第21話 あなたを守る決断
「エッタなんて、女としては三流以下よ。私の魅力で、リーゼア様の目を覚まさせるわ」
そのように意気込むファナは、美しい夜会用のドレスを身に着けていた。髪は流行りの形で結い上げ、大粒のエメラルドの首飾りをしている。
夜会に参加する淑女は、かくあるべきという姿だ。しかし、蓄えた腹の肉が目立ってしょうがない。しかも、ファナはドレスの選択を間違っていた。
ドレスは体型を隠すようなものではなく、体型がぴったりと張り付くようなセクシーなものだった。無論、ファナの我儘ボディも強調される。
ここまでぴったりとしたドレスを好んで着ているということは、そのようなデザインがファナは自分に似合っていると思っているのかもしれない。
化粧も出来るだけ濃いものにして、夜会で目立つ準備は出来ていた。だが、気合を入れた化粧は派手すぎて浮いている。
ファナはリーゼアに懸想をしているが、そのような格好では他の男だって尻尾を巻いて逃げていくことだろう。
今回の夜会には、エッタは来るなと命令されたのだ。エッタ目当てにやってきたリーゼアをファナが誘惑する作戦であるらしい。
「ファナ、とってもステキよ」
イテナスは、着飾った自分の娘にうっとりする。時代遅れのメイクは、ファナというよりはイテナスの趣味なのかもしれない。
イテナスの化粧も非常に濃くて、なかなかの迫力である。
ファナは、すっかりリーゼアを落とす気でいる。エッタとしては、落とせるならば是非とも落として欲しいところだ。
リーゼアのことは嫌いではない。嫌いだったら、エッタはもっとはっきりと拒絶している。
しかし、恋愛の相手としての好きなのかどうかは分からない。
相手は公爵家で、師匠も太鼓判を押すような相手だ。花を送り続けるような過剰なところもあるが、エッタのことを思ってくれている。それに、一緒にいると楽しい相手でもあった。
エッタは、ファナとリーゼアが一緒に踊る姿を想像してみる。その姿は、エッタの心をちくりと刺した。
公園で一緒にダンスの真似事をしたときは楽しかったのに、リーゼアが他人と踊ると思うと胸が痛くなる。
パーティーには、エッタよりも美しい令嬢は五万といる。エッタと違って、公爵家に利益をもたらす娘だって多いだろう。
今はエッタの物珍しさを楽しんでいるリーゼアもいずれは飽きて、普通の令嬢の所に行くかもしれない。それは、想像するより苦しいことに違いない。
「じゃあ、いってくるわよ。あなたなんかに、リーゼア様は渡さないんだから!」
ファナは、そのように宣言して馬車に乗っていった。屋敷で使用人と共に残されたエッタは、トーチに注いでもらった紅茶を飲んで一息つく。
新人で前までは苦い紅茶しか出せなかったトーチだが、最近は腕を上げた。美味しい紅茶を出してくれるようになったし、ドレスも適切なものを選べるようになったのだ。
「パーティーで、リーゼア様も踊るのでしょうね……」
公園でのダンスよりも華麗なダンスを他の女性と楽しむ姿を想像して、エッタはため息をついた。
家族が出ていったせいもあって、久々の心休まる時間だったいうのに憂鬱になってしまう。
「エッタお嬢様を置いていくなんて……。ファナお嬢様たちは酷いです」
トーチは、ぷんぷんと怒っていた。
トーチとしては、エッタに玉の輿に乗ってほしいらしい。そうした方が、支度金で職場である屋敷が潤うからだろう。いいや、そこまでトーチは考えていない。
ただ単に、シンデレラストーリーに憧れているだけだ。
実家である男爵家に虐げられた令嬢が、美形の公爵と結ばれる。そして、幸せな結婚する。
若い女が好むストーリーに憧れて、エッタとリーゼアを応援している使用人は多い。そんなに現実は甘くないだろうに、とはエッタは思う。
エッタとリーゼアの結婚に障害は多い。そして、何よりエッタの気持ちが決まらない。
リーゼアに恋をしているのかもしれない。
けれども、エッタは魔法使いだ。公爵家の夫人にはなれない。それだけの力はないのだ。
「それにしても、リーゼア様は何を考えているのでしょうか。師匠のところに顔を出したということは、魔法使いとしての私を求めていたと思ったのに……」
求婚されたということは、エッタを令嬢として求めているということだ。
エッタの事が好きだ、ということは間違いない。でなければ、あんなに楽しいデートはできなかった。
「一目惚れ……とか?いや、ありえないですね」
ファナのように、常に身綺麗にしているわけでもない。エッタは、いつも身動きしやすいワンピース姿だ。
化粧だって、普段はしていない。とてもではないが、リーゼアの興味を引く要素は持っていないのだ。
「エッタお嬢様!」
使用人の一人が、慌てた様子で走ってきた。その顔は青ざめていて、幽霊でも見たかのような表情だった。
「リーゼア公爵が、いらっしゃいました!」
ある意味で、幽霊よりも困るものがやってきてしまった。
エッタは天井を仰ぐ。
こんなときに、どうして来るのだろうか。家族がいない間に来るなんて面倒が過ぎる。それに自分の女の部分で考えているときに会いたくもない。
「御主人様たちがお留守番だというのに……。どうしすればいいでしょうか?」
使用人たちは、途方に暮れていた。
若い娘が一人で留守番しているなかで男性を屋敷に上げるのは、あまりに非常識だ。しかし、相手は公爵なので追い出すわけにもいかない。
エッタは、リーゼアの行動に再びため息をついた。ファナ達は確実にパーティーに行くだろうから、家族の留守を狙った訪問に間違いはない。
エッタと二人で話したいがために。
「しょうがない……。こちらから参りますか」
エッタは立ち上がって、外に向かおうとする。だが、今の姿のままでは目立つかもしれないと思った。
今のエッタは、普段着として使われるドレス姿だ。こんな姿でリーゼアに会ったら、嫌な噂が出回ってしまうかもしれない。
貴族社会に疎いエッタでも、未婚の男女が室内で二人っきりでいるのは良くない噂に繋がることは分かる。この世には、くだらない噂を広める人間が大勢いるのだ。
おかしな噂を立てられず、なおかつ不敬にならない方法をエッタは考える。
考えついたのは単純な作戦だった。
「トーチ、使用人用の制服を貸してください」
エッタは、不思議がるトーチに使用人の制服を持ってきてもらった。黒いワンピースに、ちょとしたフリルがついている白いエプロンだ。
実家は悪い事ばかりだが、メイドの制服が可愛いことは良いとは思う。
エッタは、メイド服に着替える。
エッタは、父親似の美しい顔立ちだけが人を引き付けるメイドになった。
エッタのやりたいことが分かったメイドは、エッタに度の入っていない眼鏡を手渡す。あっという間に生真面目そうなメイドは出来上がった。
エッタは、トーチを引きつれてリーゼアが待つ馬車に向かった。今のエッタを見て、彼女が男爵令嬢だと思う人はいないであろう。
エッタたちが外に出れば、館の前には立派な馬車が横付けされていた。
エッタが以前乗った馬車とは違うものだ。一瞬だけリーゼアの馬車ではないのかとも思ったが、使用人は公爵がやってきたと言っていたので間違いはないだろう。
リーゼアは、複数の馬車を所有していたようだ。
考え以上に、リーゼアは金持ちだったらしい。そのわりにはデートは庶民的だったが、あれはエッタに合わせてくれていたのだろうか。
どこかの高級店に連れて行かれてもエッタは緊張してしまって、何をすれば良いのか分からないだけであろう。だから、庶民的なデートは嬉しかった。
それにしても派手な馬車である。
馬車を引いていた二頭の馬は両方とも白馬で、その美しさは財を存分に見せびらかしていた。悪趣味ではないが、やりすぎではないかとは思う。
馬車のなかにリーゼアはいる。
確信を得たエッタは、馬車に向かった。
エッタは、馬車のドアをノックする。
ドアを開いたリーゼアは、まさか馬車にエッタが直接来るとは思わなかったらしい。ひどく驚いた顔をしていた。
「我が家は、私以外はパーティに出かけていって留守です。なにか御用があれば、ここで聞かせてもらいます」
屋敷には入れないという強い意志を感じたリーゼアは、苦笑いをするしかなかった。
家の名誉とリーゼアに対して不敬を回避したエッタの行動力。リーゼアは、それに舌を巻いた。
こんなことは、普通の令嬢は考えてもやらないだろう。使用人に扮するなんて、プライドの高い貴族には耐えきれない。
「困ったな……。君はパーティーには置いていかれているだろうという予想は当たったのに、本人がわざわざ馬車まで来るとは思わなかったよ」
リーゼアは、エッタしかいない家にいないと予想した上でやってきたらしい。
家族が不在だというのに、若い女が素直に家に入れてくれると思っていた思考回路がエッタには分からない。普通だったら、追い返されるであろう。
それにしても、エッタが実家で虐げられていることを知っていたというのは驚きだ。師匠のロアにでも聞いたのかもしれない。
求婚に来たのは、エッタを実家から遠ざけるためだったのだろうか。今更になって考えることでもないが。
「君は、僕を拒絶しない。館に入れてくれると思ったけれども、まさかメイドに扮してきてくれるとは思っても見なかったよ」
こちらにおいで、とリーゼアはエッタを馬車の中に誘った。トーチは顔を真っ赤にして、エッタとリーゼアの間に立ち塞がる。
「駄目です!いくら公爵様の誘いだからといっても、二人っきりで夜の馬車に乗るなんて……」
嫁入り前の娘がはしたない、と言いたのであろう。
トーチの言い分からなくもないが、エッタとしては年頃の娘が男を屋敷に招き入れたという噂がたたなければいいのだ。メイド姿の今ならば、見られても困りはしなかった。
位の高い人間は、使用人の動きに注目しない。メイド姿のエッタがリーゼアの馬車に乗ったところで、つまらない噂にはならないであろう。
「……一つ言っておきます」
エッタの掌で、小さな竜巻が生まれる。
「面白半分で魔法使いに手を出せば、ケガではすみませんよ」
エッタの脅し文句に、トーチはハラハラしていた。エッタの言動が不敬にならないかと心配していたのである。ところが、リーゼアは笑い出した。
リーゼアはウェルターを圧倒したエッタの強さを知っていたし、侮るつもりもなかった。家族がいない隙にやってきたのは、二人っきりになりたいが故の行動だったからだ。
「僕は、魔法使いを侮ったりはしないよ。なにせ、君を妻にしたいと願う男だ。魔法使いの怖さは分かっていつもりだよ」
エッタは、リーゼアの言葉を信じることにした。
リーゼアは、師匠のロアに会いにいった男でもあるのだ。魔法使いを侮って、エッタに乱暴したりはしないはずである。
「では、失礼します」
エッタは、リーゼアの手を取った。
馬車に乗り込めば、その内装の豪華さにエッタは目を見張った。
絨毯が貼り付けられて温かいし、椅子に敷かれたクッションもふわふわとしている。乗る人間の快適さを追求し、同時に装飾品などで目を楽しませることも忘れないものだった。
「デートの時に、言えなかったことを伝えたくてね。僕には、君が必要な理由があるんだよ」
リーゼアは、するりと上質な上着を脱いだ。シャツ一枚になって、エッタを見つめている。まるで、これから起こることを詫びるような目であった。
エッタは、今すぐに魔法を使うべきかを考えていた。何もしないと散々言ったくせに、二人きりになったとたんに脱ぎだした。
この意味が分からないほど、エッタは初心ではない。
結局のところ、男は愚かなのだ。魔法使いの強さを知っていると言っていたのに、すぐに言葉を忘れて獣になろうとする。
「吹き飛ばしますよ」
これまでの付き合いもある。せめて宣言をしてから吹き飛ばしてやろうと思ったが、リーゼアは待ったをかけた。今までにないほど真剣な顔をしていた。
「少しだけ待って欲しい」
リーゼアは、無言でシャツをまくり上げる。
日に当たらない白い皮膚は、本来ならば傷の一つもないはずだ。しかし、そこには醜い縫い目があった。エッタの知っている傷跡であった。
手術痕である。
しかも、その手術痕は綺麗な縫い目とは言えなかった。医者にかかったとは考えられない縫い目に、エッタは息を飲む。
「脇腹の手術痕……。魔石の摘出手術の傷跡で間違いありませんね。施術をしたのは、私の師匠であるロアなのでしょう」
エッタは、目を細める。
リーゼアの秘密が暴かれた途端に、今までの謎が全て繋がった。
人間や動物は、誰でも魔石と魔力を持っている。エッタたち魔法使いは、それを活性化させて魔法を使っているのだ。そして、常人であっても魔石があることによって、精神操作系の魔法にかかり難くなる。
だが、稀に魔石が暴走することがあった。暴走した魔石は体内で魔法を生み出し、それが制御できない人間は最悪の場合は死ぬことになる。
その暴走は、魔法使いならば自分で制御することができた。そのせいもあって、魔石の暴走は魔法使いにとっては害にはならない。
しかし、魔法使いではない人間は魔石の制御ができない。暴走した魔石は、体内の魔力を吸いとって強大な魔法を放つ。そして、魔力を全て失った人間が待つのは死だけである。
「……普通の人間ならば、魔法を使わないので生活に不便はまったくありません。しかし、他人の魔法に抵抗する力を完全に失ってしまうから、魔法にかかりやすくなってしまいます」
人間には、精神操作系の魔法に抵抗する力を持っている。それは、魔石を持っているからだ。
魔石を摘出してしまえば、抵抗力はなくなる。
それすなわち、悪意ある人間に操られてしまう可能性があるのだ。
「僕は、子供のときに魔石を摘出した。それによって、精神操作系の魔法に対する抵抗力も失って……」
本来ならば、精神操作系の魔法にかかることを恐れる者はいない。常人など操ったとこで旨味はあまりないからだ。しかし、リーゼアは公爵である。
公爵を操って意のまま操ることが出来たときの利益は、想像を絶するものがあった。
リーゼアが魔法に抵抗力を持たないことは絶対の秘密とされ、今日にいたっている。このことを知っているのは、亡くなったリーゼアの父のみだ。
リーゼアは、公爵家だ。
政治に口を出す事ができるし、その身分を上手く使えば国を滅ぼすことだって出来るかもしれない。考えたくはないが、暗殺者に仕立て上げて王を殺すことだって出来るのだ。
だからと言って、魔石を摘出したことを大々的に知られたら侮られてしまうであろう。公爵といえども他の家との確執やせめぎ合いに無関係なわけではない。
「僕は公爵家の当主として、誰かに操られるわけにはいかない」
リーゼアは、拳を握る。
その顔は、責任を背負う者の顔であった。
「当代随一の魔法使いロアに、子供の頃に手術を受けたんだ」
普通の手術ならば医者が行うが、リーゼアの場合は魔石の摘出である。魔法使いの協力は絶対であり、なおかつ少しでも医療の知識がある者が必要だった。そこで、白羽の矢が立ったのがロアであった。
ロアは、魔石の手術経験があった。
リーゼアのように、ロアだったらと考えて助けを求めてくる人間が多かったからだ。エッタは知っている限り、ロアには五回は手術の経験がある。
リーゼアの父は、息子を助けられるのはロアしかいないと考えたようだ。当代随一の魔法使いという看板を信じたのである。
「子供の僕は、手術をすごく怖がった。けど……君と出会えた」
エッタは、自分のことながら頭を抱えた。
人体に興味があるエッタは、ロアの手術を全て見学していた。最近の手術では助手をしていたこともある。
「子供の頃の君は、怖がる僕に……どんな手術をするのを事細かく教えてくれたんだ」
始めての手術の怯える子供に、自分は何をやっているのだろうか。エッタは、自分の行動が嫌になる。好奇心旺盛な幼少のエッタは、怖くて震えるリーゼアを慰めるとは思えない。
エッタは、小さな声で「ごめんなさい……」と言った。大人がぼかした痛そうな話もエッタは容赦なくしたであろう。
「あんまりにも君が熱心だから、医者を目指しているのかと思ったぐらいだよ。魔法使いを目指しているだなんて思わなかった」
リーゼアは微笑みながら、当時を語った。
エッタの話を聞いているうちに、リーゼアは手術が怖くなってしまった。泣き出すリーゼアに、エッタは「怖くはないですよ。だって、師匠は成功させるから」と言ったらしい。
幼いエッタは、風の魔法で周囲に咲いていた花の花弁を巻き上げた。それはまるで春の嵐のようで、リーゼアが見てきたどんなものより美しかった。
「ほら、笑ってください。当日は、私も手術に立ち会います。怖かったら、手を握りますよ」
その言葉は、リーゼアには心強く感じたらしかった。それと同時に、女の子が見ているのだから情けない姿は見せられないと思った。
「僕は、もう泣かないから」
そうやって、リーゼアは強がった。
「今にして思えば、それが初恋でした」
今の話題に惚れるような要素があっただろうか、とエッタは首を傾げた。話を聞いていたが、自分に惚れる要素があるとは思わなかった。
「女の子に格好をつけたいと思ったら、男の子には恋なんだよ」
リーゼアの言葉に、エッタは再び首を傾げた。
自分は女の子だから分からないのだろうか、と考える。リーゼアの感性がおかしいだけだとも思ったが。
「父と母が亡くなってから、僕は第一王子派に狙われるようになった。僕は第二王子派だから、見せしめにしたいんだろう。若い公爵として、僕は注目を集めているからね」
リーゼアは、背筋を延ばす。
エッタの話は、これから惚れた腫れたの話ではなくなる。どうしてリーゼアがエッタを選んだかの話に繋がる。
「僕が一番恐ろしいのは、僕が魔法使いに操られること。操られて、王族に害なすこと。だからといって、この事を表明できない。それは、家の没落に繋がりかねないからだ」
魔石がないと知られたら、リーゼアの発言は常に疑われることになる。そうなれな、公爵の威信は地に落ちるであろう。
「君には、花嫁になって欲しい。僕をいつで守ってくれる最強の花嫁に」
リーゼアの言葉に、エッタはにやりと悪党のように笑った。魔法使いと求められたことが、エッタには嬉しかった。
ロアが贈ってくれたドレスやアクセサリーは、戦闘服の代わりだ。あれらを身に着けて、公爵の秘密を守れと言っているのだ。
リーゼアは、エッタを見た。
今までは少女に過ぎなかった女は、気が狂った魔法使いの目をしていた。敵の魔法使いから主人を守るという難題に、魔法使いとしての挑戦心がくすぐられているのだろう。
これは契約結婚だ。
エッタは、リーゼアを精神操作系の魔法から守る。そのためだけの結婚である。
「女性としての幸せを奪ってしまうのは気が引けるけれども」
リーゼアの言葉に、エッタは首を振った。
「最初から、私は結婚や愛には夢を持っておりません。今回の話は、魔法使いとしての私を評価していただき大変感謝しております」
エッタは頭を下げた。
本当は膝を折りたかったが、狭い車内では不可能であった。エッタは、リーゼアの両手を包み込むように握った。そして、それを自分の額に当てる。
魔法によって、リーゼアが操られている気配はない。今の言葉は、リーゼアの本心の言葉だ。
ならば、受けないわけがない。
だって、エッタは魔法使いとして求められているのだ。それは、女として求められるよりもずっといい。
「リーゼア様からの求婚を慎んでお受けいたします。それでは、さっそく一手打たせていただきます。……失礼」
エッタの顔が、リーゼアの近づく。
それに驚いたリーゼアは、エッタを避けようとする。しかし、狭い馬車の内部では逃げることなど出来ない。
「エッタ嬢……。これは、もっと互いを知ってから」
エッタは、尻込みするリーゼアをの顔を押さえつける。リーゼアが気がついた時には、エッタの唇と触れ合っていた。
唇の温かな感触に、リーゼアは目を見開く。初めての口づけは、口紅の人工的な味がした。
エッタは、すぐに離れていった。
その顔には表情はなく、真っ赤になっているのはリーゼアだけであった。それが余計に恥ずかしくて、さらにリーゼアは恥ずかしくなった。
「これで、簡易的な結界をはりました。数日しか持ちませんが、ないよりはましでしょう」
エッタは、淡々と魔法の効果を告げる。始めての口付けが事務的に行われたことに、リーゼアは苦笑いをした。
エッタは、口付けるを冷静にこなしていた。もしかしたら、口付けが始めてではないのかもしれない。それが、リーゼアには少し嫌だった。
「……童貞ですか?」
エッタのとんでもない発言に、リーゼアは言葉を失った。それでも最大限の力を絞って、リーゼアは嘘をつく。
「そんなはずは……ないだろう。火遊びの一つや二つ……」
魔法に抵抗力がないことを悟られないように、リーゼアは女性に近づき過ぎないようにしてきた。
そんなリーゼアの人生では、女性経験などあるはずもない。けれども、見栄を張ったのだ。歳下のエッタに見くびられたりはしたくなかった。
「そうですか……。今後の火遊びは報告してください。その女性が魔法使いという可能性もあるので」
妻に火遊びをした、と報告する夫はいないであろう。されとて、所詮は契約結婚。エッタ側には愛も嫉妬もない結婚なのだ。リーゼアは、そのように自分に言い聞かせる。
「分かった。報告をしよう。……ところで、君もファーストキスの経験があるんだろう?」
自棄になってエッタに聞いてみれば、彼女は首を振った。
「今のが最初ですよ」
それだけ言って、エッタは馬車のドアを開けた。外には未だに顔を赤くしたトーチがおり、エッタとリーゼアを交互に見つめる。
密室となった馬車で二人が何をしていたのかを妄想していたのである。
「トーチ、着替えを手伝ってください。お父様たちが帰ってきたら、リーゼア様と婚約したことを報告します」
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