第5話 エッタの怒り



 エッタは部屋で、一人で荷解きをしていた。


 持ってきた荷物はさほど量はないが、メイドの一人もつけられていない。


 おかげで一人で好きなように荷物を開けられるので楽ではあるし、自分にメイドがつけられるとも最初から思っていなかった。


 それに両親たちは、ファナの婚約破棄の件で忙しい。婚約破棄など、当人たちだけで出来る理由がないのだ。そこには、親同士の話が絶対に必要になる。


 両親はスバルの屋敷におもむき、今頃はきっと賠償金の話などをしているはずだ。


 今回はファナから一方的に切り出した婚約破棄なので、ローリア家は多額の賠償金を先方に払うことになるだろう。それであっても娘の我儘を両親は優先した。


 両親がファナを甘やかすのには、限界がないらしい。普通だったら、反省しろと部屋に軟禁されてもおかしくない話だ。


 両親は、ファナが公爵に見初められると信じている。傍からみたら、とんでもない愚かな親バカだ。

 美しい娘であっても男爵家の人間が、公爵家に嫁ぐなど難しいというのに。


 しかし、それがエッタには少しだけ羨ましい。


「これは……嫉妬?」


 両親からの無償の愛などは、すでに諦めたつもりだった。だが、過保護なほどに愛されているファナを見ていれば悲しい気持ちになってしまう。


 自分も親に愛されたかった、と考えてしまうのだ。暗い感情には、意図的に蓋をする。それよりも今は荷解きだ。


「それにしても……。師匠は何を思って、これを私に持たせたのでしょうか?」


 エッタが旅行鞄から取り出したのは、どのように考えても鞄に入り切るはずもないドレスの山だった。


 これは師匠が作った鞄で、見た目よりも物が収納できるという便利すぎるものだった。アイテムボックスという物の応用理論らしい。


 一部の魔法使いしか作る事が出来ない鞄は、なかに入っていたドレスよりも価値が高い。


 師匠は餞別としてエッタに渡してくれたが、この鞄を売ってしまえば不自由のない人生が送れるだろう。無論、エッタは売るつもりなど毛頭ない。


 せっかくの貰い物だ。


 あとでバラして仕組みをよく観察しよう。そうすれば、きっとエッタも鞄を作れるようになるはずだ。どこから材料費を捻出しようかと考えながら、エッタ手を休めることはなかった。


「さて……ドレスを片付けないと」


 鞄を漁っているとドレスの他にも装飾品まで出てきて、さすがにエッタは驚いた。師匠はエッタの餞別に、いくらぐらいの金銭を無駄にしたのだろうか。


 師匠のことだから自身が作り出す魔道具の一つ二つを売って金を工面したと思うのだが、ここまでされては申し訳なくなってしまう。


 けれども、少し嬉しい。


 実家で不自由な思いをしないようとエッタの事を考えて、沢山のドレスやアクセサリーを集めてくれた。まさしく、エッタが欲しかった無償の愛だ。


「師匠……」


 エッタは、師匠の代わりにドレスを抱きしめたくなった。普段はおっちょこちょいで手間のかかる人だが、エッタにはちゃんと愛情を示してくれる。


「でも……こんなにたくさんのドレスをどうしろと……」


 少ないよりも多いほうが良い、と言っている師匠の姿がエッタの脳裏に浮かんでくる。


 普段から服に興味がない師匠は、自分が持っている衣類の数すら把握していない。洗濯すらエッタに任せであったぐらいだ。


 だから、どれぐらいの数のドレスが貴族の家で必要になるのかが分からなかったのだろう。


 エッタは、ドレスや宝飾品をクローゼットやドレッサーに丁寧にしまった。


 公爵家が何を考えているかは知らないが、師匠からドレスやら装身具までもらってしまったのだ。この問題を早々に解決し、師匠に吉報を届けなければならない。


「あとは、本と魔法の道具と……」


 荷物の全部を出して部屋に置けば、なにかの実験室のような光景ができあがってしまった。こうなってしまえば、部屋にある高価なベッドなどの大きな家具が不似合いになる。


「まぁ、いいか……」


 せっかくの高価な家具なのだ。不格好になるのはあきらめて、ありがたく使わせてもらうことにする。


 先ほどベッドに大人気なくダイブしてみたが、実に素晴らしい寝心地だった。さすがは貴族の家だ。家具の趣味がいい。


「エッタ、まだ寝ていなかったのね」


 夕食を終えたらしいファナが、エッタの部屋に入ってくる。おそらくは今日の食事がどんなに美味しかったかを自慢して、優越感を感じるためだろう。


 空腹のエッタは、なにも聞きたくないとばかり耳をふさいだ。空腹のときほど飯の話はつらい。ましてや、男爵家の夕飯なのだ。デザートまでついた豪華なディナーだったに違いない。


 ファナはエッタの耳を塞ぐという犯行に、きっと金切り声を上げるであろう。


 だが、想像した叫び声は聞こえない。


 エッタは首をかしげた。耳から手を離せば聞こえてきたのはファナの声であるが、想像していたのと違う内容だった。


「何なのよ。これ!」


 ファナは叫んだ。


 部屋は様々な魔法を研究するための道具が置かれていて、とてもではないが年頃の娘の部屋とは思えないことになっていたのだ。本と実験に使う物の数々がおかれて乙女の部屋は、学者の研究室のような有様に変貌していた。


 我が家の変貌に、ファナは目眩がした。


 魔法使いは、全体数が多くない。


 ファナは、エッタぐらいしか魔法使い知らない。そのために、全員がこのような趣味なのだろうかと思った。


 だとしたら、魔法使いはひどく悪趣味だ。


 部屋は絵画や花。陶器などで飾り立てるものだというのに、エッタの部屋は無骨で乙女らしいところが一つもなかった。


「これらは、魔法を研究の際に使う道具です。師匠のところから持ってきました」


 エッタは、少しばかり胸を張って答える。


 エッタにとって魔法使いであることは、誇りであった。だからこそ、ドレスやアクセサリーよりも研究道具がエッタの宝物だ。


 だからこそ、魔法使いではない人間に部屋が悪趣味だと言われても何にも感じなかった。これが自分なのだと誇れるぐらいだ。


 しかし、ファナは違う。


 エッタの趣味の悪さに嫌悪感を示して、魔法使いというものをあなどり始めていた。貴族女性にとって、己の美的感覚磨くのは大切なことだ。しかし、エッタは、そんな基礎的な事すら出来ていない。


 ファナは、女としてのエッタを侮った。


 こんな女が公爵家の人間に選ばれるわけがないと考えた。そして、自分こそが未来の公爵家の夫人になると確信したのであった。


「こんなものを持ち込んで……。ふん、やっぱり魔法使いは芋なのね。どうせ、クローゼットにも今着ているようなダサい服しか入っていないのでしょう」


 ファナは、勝手にエッタの部屋のクローゼットを開開けた。そこにしまわれていたのは、ファナでさえ見たことがないような美しいドレスたちであった。


 エッタのことは、趣味が悪くて気持ちが悪い魔法使いだと思っていた。だというのに、クローゼットから現れたのは素敵なドレスたちだ。


 しかも、どれも素晴らしい品々である。


「なによ……。このドレスは!どれも私が買ってもらえないような高級品じゃない!!」


 ドレスを見る目を鍛えられていないエッタは「そうだったんだ」と呟く。ドレスが高級品であることは分かっているが、殊更に高いドレスだったことは思ってもみなかった。


 自分の服装には無頓着なくせに、そこまで弟子に金を使って何を師匠は考えているのか。


 エッタは、ため息をついた。


 そして、帰る時には師匠のまともな服を買っていこうと思った。師匠は横着で黒いローブしか着ていないが、もっと別な服の着るべきなのだ。


 着飾れとは言わないが、小綺麗な格好をしてほしい。弟子としてのエッタの願いである。


「ふん。ドレスだけで、アクセサリーは玩具みたいなものなんでしょう!」


 ファナは、焦りながらもドレッサーの引き出しを開けた。その強引さは盗人のようでもあったが、師匠のことを考えていたエッタは非難の言葉を口にすることはなかった。。


「なによ!これは!!」


 ファナが見たのは、きらきらと輝く宝石たちである。ダイヤにエメラルド、トパーズと言った様々な宝石は、アクセサリーに加工されて引き出しに大切にしまわれていた。


 ファナだって宝石を沢山持っているが、自分の持っている石とは輝きも大きさも全てが段違いだ。こんなに沢山の質の良い宝石は、母のイテナスでさえも持っていないだろう。それぐらいに素晴らしいアクセサリーたちだったのだ。


「エッタの癖に生意気よ!どうして、こんなにドレスやアクセサリーを持っているのよ。芋みたいな恰好をしているくせに」


 ファナはイライラとした様子で、引き出しにあったダイヤモンドの首飾りを子供のように乱暴に掴んだ。


 胸元に、大きなダイヤモンドを一つ。鎖にも小さなダイヤモンドが使われて、豪華で洒落た首飾りであった。男爵家での収入ではとても買えないものだった。


 その他の宝石も素晴らしいものばかりで、オパールと金を使った指輪や凝った鳥の意匠の腕輪もあった。髪飾りも豪華で、金と銀で作られた髪留めの華やかさは感嘆のため息をつきそうになる。


 組み合わせによっては、王妃のように着飾ることも可能な宝石たちだ。


 しかも、日常使いが出来るように、地味めのアクセサリーもあった。


 ドレスといい、宝石のたぐいといい。エッタが貴族の令嬢として生活する上で困らないだけのものが揃えられてい。しかも、男爵以上の階級も娘たちのように。


 キラキラと輝く宝石はファナも大好きだが、それをエッタが持っていたものだと思うと怒りが抑えられなかった。


「ふん。こんなに持っているのだから、一つぐらいよこしなさいよ」


 ファナは乱暴な手つきで、ダイヤモンドのネックレスを引き出しから取り出した。それが一番高価そうで、一番美しい宝飾品に見えたからだ。


 ファナが宝石を取った途端に、エッタの顔色が変わる。


「待ってください。それは、師匠からの頂き物です!」


 初めてエッタが焦ったような声をだしたので、ファナはにやりと被虐的に笑った。今までの冷静なエッタと違う姿に、ファナは十分に満足する。


「こんなに持っているんだからいいじゃない。少しぐらいは良いじゃない」


 ファナが、ダイヤモンドのネックレスを自分の胸元に当ててみた。上質やダイヤモンドの輝きは、自分をより華やかにしてくれるような気がする。


 エッタには、こんな宝は似合わないだろう。


 エッタは痩せ過ぎて、女としての魅力が欠けている。女は少しばかり太くなければ、色気などはでないのである。


 ファナは、そのように考えていた。


 それは優しい両親がファナに教えたことであり、それを本人は信じていた。そして、この世で自分が一番美しいと考えている。


 自分を選ばれないはずがない。


 なぜならば、美しいからだ。


「やっぱり、素敵ね。こんな宝石をくれるだなんて、あなたの師匠はどれだけのお金持ちなのよ。それとも、師匠に身体でおねだりでもしていたの?愛人だったとか……」


 次の瞬間、エッタの眼つきが変わった。


 その眼に、ファナが背筋が寒くなった。


 これまでの人生で、ファナは本気で怒った人間を目の前にしたことはなかった。両親はいつもファナに甘いし、使用人もファナを持ち上げない人間はいなかった。


「訂正を求めます。師匠は、そんな人ではありません」


 剣呑な雰囲気を発するエッタに、ファナはぶるりと身震いした。そして、エッタが魔法使いであったことを思い出す。


 昼間に見せたような突風を今度も使うのだろうか、とファナは恐ろしくなった。しかし、よく考えれば私物を置いた部屋でエッタが風の魔法を使うわけがない。


 そんなことをしたら、エッタが大切だという研究道具も壊れてしまう。趣味は悪いが、わざわざ実家に持って来たの道具たちである。


 そのように考えたファナは安心して、今度はエメラルドのブローチを手に取った。こちらも大きくて上質な石が使われている。


 先ほどのフクロウのブローチもすてきであったが、このブローチも負けてはいない。特に、宝石のカットが素晴らしいのだ。


 本当は指輪も欲しかったが、ファナの太ましい指には入らなかった。それだけは細いエッタが憎ましかったが、指輪など付けなくとも十分すぎる輝きが他のアクセサリーにはあった。


「これとこれは、もらっていくわよ。私たちの屋敷に住むことになるんだもの。これぐらいの家賃はもらわないとね」


 エッタの恨みがましい視線が、ファナにはとても気持ちいい。魔法が使えないエッタは怖くはないし、沢山の宝石も手に入れた。スバルとも婚約破棄が出来たし、今日は良い日である。


 ばさり、と重い布が落ちる音がした。


 涼しくなった足元を見れば、ファナのドレスの裾は膝まで所まで切れてしまっていた。


 貴族の女性にとって、足を見られることは最大の恥である。ファナは恥ずかしさの余りに悲鳴をあげてうずくまる。


「私が風を得意とする魔法使いだと思って舐めないでください。風は竜巻やカマイタチといった自然現象を起こします。次に師匠を悪く言ったら、衆人観衆の前で同じことをしますよ」


 エッタの残酷な言葉に、ファナは魚のように口をぱくぱくさせる。羞恥のあまり言葉が出ないのだ。しかし、次の瞬間には涙を溜めながらもエッタを睨みつける。


「ちょ……ちょっと宝石やドレスを持っているぐらいで好い気にならないで!!あなたなんて、この屋敷から追い出してやるんだから!」


 ファナは立ち上がって、泣きながら自分の部屋に帰っていった。それを見送ったエッタは、ため息をついた。今日になってから何度目のため息だろうか。


「良くも悪くも変わらないですね……」


 思い出せば、ファナは何度もエッタの私物を盗っていった。幼い頃はリボンの髪飾りやヌイグルミと言った物ばかりだったが、その度に悔しい思いをしたものである。


「師匠は何を思って、私を実家に戻したのでしょうか……。スイール家は、私に何を求めておいでなんでしょうか……」


 今は、まだ分からないことだらけだ。



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