第8話 踊るドレス
「きゃあ!なんなのよ!!」
ファナの悲鳴が聞こえてきたので、エッタは急いで部屋をでた。貴重品を狙って入った泥棒とファナが鉢合わしたのではないかと思ったのだ。
貴族の屋敷に入る泥棒は少ないと思うが、ありえない話でもない。貴族を害した平民は死刑となるが、稀に死を恐れずに貴族を襲うならず者だっているかもしれない。
ファナには、姉らしいことをしてもらった記憶がない。いつも意地悪をされて、幼い頃のファナには泣かされていた。
それでも、血の繋がった姉妹である。
自分には魔法の力があるのだから、できる限りは助けたい。エッタは、それぐらいにはファナのことを想っている。
エッタは、隣の部屋のドアを開けた。
そこが、ファナの私室なのである。
「ファナお姉様、入りますよ!」
ファナの部屋に入った途端に、エッタは唖然とした。そこでは、想定外の光景が繰り広げられていたのだ。
ファナが着たシルバーのドレスが、実に楽しげに踊っていたのである
踊っていたのは、一着のドレスだけではない。エッタから奪ったドレスの全てが踊っているのである。
その光景はあまりにも楽しそうで、まるでドレスだけの舞踏会のようであった。こんな魔法を仕掛ける人間など、エッタは一人しか知らない。
「ああ、なるほど。そういう事だったんですか」
エッタが指を鳴らせば、ドレスは動きを止めた。ファナが着ていた銀のドレスさえ、踊るのを止める。
思ったとおりであった。
ドレスには、師匠の魔法がかかっている。エッタは一人前の魔法使いだが、師匠には敵わない。当代一の魔法使いと呼ばれているのが、エッタの師匠なのだ。
「なっ、なんだったのよ。もう……」
フェナは目を回しており、思わず座り込んでしまった。立ち上がろうとしても立てずに、ベットの柱にすがりついている。
ファナの着替えを手伝ったであろうメイドたちは、震えて一箇所に固まっている。よっぽど恐かったのだろう。ポルターガイストだとでも思ったのかもしれない。
「エッタお嬢様!こ……これはいったい」
一番年嵩のメイドが、震えながらもエッタに尋ねる。メイドたちは、エッタが怒ってファナに復讐したと思っているようだ。
ファナは、大きなため息をついた。
自分は無罪なのに、疑われるのは悲しいものがある。メイドたちの怖がりようでは、魔法使いに対しての偏見もあるのだろう。
魔法使いは何でも出来るというイメージがあるために、地方によって排斥される場合があるほどだ。起きたこと全てが魔法で解決できると考えられてしまうからだ。
「私のせいでがありませんよ。まぁ……関係者のせいだったりはするのですが」
エッタはドレスを拾い上げて、布を額につける。エッタには犯人が分かっていたが、師匠ならば証拠をわざと残しているはずである。
現に、ドレスが踊りだす魔法はわざとらしいほど簡単に魔法を解く解くができた。エッタが困らないようにするための気遣いであろう。
「やっぱり、師匠ですか……」
姉が人のものを盗ってしまうという話を師匠にしたことがあったが、こんな仕掛けをしていたとは考えてもみなかった。師匠は、ドレスをエッタに確実に着せたかったのだろう。
「私以外の人がドレスを着ると勝手に踊り出すようですね」
まさか、そんな仕掛けが施されていたとは考えてもみなかった。確かめてはいないが、アクセサリーの方にの魔法がかけられているかもしれない。いや、確実にかかっているはずだ。
「お姉様、大丈夫ですか?」
ファナの顔を覗きこめば、彼女は涙目になっていた。着ているドレスが勝手にダンスを踊ったのだ。怖くて当然であろう。大泣きしないだけ、ファナの心臓は強い。
エッタは、ファナを見直した。てっきり親に泣きつくだけの存在だと思っていたが、変なところで肝が据わっている。そこだけは、自分とファナの似ているところかもしれない。
「何だっていうのよ、これは!」
ファナは叫んで、髪を掻きむしった。
綺麗に整えられた銀髪は乱れた。それを見たメイドたちは、さらに真っ青になっている。ファナの髪のセットには、一時間もかかるからだ。
「なんだと言われても……。盗難防止の魔法としか」
エッタの言葉に、ファナは泣き叫んだ。
あまりに大きな声だったので、メイドたちとエッタは耳をふさいだ。子供だって、こんなふうに泣いたりしないだろう。
「私は、姉よ!泥棒じゃないのに!!あんまりよ」
エッタのドレスを奪っておいて、よく言えたものである。
メイドたちも困ってしまって、子供のように泣き叫ぶファナを慰められない。エッタの部屋からドレスやアクセサリーを運びだしたことについて、メイドたちは罪悪感を持っていたのだろう。
メイドたちは、何故かエッタに向かって頭を下げる。その行動にエッタが戸惑っていれば、メイドたちは揃ってエッタに謝罪する。
「もっ……申し訳ございません。何度でも謝罪しますので、どうか殺さないでください!」
メイドたちは、エッタが怒りでドレスを操ったと思っているらしい。その勘違いは嬉しくない。エッタは、この件に関しては無実である。
「あの……。これは、私のせいではないのですが」
エッタは、とても困ってしまった。
踊るドレスについては、エッタは本当に無関係なのだ。全て、師匠悪い。
「えっと、これは私の師匠がかけた魔法なんです。魔法を解くことは出来ませんが、害もありませんから……」
師匠は強いが、それをひけらかそうとしたことはない。どちらかというと、楽しいことに魔法を使いたいタイプだ。
エッタが裁縫道具を踊らせたのも理由は楽しいからなので、師匠の教えを受け継いでいると言うべきだろう。
「嘘よ!」
ファナの声が響いた。
あまりに大きな声だったので、エッタとメイドは驚いてしまった。
「だって、ドレスが縮んでしまったのよ。これは、害のある魔法が使われているわ!」
エッタは、ファナを改めて見た。
ファナは、銀色のドレスを着ようとしている。エッタのドレスのなかでも銀色のドレスは細身のものであり、何故それを選んだのだという格好になっていた。
ドレスはファナの腹に引っかかって、それ以上はファスナーが上にあげられていなかったのだ。
細身のエッタでさえ、コルセットをしめなければ着れないドレスだというのに。ファナは何を考えて、そのドレスを選んだのだろうか。
「コルセットもしていないのですか……」
ファナは、ウェストを締めるためのコルセットもしていなかった。おそらくだが、ファナの腹部に合うようなものがなかったのだろう。
とりあえず、メイドとエッタは協力してファナの着ているドレスを脱がしにかかった。無理に着たドレスは、脱がしにくくてたまらない。
ファナはエッタに裸を見られることを嫌がったが、無理に肉を詰め込んだドレスを破らないように脱がすにはメイドたちだけでは無理であった。
なんとかドレスを脱がし終われば、メイドたちとエッタは疲れ切っていた。体力的には問題はないのだが、ドレスを破らないように脱がせることに骨が折れたのだ。だが、おかげでドレスは無事である。
一つの仕事を協力してやりきったエッタとメイドたちには、不思議な連帯感が生まれていた。
実家に帰ってから使用人たちには挨拶も出来なかったエッタだが、これで悪い印象を与えることは回避できた。
「着るドレスを考えてください。なんで、一番タイトなドレスを着るんですか……」
エッタの言葉を聞いたファナは、トマトのように顔を赤くした。エッタの言葉が、ファナの逆鱗に触れたのだ。
「だれが、デブだって!」
ファナの平手で、エッタの頬を叩いた。
ファナは自分がふくよかな自覚があったが、それを恥じてはいなかった。けれども、エッタの視線が憐れむようなものだと感じてしまったのだ。
これでは、明日のおやつが不味くなる。ファナは、それが許せなかったのである。
「その子を追い出してちょうだい!」
ファナは怒りに任せて、手が届く範囲のものをエッタは投げつけた。そのヒステリーに、メイドの一人がエッタを連れて部屋から出ていく。
「エッタ様……お願いですから、ファナお嬢様の逆鱗には触れないでください」
ファナは、自身が決して太り過ぎだとは思っていない。ちょっとだけ骨が太いぐらいにしか考えていないのだ。
しかし、社交界では細ければ細いほどに可憐だという風潮がある。今までは婚約者がいたからファナは壁の花にはならなかったが、次からは違う。誰ともダンスを踊れないファナは、きっと荒れるであろう。
「でも、今のままでは健康に悪いですよ。ちょっとぐらいは痩せた方が……」
メイドは、エッタの口を手でふさいだ。真剣な表情で、それ以上は言うなと視線で伝えてくる。
エッタは、静かに頷いた。
ダイエットという言葉は、ファナには禁句だ。自分の魅力が分からないのかと暴れまわるからである。
エッタは、再びため息をついた。
ファナの我儘が出来ないという短所は、小さい頃よりも悪化している。両親にドロドロに甘やかされたせいであろう。
結婚しても他家に嫁ぐことがないファナは、花嫁修行すらしていないかもしれない。それどころ、淑女が嗜むべき刺繍やお茶のマナーなどが出来るのかどうも怪しい。
これでは、公爵に見初められるなど夢のまた夢である。万が一があったとしても夫人としての仕事が出来るとは思えない。
公爵家の女主人ともなれば使用人の采配だけではなく、サロンやお茶会を開かなければならない。社交界でも相応の地位を守ることをしなければ、自分だけではなく夫の地位も危うくする。
公爵家の夫人は賢さだけではなく、行動力や胆力が必要になる。ファナは、そのどれも持ってはいなかった。
「エッタ様は、本当に貴族なのですか?魔法使いになるため修行をしていたと聞きましたが……。そのあまり……」
貴族らしくはない、とメイドは言いたいのだろう。目の前にいるメイドは若くて、昔のことなど知らないのだろとエッタは思った。
十年前のエッタは、子供ながらにマナーをわきまえた小さな淑女であった。今でも一通りのマナーは忘れてはいない。
もっとも、それはあくまで記憶しているだけで貴族らしさがエッタの態度に出ることはなかった。
「十年も修行をしていれば、貴族らしさも消えてしまいますよ」
六歳のころのエッタは、優等生だったのである。マナーや座学といったことで、家庭教師に褒められていない科目はなかった。
今だってイテナスが小言を挟む余裕がないほどに、マナーは出来ている。小さい頃に学んだものは忘れないとは言うが、その言葉は本当だったらしい。
順当にいけば、エッタはローリア家を継ぐことになっていただろう。だからこそ、幼くとも厳しく生母は躾けたのである。
魔法使いになった事に後悔はないが、大人しく屋敷を追い出された自分には不満がある。もっと抵抗すればよかった。
当時のエッタは子供で、なんの力もなかったのは理解している。だからこそ、自分の権利を守れなかったことが悔しいのだ。
「私は休みます。ドレスに関しては、お姉様が望むのならば私の部屋に運び込んでください。」
エッタは欠伸を噛み殺して、後のことをメイドに頼んだ。
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