第10話 きっと二人は結ばれる
「いやな夢……」
エッタは、そう呟いた。
久々に実家に帰って来たからであろうか。それとも、ファナが起こした騒ぎに巻き込まれたせいだろうか。エッタの夢見は悪かった。
イテナスがエッタの頬を叩くのは、幼い頃は日常茶飯事だった。今思えばイテナスは、エッタがファナよりも秀でていることが許せなかったのかもしれない。
エッタが勉強やダンスで優れた成績を取れたら、イテナスは不機嫌になっていた。
自分の娘を少しでも上に押し上げたい。そんなイテナスの思いは、ファナにはあまり届いてはいないようであった。
ファナは、勉強嫌いの少女だった。
おまけに貴婦人の嗜みである刺繍や礼儀作法も大嫌いで、唯一の得意分野はダンスだった。
何故ならばダンスの先生が帰ったあとは、ご褒美としてケーキがだされていたからだ。ファナは、それを食べるために嫌いな運動も頑張っていたのだ。
エッタは、ファナがケーキを食べ終わらないとおやつにありつけなかった。
ファナの食欲は旺盛で、ホールのケーキでさえなくなってしまう事があったほどだ。その時は、エッタはケーキを食べられなかった。
イテナスは、ファナの子供がローリア家の当主になることを望んでいた。
それは一年も速く子供を産んだのに、エッタの生母が生きていたからと言う理由で正妻になれなかったイテナスの恨みだったのかもしれない。
そのような理由もあって、エッタは魔法使いの弟子として家を放りだされたのである。
イテナスの計算違いは、エッタが早々に一人前の魔法使いになってしまったことだろう。
エッタは十六歳で、貴族社会においては結婚適齢期である。エッタがファナより先に結婚をしてしまえば、ローリア家を継ぐことも可能であった。
もっとも、エッタには家を継ぐつもりは全くなかったが。
エッタの本質は魔法使いだ。それは十年間で育まれたもので、今更になって過去のような行儀のいい貴族には戻れないような気がしていた。
家を継ぐ大切さも性には合わなくなっていたし、働かないのが美徳というもの頷けない。エッタは働きものだったし、師匠の世話をするという役割もあったからだ。
「ハロー」
窓の外から、男性の声が聞こえてきた。
その声に聞き覚えがあったので、エッタは嫌な顔をしながらも窓を開けた。そこから入ってきたのは、一羽の白い鳩である。
普通の人間だったら、男はどこにいったのかといぶかしむだろう。しかし、エッタは男の正体を知っていた。だからこそ、驚いたりはしない。
エッタは、鳩に向かって一礼した。
貴族の淑女が行うカーテシーは、子供のときに習っただけのものとは思えないほど完璧な礼であった。
普段ならば、こんなことはエッタはしない。
実家に返された恨みからのちょっとした意趣返しだ。師匠からのドレスの餞別は嬉しかったが、彼が実家に帰れと言わなければ家族に叩かれる生活に戻ることはなかった。
「その姿でいらっしゃったと言うことは、私の親には会いたくはないと解釈しても良いのでしょうか?」
鳩は、クルッポーと鳴く。
肯定、と受け取ってよさそうである。
「ここは、私しかいないので元に戻って大丈夫ですよ」
もう一度だけ鳩が鳴くと淡く光りだす。
そして、あっという間に痩せすぎの赤髪の男の姿になった。年齢は三十歳ほどだろうか。黒い瞳は常に好奇心に輝いており、男を実年齢よりも若く見せていた。
エッタは膝をつけて、久しぶりに会った師匠に最大級の礼をとる。その礼は貴族の淑女のものではなく、魔法使いのものであった。その様子を見た男は「いい加減に、堅苦しいのはやめてよね」と口にする。
彼こそが、当代随一と言われている魔法使いのロアであった。
ロアを見た人間は、それほどまで彼が強い魔法使いであるとは思わないであろう。
ロアはあまりに若すぎるし、飄々とした雰囲気がある。しかし、一度怒らせたら恐ろしい。それが、魔法使いのロアであるのだ。
「ところで、師匠。何かしらの用事があるのですか?今は三人も弟子を取っているので、忙しい時期なのでは……」
言葉の言葉に、ロアは微笑む。
ロアの弟子は、エッタだけではない。ロアから魔法を学んだものは何人もいる。
ロアの元で数年をかけて魔法を学んだ者やロアのやり方に数カ月も保たなかった者。一人前の魔法使いになるまでの過程で、何人者の人間がふるい落とされる。
だからというわけではないが、ロアの元には常に何人かの弟子がいる。一人前だがロアの元にいるエッタは、師匠と弟子たちの世話を仕事にしていた。
今はロアは三人の弟子をとっていたが、彼らは放って来たのだろう。
よくあることだ。
エッタのことは愛弟子として娘のように愛してくれたが、ロアは他の弟子に対しては放任主義だ。
出来の悪い弟子は追い出してしまうし、やる気もない弟子も放り出す。
エッタに対しては六歳からの育てたこともあり、愛着があったのだろう。エッタが一人前になるまで、根気よく付き合ってくれた。
優しく、飽き性で、平等に愛情をかけられないロアであるが、エッタにとっては大切な師匠だ。色々と規格外な所があってもだらしない所があったとしても尊敬している。
「久々の帰省はどうだい?まぁ、一筋縄ではいかないようだけど」
ロアは、笑顔だ。
ロアは、笑うと辛気臭くなる。なぜだかは不明だが、そのせいで街でロアが人さらいに間違われた回数は一回二回の話ではない。
エッタは笑うのが下手だが、こんなところだけ師匠と弟子とで似るのもおかしな話である。
「大きな問題はありません」
エッタの言葉を聞いたロアは、彼女にデコピンをおみまいする。かなりの痛みがあったので、ロアは力を込めてデコピンをしたらしい。
「嘘は、駄目だよ。僕は育ての親だから、色々と分かってしまうんだよ」
エッタが実家で苦労することは、お見通しだったらしい。ならば実家に帰れと軽々しく言わないで欲しい、とエッタは思った。
そして、それに大人しく従ってしまった自分にも腹が立つ。
十年も経っているのだから、家族も少しはまともになっているかもしれないという願望もあったのだ。
実際なところはより酷くなっているだけだったが、エッタにも家族と平和に過ごしたい気持ちがあったのかもしれない。自分を叩いていたりしても家族なのである。
疎外されるより受け入れて欲しい。
愛したいし、愛されたい。
そんな想いが、エッタにもあるのだ。
「最悪ですよ。……どこかの師匠は、実家に帰る用事を教えてくれないし」
そう言いながら、エッタは朝の身支度を整えてしまう。ロアの目があってもお構いなしだし、ロアも気にしない。
小さな研究所で暮らしていたせいで、エッタは師匠のロアの前で身支度を整えることに忌避感はなかった。
師匠のことは男だと思っていなかったし、狭いロアの家では誰かの視線を遮るような個室はなかった。
最近では弟子を前よりも多くとることも増えたので、ロアの家は増築された。けれども、まだまだ狭い。
弟子の情操教育に悪いので、男の弟子たちの前では着替えないようにしている。しかし、相手が師匠だけだとボロが出るのである。
「そのワンピースも素敵だけど、今日はドレスを着てほしいな」
ロアは、クローゼットに雑に押し込められたドレスたちを指差す。メイドたちが、夜中に大わらわで詰め込むんだドレスたちだ。
ファナが身につけた一着だけ少し伸びてしまったが、おおむねのドレスたちは無事である。
いきなりダンスを始める服などは、ファナの部屋には置いておいておけない。そのようにメイドたちは判断して、ドレスはすぐさまエッタの部屋に戻されていたらしい。
アクセサリーに関しては確認していないが、きっと同じように元に戻っているだろう。
ファナやメイドたちは、ドレスとアクセサリーには呪がかかっていると思っているかのようだ。
ファナは、そんなものそばに置きたがるはずもない。メイドたちは気味悪いと思いながら、ドレスとアクセサリー運んだはずだ。
だからこそ、迅速にエッタの部屋に戻されたのだろう。
「そういえば、公爵家の人が来るんでした」
エッタは、ため息をついた。
公爵が何故エッタに会いたいと理由は、いまだ分からない。魔法を見せるだけという内容だったら嫌だな、とエッタは考える。
金持ちの道楽で、ただ珍しい魔法が見たいという人間が一定数いるのである。公爵が、そのような人種でないとは誰も保証できない。
「ふふ、今日は公爵家の当主とエッタのお見合いだよ。お洒落するのは、当然」
ロアの言葉に、エッタは目を見開いた。
師匠の言葉が信じられなかったし、父の口から見合いという三文字も出てきたこともなかった。
いや、父は公爵の思惑そのものを知らないようだ。もしも、公爵がエッタ求婚するために来ると言ったら、何がなんでも見合い相手にファナを勧めるであろう。
「師匠……見合いって、どういうことですか?」
エッタが、ロアに詰め寄った。
エッタの鬼気迫る表情に、ロアは引きつった笑顔を見せる。その表情は、ロアが何か嫌なことを思い出したときの顔だった。
ロアはエッタの顔をそろりと見た後に、両手を合わせた。怒られると思ったに違いない。どうして、それほどの案件を忘れられるというのだろうか。
エッタは、師匠の頭の内部を疑う。ロアは間違いなく天才であるが、日常生活においてはポンコツだ。このような伝え忘れや勘違い多発させる。
おかげで、師匠の世話は老人介護様相を呈していた。エッタは、たまに自分の師匠が本当は六十歳ではないかと疑うことがある。記憶力などが三十代のものではないからだ。
「君の父上に、お見合いだという話を言うの忘れていたかも……」
「ごめんね」と軽く謝るロアに、エッタは目眩がした。そして、師匠から細かい話を聞く。
公爵は、まずはロアに『エッタ見合い話』を持ってきたと言う。
だが、貴族の娘に勝手に見合いの席を設けるのはどうだろうかとロアは考えた。
だから、父に『公爵がエッタに会いたがっている』と伝えたのだ。
そうして、エッタは実家に呼び戻されたのである。自身の見合いが行われるとは知らずに。そして、父も知らないであろう。父は、公爵はエッタに会いに来ることしかしらない。
「では、あの大量のドレスは……」
今まで不思議だったドレスの山の正体が、エッタには分かったような気がした。
ロアとエッタは、十年も一緒にいたのだ。考えていることは、大体は分かる。
「あれは、嫁入り道具。公爵家に嫁ぐのならば足りないぐらいだよね」
エッタは頭痛がした。
一介の魔法使い兼男爵令嬢が、公爵家の人間と見合いをするだなんてありえない。そして、嫁入りが決まっていないのに花嫁道具を用意するのも信じられなかった。
エッタは、ドレスと宝石が多すぎると思っていた。しかし、公爵家に嫁ぐのならば確かに足りないぐらいである。公爵家というのは、それぐらいに大きな家なのだ。
「師匠……お見合いからしてありえませんが、結婚なんてもっとありえません」
エッタは至極真っ当なことを言ったが、ロアはニコニコしているばかりである。エッタの結婚がすでに決まっているような顔だ。
いや、大金を使って嫁入り道具を揃えているのだ。エッタと公爵家の話がまとまる、と元よりロアは考えていたのだ。
ロアは魔法使いだから、貴族社会の常識に疎いのだろうか。それとも親バカのあまり、義母と父のように目が曇っているのかもしれない。
「いやいや、きっと二人は結ばれるよ。二人はお似合いだもん」
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