第22話 婚約報告
ファナは憤慨していた。
リーゼアが、パーティーに参加していなかったからである。自分こそがファナを射止めるために気合を入れたのに、全てが無駄になってしまった。
その上、他の男性からのダンスの誘いまでなかったのだ。ダンスは、基本的に男性からの女性誘う。誘われなかった女性は壁の花となるので、パーティーに参加する女性はできる限り美しく変身するのだ。
ファナだって、できる限りオシャレをしてきた。なのに、一人だってダンスには誘ってくれない。パーティーの中心である実家が裕福な令嬢たちなど、ファナを見てクスクスと笑っていたのだ。
狙っていたリーゼアも参加しておらず、他の男性に声をかけられることもない。
ファナは、早々にパーティーを切り上げて家に帰った。家にはエッタがおり、年頃になってもパーティーの一つも参加を許してもらえないことを嘲笑ってやろうとファナは考えていたのだ。
エッタの後ろには、ロアという怪しい魔法使いがいる。この間は、その男にしてやられたが、暴力さえ振るわなければ出てこないに違いない。
パーティーのことを大仰に語って、エッタが悔しがる様を見るのが今から楽しみだった。
「旦那様、屋敷の前に立派な馬車がつけられています!」
御者が驚いて報告をしてくる。ファナたちが降りて確認すれば、自分たちが乗ってきた馬車よりも数倍の値段はするだろう馬車があった。
馬車を引いていたのは二頭の白馬で、ファナは物語に出てくる王子様の馬車かもしれないと一瞬だけ思ってしまった。
「夜分に申し訳ありません」
立派な馬車の御者は、申し訳なさそうに頭を下げた。
「私共の主であるリーゼア様が、どうしてもお宅に参りたいと申しまして……」
御者が、小さくなりながら説明する。その途端、ファナは弾けたように自分の屋敷に走った。
リーゼアが、屋敷にいる。
それすなわち、自分への求婚であろう。
パーティーに出なかった理由もこれで分かった。パーティーはあくまで出会いの場所だ。求婚に相応しい場所とは言えない。
「リーゼア様!」
ファナは客間で走った。
息を切らしたファナが見た光景は、仲睦まじそうに会話をしているエッタとリーゼアであった。隣り合って座るのは伴侶か恋人ぐらいなのに、二人は自然に近い距離でいた。
リーゼアは、ファナたちの帰宅に気が付く。
さっと立ち上がったリーゼアは、当主である父親に頭を下げる。
「お留守中に失礼だと分かっていましたが、どうしてもエッタ嬢と二人で話をしたくて」
呆然としている父は、どうすべきかあたふたしている。リーゼアは、それを微笑ましく見守っていた。父のことを小動物だとも思っているのかもしれない。
「お父様、お義母様」
エッタは、リーゼアの隣に並び立つ。
彼女の装いは、黄色いドレスに変わっていた。家では着ることがない正装であり、これからの発言がお遊びではないことを証明していた。
「リーゼア様からのプロポーズを御受けすることにしました」
エッタの言葉に、ファナは倒れそうになった。
リーゼアは自分と結ばれた方が幸せになれるはずなのに、リーゼアはエッタしか見ていない。柔らかい表情でエッタを見ている。
「御義父様、御義母様。是非ともエッタ嬢との結婚を認めてください。この結婚が成立すれば、我が家は結婚支度金を惜しみません」
リーゼアが、にこやかに言った。
想像の範囲外の事が多すぎて、ファナたちは口をあんぐりと開けることしか出来ない。悔しさ故に、ファナが一番最初に正気に戻った。
「そんな……」
驚きのあまり座り込んでしまったファナは、声を上げて子供のように泣き出した。その泣き声に、父が正気に戻る。
「……あの、どうしてエッタなのですか?」
最初に正気に戻った父が、リーゼアに尋ねる。
「我が家には、完璧の淑女であるファナがいます。エッタよりもずっと優れた……」
名を呼ばれたファナは、泣きわめきながらもリーゼアを見ていた。エッタは気が付かないようだが、リーゼアは彼女に常に優しく微笑んでいる。
パーティにも参加せずに、リーゼアはエッタに求婚しにやってきた。それは即ち、リーゼアの心は既に決まっているという証拠だ。ファナの立ち入る隙などない。
ファナは、女としてエッタに負けたのだ。
「…エッタは、令嬢としては未熟です。……私の方が、ずっと優れていますわ」
ファナは、リーゼアに食ってかかる。エッタに負けることが、ファナには許せなかったのだ。
「彼女には、彼女にしかない魅力があります。判で押したようなご令嬢たちとは違う魅力が」
リーゼアは優しい目で、エッタを見つめる。エッタは、その視線に始めて気がついてぎこちなく笑って見せた。それがエッタの余裕に思えて、ファナには悔しかった。
貴族として格上のリーゼアに言われたら、ファナたちは頷くしかない。しかも、多額の支度金を払うというのだ。悪い話ではないというところではなく、夢のような状況であった。
「結婚までは、エッタには実家にいてもらいます。結婚式後は、すみやかに僕の屋敷に。結婚式にかかる費用なら、ご心配なく。全て我が家が御支払いします。日程は、そうですね……。一ヶ月後で」
異例の程なほどに短い婚約期間である。
普通ならば結婚式の準備に一年はかけるであろう。それを短縮するほどにリーゼアは、エッタを欲していた。
結婚が長引けば、それだけリーゼアが危険にさらされる時間が増える。エッタとリーゼアは、それを危惧していた。リーゼアには、エッタの全ての早く得たいという気持ちがあった。
エッタの気持ちは、まだ自分には向ききっていない。そんなうちからエッタを囲って、自分をゆっくりと好きになって欲しい。男として情けないことは分かっている。それぐらいに、リーゼアはエッタのことを好いていた。
しかし、この結婚の内々の事情を知らないファナたちは驚くしかなかった。
「わ……分かりました。そこまで言うならば、エッタを差し上げます」
父の言葉に、リーゼアは微笑んだ。
一方でイテナスは、嫉妬に狂った目でエッタを睨みつけている。公爵家との縁談は、今後は絶対にない良縁だ。それをエッタに奪われたのがあまりに憎らしいのである。
「ありがとうございます。さて、エッタ」
リーゼアは、エッタの手を取った。
エッタは、リーゼアの行動の意味が分からない。首を傾げていれば、リーゼアは懐から指輪を取り出した。
「僕のエッタ。どうぞ、これを受け取って欲しい」
リーゼアは、エッタに大粒のダイヤモンドが付いた指輪をはめる。エッタは、一目で高級品であると分かる指輪を前払いの品だと理解した。
随分と豪勢な前払いだが、これならば魔法使いの給金だとは誰も思わないであろう。
もしかしたら、今後の給金もドレスや宝石といった高級品で支給されるのかもしれない。売り払えば大金になる。給金としては破格であった。
「さて、エッタ。僕は、ここで失礼させてもらうよ。夜も更けてきたことだしね。今度はパーティで会おう」
そう言って、リーゼアはエッタの頬にキスをした。その行動に、エッタは目を丸くする。婚約をしたとは言え、頬にキスだなんて大胆だ。
リーゼアは、エッタの耳元で「さっきの復讐」とご機嫌に囁いた。
リーゼアは防御壁を張るためのキスを根に持っているらしい。負けず嫌いな旦那様だ、とエッタは囁き返した。
リーゼアが去った後は、誰もが気が抜けていた。
エッタとリーゼアの婚約は正気に戻れば、そう簡単に受け入れられるものではなかったのだ。
当主同士が納得して了承しているのだが、身分が違いすぎるのだ。まるで夢でも見ているかのようだった。
使用人たちは居間を覗き見していた仲間から、この吉報が伝え聞いた。
使用人たちは、エッタの結婚を喜んだ。
ローリエ家のなかで公爵家の妻が選ばれたことは純粋に誇らしかったし、物語のようの身分差を乗り越えて二人が結ばれたことに喜びを感じたのだ。
リーゼアのキスで呆けていた者のなかで、最初に正気に戻ったのはファナであった。
ファナは、エッタの頬を叩こうとして止めた。
「なんで、あったばっかり!」
ファナは、母であるイテナスに泣きつく。
何時もはファナを慰めるイテナスだったが、今日は何も言えない。なにせ、家長がファナの結婚を決めてしまったのである。
今から撤回は出来ないし、身分が上のリーゼアに噛みつくことも出来ない。
何よりも憎らしいのは、リーゼアの婚約者になったエッタを今まで通りには扱えないことだ。今までは顔が腫れようが、傷をつけようが構わなかった。
しかし、今は公爵の婚約者。気軽に暴力を振るうことは出来ない。
「ファナ。今日から、エッタの頬を叩くのは禁止よ」
イテナスの言葉に、ファナは絶望した。
「なんでよ!リーゼア様の婚約者には、私が選ばれてもいいのに!!」
ファナだって、エッタが傷を負ったらマズイことは分かっている。けれども怒りを発散できない状況は、ファナには理不尽に思えた。
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