、リーゼアにだって迷惑をかけるだろう。エッタは、公爵家に嫁ぐのだ。


 ならば、誰にも負けないように揺るがない姿を見せなければならない。そうなければ、リーゼアに迷惑かかる。


「トーチを呼ばないと……。ああ 、いなかったっけ」


 使用人は、めでたい席に同席できない。故に、トーチはすでに屋敷に帰っているはずだ。今すぐに来てほしいのに。


「もうすぐ、結婚式なのに……」


 こんなボロボロの姿では、リーゼアの隣には立てない。けれども、時間もない。エッタの力では、どうにも出来なかった。


「やぁ、エッタ」


 花嫁の待合室に現れたのは、ロアであった。ロアは、エッタが酷い姿であろうとも気にしていない。


「師匠……」


 この場にロアがどうして居るのか。エッタには分からない。けれども、それで救われたよう気がした。ボロボロの情けない自分でも師匠ならば受け止めてくれるような気がしたのだ。


「……しょうがない子だね。おいでよ」


 エッタは、師匠の胸に飛び込んだ。


 エッタは子供のように泣き出しす。ロアは、不安と悲しみに揺れる心を抱きしめてくれた。


「よしよし。そんなに泣かないの。君は世界で一番幸せにならないといけないんだから」


 ロアは持っているなかで一番質の良いローブは着ているが、結婚式に出るような恰好ではない。事実、ロアは結婚式には参加しないはずだ。


「ほら、笑って。今日のお姫様は笑顔でいないと」


 エッタは心にムチを打って、無理やり笑った。無理に笑顔を作るのが、エッタは下手だ。けれども、今回ばかりは、それをロアは指摘しなかった。


 ロアは「いい子だね」と言って、さらに強くエッタを抱きしめた。エッタは、ロアの香りに安心する。


 ロアは、エッタにとっては家族同然だった。家族の代わりに愛してしまった人だ。


 それは、ロアも同じだ。


 だが、だからこそエッタを送り出さなければならなかった。そうでなければ、エッタはロアのために人生を浪費してしまう。


 それは、ロアの本意ではない。


「君は、幸せになるべく産まれた子だよ」


 ロアは、エッタと額を合わせる。


 幸せにおなり、という想いを込めて。


「君は、僕の特別な子。だから、泣きやんで」


 ロアは、エッタをあやす。


 自分の子を守るように。


 エッタは涙を拭って、ロアの目を見つめた。心は少し落ち着いた。おかげで、いつもの自分にだいぶ戻れたような気がする


「師匠、お久しぶりです」


 エッタは、丁寧に頭を下げる。


 いつもの自分に戻ったエッタに、ロアは笑った。堅苦しい挨拶は、真面目なエッタらしいと思ったからだ。


「し……師匠。今回はいたらないところを見せてしまいました。すみません」


 突然の訪問は、ロアの代名詞のようなものだ。そのため、エッタはロアが訪れても驚かなった。いつ、どんなときに、どこに現れるかが分からないのがロアという人間である。


「いいよ。君ならば、僕は許してあげよう」


 ロアは、エッタの頭をなでた。


 子供のようでエッタは恥ずかしかったが、ロアは笑顔だ。だから、甘んじて頭をなでる行為を受けいれた。髪は乱れてしまったが、今更である。


「君がいくら優秀な弟子でも、今まで僕は弟子の結婚式に出たことはなかったからね。君を特別扱いしたら、別の弟子が嫉妬してしまう」


 本来のロアは、弟子にはあまり興味を持たない人ある。ただし、優秀な弟子は別だ。


 エッタは、ロアが興味を持つだけの実力を持っている。だからこそ、ロアに次ぐ魔法使いと周囲に認知されているのだ。


 本当は、可愛いエッタの新しい道をロアは見届けたかった。しかし、彼女ばかりを特別扱いするわけにもいかない。


 そうでなければ、他の弟子に嫉妬されてエッタが困ったことになるだろう。


「代わりに、すっごいものを持ってきたんだ」


 ロアは、エッタの頭に手を置いた。


 それだけでエッタの髪は、元の複雑な髪型に戻る。崩れた化粧も元通りになり、さっきまでの惨めなエッタはいなかった。


 白いドレスを着た完璧な花嫁に戻っていたのである。見たことのない修復の魔法に、魔法使いとしてのエッタが目を輝かせる


「すごい魔法……。これって、どうやっているんですか!?」


 自分の姿が元に戻った事よりも魔法が仕組みが気になるなんて、とてもエッタらしい。ロアは少し笑ってしまったが、魔法の説明をしている場合ではなかった。


 もうすぐ、花嫁が入場する時間だ。ロアも帰らなければならない。


「さぁ、花嫁さん。花婿さんのところに行く時間だよ」


 ロアは、エッタの手を取る。


「私は出席できないからね。代わりに、今日は君が歩くたびに白薔薇の花弁が生まれる魔法をかけてあげよう」


 ロアは微笑みながら、エッタに魔法をかける。それが、ロアに出来る唯一で最大の祝福であった。


「今日は、君が一番綺麗な日だ。そのシンプルなドレスは、きっと舞い上がる花弁とよく合うよ」


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