第23話 パーティー会場


 パーティーの当日に、エッタの元にドレスが届いた。


 贈り主はリーゼアで、パーティに参加するためのドレスらしい。


 エッタのために作られたドレスはサイズがぴったりだが、ウェストに関してはコルセットを付けなければならなかった。


 トーチは腕がなるとばかりの顔で、思いっきりエッタのウェストを締め上げてくれた。おかげでエッタは始終苦しくてたまらない。


 それでも、エッタはパーティに参加しなければならなかった。リーゼアに張った結界を張り直さなければならなかったからだ。


 結界を張り直すという部分では自然に会えるパーティは便利だが、ドレスのプレゼントは意味が分からない。前金は、婚約指輪でもらっているというのに。


「ああ、そういうことでしたか……」


 リーゼアとしては、仲睦まじい姿を周囲に見せたいのであろう。妻になった暁には、エッタはリーゼアと共に行動する。そのためには、一時も離れたくない恋人を演じなければならないのだ。


 このドレスは、それの小道具と言って良い。


 ドレスの色は、今年流行りの赤。スカートのレースは銀の糸で作られており、センスと富を見せびらかすためのドレスだった。


「す……素敵です」


 トーチは、贈られてきたドレスをうっとりと見つめていた。公爵家に嫁ぐ際に数人のメイドを連れてきて良いとリーゼアに言われているので、エッタはトーチを連れて行くことを決めている。


 彼女以外の使用人は名前と顔が一致しなかったし、虐待にも近い扱いをされていたエッタに手を貸そうともしなかった。


 彼らにも立場があるので責める気はないが、積極的に自分の側にいて欲しいとは思えない。トーチ以外の連れて行く使用人は、後でクジでも作って決めるつもりだ。


 エッタのパーティの準備には、相変わらずトーチ以外の使用人は与えられなかった。ファナには三人の使用人があてがわれたており、それぞれが化粧やヘアメイク、ドレス選びのスペシャリストだった。


 本来ならば三人でやるような仕事なのに、トーチ一人にやらせている。これだけは、エッタは申し訳なかった。しかし、そんなことはトーチは気にしない。


 トーチは、器用にエッタの髪を結い上げてくれた。難しいはずの髪型なのに器用にこなすトーチは、自分の髪結の仕事に満足する。


 他のメイドの髪で、色々と練習をした結果だという。


 化粧もトーチが請け負って、ドレスに負けない華やかな印象に仕上げられている。エッタも一人でメイクは出来るが、ナチュラルメイクが精々だ。


 夜会に出るようなような艶やかな化粧は、エッタは苦手であった。キャンドルの下で華やいで見せる化粧には、様々なコツがあるのである。


 せめて手順を覚えて一人で出来るようになろうと思ったが、よく考えれば公爵夫人が一人で化粧をするわけがなかった。


「さあ、これで完成です」


 首飾りには、ドレスと同色のルビーの宝石。指には婚約の印をつけて、エッタは自宅の馬車に乗り込んだ。


 馬車のなかは、父とイテナス、ファナがすでに乗っていたが、雰囲気は、お通夜のようだった。


 父だけが、馬車内の空気を変えようとファナの姿を褒め称える。


 だが、ファナはエッタを睨みつけることに忙しい。自分よりもエッタの方が金がかかったドレスやアクセサリーをしていることが妬ましくて仕方がないのであろう。


「そのドレスは、エッタに似合ってないわね。リーゼア様は、あんたなんかに興味がない証拠よ」


 ファナは、エッタに対して精一杯の嫌味を言う。しかし、いつのも切れ味はなかった。よく見れば、ファナの目元が腫れていた。


 化粧で赤みは隠されていたが、目の周囲が腫れぼったい。おそらくは昨日も泣きはらしていたのだろう。


 パーティの日が近付くほどにファナは泣き崩れていた。そうすれば、エッタがリーゼアを譲ってくれると思っているようだ。


 だが、譲るわけにはいかない。


 これは普通の結婚ではない。リーゼアの身に関わる契約結婚なのである。


 パーティ会場に着けば、そこにはリーゼアが待っていた。エッタがパーティ会場に入るときに、エスコートをするためである。


「わざわざ外で待っていたのですか?」


 寒くはない季節をとはいえ、公爵であるリーゼアが外で待っているのは意外だった。使用人を待たせて、自分は温かい馬車で待っていればいいのに。


「君を一番最初に出迎えたかったんだ」


 リーゼアは優しい笑顔を見せて、馬車から降りるエッタに手を差し向ける。エッタは、その手を遠慮しようとした。


 一人で降りられるという意思表示だったが、リーゼアは首を振った。


「エッタ嬢、パーティーとは男にエスコートされる場所だよ」


 リーゼアが、エッタの腕を掴んだ。


 エッタはバランスを崩し、リーゼアの胸のなかに落ちた。はたから見れば、まるで二人は抱き合っているように見える。


 リーゼアの胸に飛び降りたエッタは、その体温に頬を染めた。リーゼアに惹かれていた女心がざわめくが、魔法使いとしてプライドで捻じ伏せた。


 この間のデートでは、リーゼアは狙われた。あの時は細かい事情を知らなかったが、今は事情を知っている。


 リーゼアを敵には触れさせない。


 魔法使いの誇りをかけて。


 周囲の年嵩の婦人たちは抱き合った二人を見て「はしたない」と目を背けたが、乙女たちは二人の一目を周囲をはばからない行動に黄色い声をあげた。


 仲睦まじい恋人としての振る舞いとしては完璧だが、エッタとしては腕を引っ張られたことが許せない。


「乱暴はしないでください」


 エッタがむくれていれば、リーゼアは微笑む。完璧な紳士の微笑みだった。不貞腐れている自分とは大違いだ、とエッタは考える。


「可愛い婚約者に、乱暴するわけあるわけないよ。ただし、こちらに会わせてくれ。パーティーは、初めてなのだろう?」


 そんなことをリーゼアは囁く。


 エッタは何も言えない。パーティーに来るのは、リーゼアが言った通りに初めての経験だった。


 上手く切り抜けるには、経験者のリーゼアの手を借りたほうがいい。


 リーゼアは、大人しくなったエッタに満足したらしい。リーゼアは上機嫌になって、エッタの手を改めて取った。エスコートするためである。


 リーゼアとエッタは、完璧な恋人同士として振る舞った。エッタの笑顔はぎこちなかったが、それさえもリーゼアには愛らしく見える。


 リーゼアは、エッタに守られる立場になる。だからこそ、リーゼアは自分の得意分野ではエッタをサポートしたかったのだ。


「まぁ、リーゼア様。噂に聞いた通りの可愛らしい婚約者ですね」


 リーゼアの知り合いらしい令嬢が、声をかけてくる。婚約して数日だというのに、社交界での噂は早いものだ。


「はい。僕には、もったいないぐらいの可愛い人です」


 リーゼアは、夫人に笑顔で応える。


 数多くのパーティをこなしてきただけあって、リーゼアには余裕があった。


 エッタは、遊雅に礼をとった。緊張こそしていたが、カーテシーを忘れるほどではない。


 エッタの美しいといえる礼に、令嬢はうっとりする。男爵家の令嬢で魔法使いという異例の肩書きから、エッタはマナーを身に着けていないと令嬢は思っていた。


 しかし、エッタが見せた令嬢としてのマナーは完璧なものだった。不出来なマナーを笑ってやろうと思っていた令嬢のあては外れてしまった。つまらないのと思いながら、令嬢は微笑む。


 一方で、リーゼアは驚く。


 貴族社会に不慣れなエッタには、十分なサポートが必要だと思っていた。しかし、誰が見ても素晴らしいと感じさせる礼だ。


 初めて社交界に顔を出したエッタに好奇心を抱かせている者たちに、自分も令嬢の一人だと宣言するかのようだった。


「よくできた婚約者みたいね。そのドレスは、リーゼア公爵様お選びになったのかしら?」


 令嬢の疑問に、エッタはよどみなく答える。


 堂々とした振る舞いは、令嬢を驚かせた。初めてのパーティー参加のはずなのに、エッタには戸惑いすら見せない。


「はい。私には過ぎたドレスなのですが……。初めてのプレゼントに素敵なものを贈って頂いて嬉しいです」


 エッタは、社交界の上品さに問題なく馴染んでいた。器用に婚約者を演じるエッタに、リーゼアは舌を巻く。


 これは敵わないと思った令嬢は微笑みながら退散する。半端な令嬢が来たら嘲笑うつもりなのに、エッタの冷静さは崩れなかった。それが令嬢には、少し悔しい。


「お嬢様は、演技が上手ですね」


 リーゼアの言葉に、エッタはため息をつく。疲れたと言いたげなエッタの表情は、さって行った令嬢には見せられない。


「六歳までは実家で育てられましたから。ちょっとした品の良い女の子の演技は出来ます。でも……サポートはしてください」


 エッタは、少しだけリーゼアに寄りかかる。


 リーゼアのことを信頼しているからこそ、エッタは身を任せることが出来た。


「では、困ったら助けを求めてくださいね」


 リーゼアは、エッタの片手をとった。


 そして、手袋の上からキスをする。


 リーゼアは、よくキスをする。上流階級の男性とは、こういうものなのだろうか。それとも、リーゼアだけのことなのか。


 リーゼアにとっては、キスはマーキングだった。


 この瞬間にもエッタは男性陣の目を惹いている。エッタの美しさなら当然のことだったが、牽制は必要だとリーゼアは考えていた。


 エッタを手に入れるために、だいぶ時間がかかったのだ。 今更になって、他の男にはわたせない。


「リーゼア様、待ってください!」


 リーゼアを呼び止めたのは、ファナであった。


 ファナは、すがるような目でリーゼアを見つめている。一方で、リーゼアの視線は冷たかった。


 ファナが何度も自分を売り込むために、リーゼアは飽きてもいたのだ。ファナがエッタの姉であっても優しい顔は出来なくなっていた。


 何よりも、ファナはリーゼアの好みではなかった。肉がつきすぎた見かけも、エッタを押しのけようとする姿も、リーゼアには全てが醜くみえるのであった。


「失礼、ファナ嬢。私は、貴方の妹のエッタ嬢を選んだ。それでなくとも、あなたを選ぶことはないでしょう」


 リーゼアの冷たい言葉に、ファナは涙ぐんだ。


 けれでも、リーゼアはファナを顧みることはなかった。エッタをエスコートして、パーティ会場を進む。


「君の姉は、どうしてあんなしつこいんだ?」


 リーゼアは、大きなため息をつく。ファナの行動が、よっぽど腹に据えかねているらしい。何度もエッタを選んだと言ったというのに、それを聞き入れようとはしない。


「ファナお姉様は、私より自分が勝っていると思っています。だから、リーゼア様の婚約者の座に絶対に座りたいのです」


 プライド問題なのだ、とエッタは言った。


 妹より下になる自分が許せない。


 無論、両親の狙いは別である。彼らはファナの可憐さを信じており、リーゼアを射落とせると信じているのだ。


「なるほどね。だから、他の男性差し置いて僕を狙っているのか」


 リーゼアは納得した。


 リーゼアは公爵だが、パーティーのなかでは一番の有望株でもない。ファナが自分に執着する理由が、エッタに対する嫉妬なら全てに説明が出来た。妹のものを欲しがる子供にすぎないのである。


「それに、私たちの知り合いで位が一番高いのはリーゼア様ですから」


 ありきたりな男爵家が、公爵家と知り合いになったのだ。しがみつくのは当然だ。エッタの言葉に、そういうものなのかとリーゼアはため息をついた。


 エッタには不満はないが、とんでもない女を親戚にしてもらったらしい。


「さぁ、今日は誰もが君の注目するはずだ」


 パーティ会場は、眩いほどに煌めいていた。


 華やかな貴婦人のドレスや音楽隊が奏でるメロディ。一口サイズの軽食や上品な細いグラスに注がれたシャンパン。


 全てがエッタにとっては初めて見るもので心が惹かれるのと同時に、自分がいるべき場所ではないとも思った。


「リーゼア様、婚約したと話は本当なのですか?」


「こちらの方が婚約者ですか?」


「素敵なドレスですが、リーゼア様がプレゼントをなさったのですか?」


 パーティ会場に入った途端に、リーゼアとエッタは若い娘たちに囲まれる。各々が自分に似合うドレスで身を飾っており、彼女らが集まると花束のような華やかさがあった。


「そうだよ。この子が婚約者のエッタだよ」


 リーゼアに紹介されたエッタは、彼女達の目に殺気が宿っていたことに気がついた。ファナと同じように、令嬢たちもリーゼアのことを狙っていたのであろう。


 だから、エッタに殺意を向けてしまうのだ。


 リーゼアは、エッタを判を押したような令嬢ではないと言っていた。普通の令嬢にパーティーで絡まれ続けていたら、確かに普通の令嬢に飽き飽きするかもしれない。


「やぁ、リーゼア」


 令嬢たちが、さっと波のように引いていく。


 現れたのは青年であった。金色の髪とエメラルドグリーンの瞳が、とんでもなく美しい。


「アルバート王子……」


 リーゼアが呟いたので、エッタは急いで正式な礼をとった。王子の特徴こそ知っていたが真近見まえることになるとは思わなかった。


 幼い頃に叩き込まれたカーテシーが不格好になっていないかとエッタは今更になって心配になる。だなにせ、相手は王族だ。


 アルバート王子は、王位継承権第一位である王太子でもある。男爵家でしかないエッタでは、一生お目にかかれないような貴人だ。


「王子。こちらは、僕の婚約者の……」


 アルバートは、リーゼアの言葉を指先を自分の唇に当てる。その表情は、悪戯っ子のようものであった。


「噂は聞いているぞ。どんなご令嬢にもなびかなかったリーゼアが、ついに婚約者を選んだと」


 アルバートは、エッタのことを見極めようとしていた。浮かべるのは笑顔だが、目は笑っていない。エッタのことを財産目当ての婚約者とでも思っているのだろう。


 これから何度だって、このような視線をエッタは受けるのであろう。慣れなければ、とエッタは覚悟する。そうしなければ、公爵であるリーゼアの隣にはいられない。


 アルバートは、リーゼアの気の置けない友人なのだろう。だからこそ、アルバートはリーゼアの婚約者を見極めようとしていたのだ。


 公爵という身分には、今までも様々な羽虫がよってきていたに違いない。そう考えるとアルバートという男は、少しかわいそうな男なのかもしれない。


「私は、学生時代からのリーゼアの友人でな。リーゼアが、素晴らしい婚約者と得たと聞いて喜んでいるのだ」


 どこがだ、とエッタは思った。


 アルバートは微笑んでいるが、腹に一物をもった雰囲気は消しきれない。そして、エッタを好いてもいない。


 第二王子と王位を争っていると言うが、それがアルバートが発する独特の警戒心に繋がっているのだろうか。なんであれ、食えなさそうな王子である。


 なんとなくだが、師匠のロアと似てなくもない。ロアはいつも笑っているが、裏では何を考えているのか分からないところがあった。


 アルバートは、エッタの警戒心に気づいたようだ。一瞬だけ、嫌そうな顔をする。


 エッタを友人の婚約者だと認めたくないらしい。


 だからといって、直接否定しないのはリーゼアの賢さを信じているからだ。エッタがリーゼアの足を引っ張るような令嬢ならば、自分で相応の対処をするはずだと考えているに違いない。


 そんな日は残念ながらこないであろう。エッタは、リーゼアを守るために結婚したのだから。


「彼女が、君に対して有益な婚約者であることを祈るよ。ところで、リーゼア。ちょっとした話があるから」


 アルバートは、エッタの方に視線を向ける。


 エッタには聞かれたくない話ということだろう。

 第一王子と第二王子は王位を争っているということ

 だから、それについての話であるのだろうか。


 エッタは、政治の話に横槍を入れるつもりはない。王子が離れろという命令は嬉しいぐらいである。


 エッタは、リーゼアの腕から手を離した。リーゼアは、少しだけ寂しそうな顔をする。これから政治の話をするような男には見えない。


「では、リーゼア様。一時だけ離れさせてもらいます」


 エッタは、そう言ってリーゼアの側を離れた。


 婚約者であろうとも離れる場面もあるのは、エッタが予想していた事だ。パーティーは娯楽であり、情報が飛び交う場所でもある。


 エッタは壁に寄りかかりながら、リーゼアの動きを視線で追う。自分の魔法の射程内にリーゼアがいることを確認して、改めてパーティー会場を見回す。


 パーティ会場に不審人物がいないかどうかを確認していたのだ。


 全てのものが鮮麗されて美しいパーティーには、怪しい者などなかった。魔法使いらしき人間もいない。 


 エッタを睨みつけるファナは、不審人物に入れてしまっても良いとか思うが。


「踊ればいいのに……」


 エッタの目の前では、男女が楽しそうにくるくると踊っている。ファナだったら、彼らに混ざるのだって容易いことだろう。エッタと違って、淑女しての教育を受けているのだから。


 エッタは、あまり上手には踊れない。


 幼い頃には、ダンスの基礎しか習わなかったからだ。


 魔法使いになった事に後悔などない。しかし、このような煌びやかな場にいると疎外感しか感じない。そして、同時に令嬢として自分が育てられていたらと考えてしまうのだ。


「まぁ、考えても仕方はないですが……」

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