第11話 おめかし1


「エッタ様、おはようござい……きゃあ!」


 メイドは、令嬢の部屋に男が入っていた事に驚いた。本来ならば未婚の令嬢の部屋に男性が入るなどはありえない。


 メイドには、ロアの姿が淑女の部屋に忍び込んできた変態にしか見えなかった。


 メイドは、すぐさま拳を握ってかまえる。


 てっきりメイドは逃げ帰ると思っていたが、エッタが思ったよりアグレッシブな性格だったらしい。


「この人は、私の師匠です。驚かなくても結構ですから」


 エッタは、それ以上は声を上げないようにメイドに指示する。


 家族の誰かがやってきたら、また面倒な話になる。大方、家族に秘密で男を部屋に引き込んだと言われて叩かれてしまうだろう。


 未婚の女の部屋に男が入ると言うことは、それぐらいに大変なことなのだ。


 ロアは貴族のルールに疎かったし、エッタも師匠 を男と認識していなかったので思わずやらかしてしまったのである。さっさとロアを追い出してしまえば良かった、とエッタは後悔した。


 なお、ロアはフレンドリーな笑みを絶やさない。敵意はないとアピールしたいのかもしれない。大輪の花が咲いたような笑顔で、何故か大きく手を降っている。とても怪しい。


 メイドは毒気を抜かれたような顔をして、手を振りかえしていた。


 不可思議な光景であるが、ロアは魔法は使っていない。メイドも混乱して、ロアの行動を真似る事しか出来なかったのであろう。


 人間は、驚きのあまり思考が停止することがある。今のメイドは、その状態なのだろう。


「じゃあ、メイドさん。うちのエッタを美しく着飾らせてくれ。僕の弟子は、洋服やらの流行りに疎いからさぁ」


 それだけ言って、ロアは窓から飛び降りた。その退場の仕方に、エッタは頭を抱えた。ここにはメイドがいるというのに、ロアの行動はいつもとかわらない。


「お嬢さ……ま!えっ、あれ。あの人って、飛び降りて……」


 ロアというの人間を知らない他人なら、彼の行動は驚きしか生まない。二階から笑顔で飛び降りるのは、頭がおかしな人間のだけだ。


 なお、ここは二階である。


 数秒後には白い鳩が白に飛んでいくので、エッタは師匠が無事に出ていったことが分かった。


 鳥に姿を変える魔法は、ロアの好きな魔法の一つである。エッタは慣れているが、普通の人間ならば腰を抜かす光景であろう。


 メイドも慌てた様子で、窓から身を乗り出してロアの姿を探していた。投身自殺でもしたと思ったのであろう。


 師匠の破天荒な性格に振り回されて、これほど右往左往している人間の姿をエッタは久々に見た。


 最初こそ兄弟子たちはロアの奇行に驚くが、段々と慣れてくる。今の弟子たちも慣れ始めているので、ロアの奇行で驚くのを見るとエッタ新鮮な気持ちになってしまう。


 もっとも、ロアの奇行に慣れては人間としていけないことだと思う。不覚にも和んでしまったが、エッタは気を引き締めた。


 このような気の緩みが、魔法の研究などの事故に繋がるのである。


「気にしないでください。アレも魔法使いです。しかも、当代随一の腕前と言われています」


 エッタの師匠であるロアは、魔法使い達にとっては伝説的な人物である。


 ロアが発明した魔法は五十を超えており、先進的な論文を書き続けている。もっとも、そんなふうな人物に見えないのが玉に瑕なのだ。


 実力に見合った行動をして欲しい、とエッタは常々思っている。


 メイドは納得できないような顔をしていたが、必死に物事を受け入れようとしていた。


 魔法を始めて見た人間は、多くがメイドと似たような反応になる。それぐらいに魔法というのは珍しく、人智を超えているのである。


 だからこそ、色々と勘違いされることもあるのだが。


 落ち着きを取り戻したメイドは、エッタに向き合った。髪をツインテールにしたメイドは、とても若かった。エッタと同じぐらいの年頃なのではないだろうか。


「えっと……今日は公爵様がいらっしゃるので、正装で……」


 もごもごと自信なく喋るメイドは、おそらくは新人なのだろう。主人の世話に慣れていないメイドを用意して、エッタに不便な思いをさせてやろうという悪意が見えた。


「このドレスの中から適当に見繕ってください。メイクとかもお任せしますので」


 エッタの言葉に、メイドは元気よく「はい!」と答えた。メイドは、やる気はあるらしい。心強いことである。新人のやる気が空回って暴走さえしなければ、きっと頼りになることだろう。


「そういえば、名前を聞いていなかったですね」


 エッタが問いかけると新米メイドは「トーチです」と答えてくれた。くったくのないトーチち喋れば、エッタと同じ十六歳だという事が分かった。


 笑顔がとても可愛らしいトーチは、愛嬌があっ

 た。そのせいもあって、子犬のような印象をエッタは受ける。


「先月から勤めさせていただいています。精一杯やりますので、ご安心を」


 安心できる要素が、どこにもなかった。


 務めて一ヶ月なら、仕事にすら慣れていない新人だ。ドレスには夜用と昼用、夜会用のものなどがあるが、それをトーチは見分けることが出来るのだろうか。少し心配である。


「早速ですが、こちらはいかがでしょうか?」


 トーチが出したのは、ピッタリとした銀のドレスだった。ぴったりすぎて脱げなくなったファナの様子を思い出せば、それ着て現れるのは大胆な宣戦布告だと捉えられても致し方ない。


 そして、何よりも銀のドレスは夜会用だ。


 日中から着るようなドレスではない。日中のドレスは、もっと大人しいデザインでいい。


 エッタの脳裏に、お見合いという言葉がよぎった。お見合いなんて、別に気にしてはいない。


 けれども、意識はしてしまう。


 自分に似合うドレスはどれだろうか、と考えてエッタは顔を赤らめてしまう。これは、エッタにとっては始めての感情であった。


 誰かの目を気にしてドレスを選ぶのは、こんな緊張するものだったのかと思い知る。服なんて着やすければいいと思っていたのに、今の自分と過去の自分は明確に違っていた。


 この感情は、なんのだろうか。


 これが『恋』という感情なのだろうか。


 エッタは、トーチにバレないように自分の小指を見る。幸いにして、トーチの目はドレスに向いていた。エッタの行動には、気がついていないようだ。


 そっと見た小指には、赤い糸なんて結ばれていない。赤い糸がないことに、エッタはほっとしていた。


「こっちの若草色のドレスにします。私は髪が銀色だから、きっと映えると思いますから」


 エッタがひょいと取り出したドレスは、若々しい印象のドレスだ。ドレスの質がとても良くて、飾りは最低限しか付けられていない。シンプルなドレスだった。


 昼用のドレスとするなら、これで十分であろう。


 貴族のドレスは、夜に近づくほどに派手になる。トーチが最初に選んだ銀のドレスは、夜会用でも通じる派手なものだった。


 あんなものを着てしまえば、ものが分かっていない娘だと思われてしまった。


「さて、コルセットと……。これが嫌なんですよね」


 高貴な成人女性の嗜みの一つに、コルセットがある。エッタは貴族社会で生きていないので縁が薄かったが、師匠のロアに言われて何度か着けた経験があった。今思えば、エッタが貴族社会でも生きていけるようにと想っての事だったのだろう。


 はた迷惑極まりない。


 コルセットの着用は地獄だった。


 ウェストを思いっきり締め上げるので、苦しくて呼吸もできないのだ。あまりに苦しいので、もう止めてくれと泣いた事さえある。


 そんな嫌な思い出のあるコルセットが、エッタは嫌いだ。何よりもコルセットを着けていると苦しくなって、食べ物を食べることが出来なくなる。


 お茶も軽食も味わえない服に何の意味があるというのだ、とエッタは思ってしまうだ。


 しかし、ドレスのほとんどはコルセットの着用を想定して作られている。ここは覚悟を決めるしかなかった。いくらエッタが細身であっても、ドレスにはコルセットがつきものだ。


「えっと……。これは、さすがに一人では無理だから手伝ってください」


 エッタに頼まれたトーチは、目を輝かせて思いっきりコルセットを締め上げた。ぐぇ、とエッタは汚い悲鳴をもらす。


 こんな光景は、百年の恋も覚めるだろうなとエッタは思った。人には、絶対に見せられない光景だ。


「もうちょっと加減してください!」


 エッタは頭を振って「止めてくれ」と涙目になった。だが、トーチは止めない。主人に細いくびれを作るために、一生懸命になっている。


 コルセットで締め上げられているエッタは、虫の息となっていた。ものを知らないトーチに、思いっきり締め上げられたのが原因だ。


 このままでは吐くと思ったエッタは、着用の準備の途中で「コルセットは止め!」と叫んだ。


 トーチは、首を傾げた。


 どうしてエッタが叫んだのかが、分からないようだ。メイドはコルセットなど着けないから、エッタの気持ちが分からないのであろう。


「ですが、エッタお嬢様。コルセットはギリギリまで締め上げるのが流行ですよ」


 令嬢ならば、誰でも細いウエストに憧れる。エッタも知識としては知っていたが、苦しい想いをしてまで美を求める気持ちが分からない。


 社交界の中には、もはや人間とは思えないような細いウェストの猛者もいるらしい。


 美の追求す女性の我慢は怖い。


 しかし、魔法使いとしてエッタは「自分に合わないことはしない」という合理的な考えを持っていた。つまり、流行りなどは考慮せずに自分に合うような服を着ればいいのだ。


「トーチ。もう少しゆったりしたドレスを探しましょう。あと、ほとんどのドレスのウェストを調整してしないと」


 ほとんどのドレスがウエストを絞った形で、コルセットの着用を前提にしている。エッタはウエストを目立たないように布を追加したりして改良し、コルセットがなくても着られるように調整するつもりであった。


 いくらエッタが裁縫が得意であっても、ドレスに布を足すのは素人では出来ないことだ。だから、店に頼むしかない。


 言いながら、エッタは「こんな珍妙な依頼を受けてくれる店はあるだろうか」と首を傾げた。


「調整って……。こんなに素敵なドレスですよ。もったいないですよ」


 トーチは力説するが、エッタの心には響かない。

 息ができないほどきつい服など、着ている意味はないのだ。コルセットがきつすぎるのが、全ていけない。


「調整は後でやるとして……。今日のドレスを選ばないと」


 幸いにして、ドレスは様々は形がある。クローゼットの中から、比較的ではあるがゆったりしたデザインのドレスをエッタは選んだ。


 トーチの手伝ってもらって着てみれば、悪くはない着心地だ。シルクの独特の滑らかさと光沢が、ドレスに品を与えている。


 ドレスは水色で、布の組み合わせて上手く重ねることでウェストのサイズを誤魔化している。目の肥えている女性であればコルセットを着けていないことを見破られるだろうが、男性は気付かないだろう。


「ならば、アクセサリーは派手でゴージャスなものにしましょう」


 トーチがパールとダイヤモンドのネックレスを持ってきたが、パーティに行くわけではない。


 こんなにも派手なアクセサリーは不自然だった。エッタは、もっとシンプルなものを選ぶ。


 選んだのは、ペリドットのチョーカーだ。透明感のある緑色の石は比較的高価なものではないが、日常つかいならば合格点だろう。


「こんなに素敵なドレスやアクセサリーがあるのに……」


 トーチは残念そうだ。彼女は、もっとエッタを着飾って欲しかったらしい。だが、ものにはルールがある。さらに言えば、貴族というのは自らのルールに縛られたがる人種である。


「派手なのは夜会用ですよ。それに男爵家が購入するのが難しい高価なドレスを身につければ、いらない誤解を生む可能性もあります」


 男爵家は持てる土地が少なく、収入が比較的少ない。そんな家の娘が身の丈に合わないようなドレスを着ていれば、それだけで悪事を働いたのではないかと疑われてしまう事もある。


 疑いの果てに実家が没落してもエッタは困らないが、後味は悪いだろう。エッタは、家族に対して恨みなどの感情をもっていないのだ。


 叩かれたり、私物を取られたりしても、結局は家族という結びつきだから許してしまうのだ。


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