第2話 いびつな家族



「家の中で魔法を使うなんて!ファナが怪我でもしたら、どうする気だったの!!」


 屋敷中に響くようなイテナスの怒号と共に、エッタは左頬に痛みを覚えた。イテナスが渾身の力をもって、エッタの頬を叩いたからである。


 ファナはエッタが使った魔法に恐怖を抱いた、という涙の告白を母親のイテナスにしたらしい。


 ファナはエッタの魔法を使った話に脚色を加えて『エッタの風の魔法で、怪我をしそうになった』とイテナスに報告したようだった。おかげで、エッタは無実の罪で顔面を叩かれたわけである。


 頬の痛みは、何処か懐かしい。子供の頃は、よく叩かれたものだ。そこに明確理由がなかった なかったけれども。


「使ったのは、無害な風の魔法です。部屋の埃を払う程度の魔法では、誰も怪我などしません。ほら、見てください。埃だらけの部屋も綺麗になったでしょう?」


 エッタは、両手を広げて埃一つもない部屋をアピールした。それを見たイテナスは、一瞬だけ目を見開いた。今まで風の魔法で掃除をしたのだとは信じていなかったのだろう。


 使用人に掃除をさせなかったのは、イテナスの命令であろう。屋敷では使用人の仕事に指示を出すのは、女主人のイテナスであるからだ。


 つまり、イテナスはエッタの部屋が埃まみれであることを知っていたのだ。なのに、部屋のことは何一つ口にしない。イテナスは、昔から自分や娘に都合の良いようにしか話をしないのである。


 エッタの言葉を聞いたファナは、大声で『嘘よ!!』と叫んだ。


「エッタは、風の魔法で私のことを襲ったのよ。信じてよ、お義母さま!」


 ぎゃあぎゃあ、と騒ぐファナのことをイテナスはぎゅっと抱きしめる。その光景を見たエッタはあきれ顔であった。


 エッタが家を追い出される前から、ファナとイテナスはべったりだったのだ。


 何かあればファナは『エッタにやられた!』と騒いで、イテナスに泣きつくのそして、イテナスはエッタに体罰を与えるのである。


 この体罰は父も同じで、子供ころは日に何度も叩かれていた。叩かれすぎて乳歯が飛んでいったこともあったな、とエッタは過去の出来事を思い出す。


 そんな育ちをしたせいもあって、エッタは感情の薄い少女に育ってしまった。


 嬉しい、悲しい、という感情はある。しかし、顔に出ないのだ。


 泣いたところで飛んでくる掌の力が弱まることはない。その絶望で、エッタは感情は外に出なくなってしまったのだ。


 師匠には「可愛いのだから笑いなさい」と言われていたが、無理やり作った笑顔が不気味だったのであきらめられた。笑うという行為が、自分には縁がない。そのように、エッタは思うことにしたのだ。


「ファナは嘘などつかないわ!バツとして、今日の夕飯はなしです。自分の部屋でよくよく反省をしなさい!!」


 イテナスは、ふんと鼻息も荒く罰を言い渡した。一方のファナは、その後ろで舌を出している。


 子供っぽいとしか言えないファナの態度に、エッタはあきれかえるしかない。姉は、エッタが出ていってからも精神的に成長はしていないようだ。


 他人の物でも欲しいものは盗ってしまうし、簡単に嘘をつく。このような性格では、社交界で恋人どころか友人も出来ないだろう。


 煌びやかなパーティ会場で孤立するファナの姿を想像して、エッタはため息をついた。ファナはい跡取り娘だが、このままでは婿取りもままならないはずだ。


「可哀想な、エッタ。少し大人しくしていれば、夕食なしだなんて言われなかったのに」


 ファナは、遠巻きに嫌味を言ってくる。しかし、相手をするほどの嫌味でもないので放って置くことにした。


 ファナは、両親と違って暴力を振るって来ることはない。無視したところで、今は無害であろう。悔しがる様子もないエッタ態度に、ファナは頬を膨らませる。


 エッタは自分の家が過去のままで時間が止まっているようだ、と思った。


 ファナの扱いだって子供のようだったし、イテナスの派手な装いも昔の若い時ままだ。


 しかし、実際はファナは社交界デビューを果たした大人であったし、イテナスの年齢に見合わない派手なドレスは彼女に似合っていなかった。


 いつまでも若いまま子供のままではいられないというのに、二人は時間に逆らって生きている。それが、エッタには憐れに思えてならなかった。


「それより、可愛いファナ。今日は婚約者のスバル様と会う日よ。今から、着るものを選ばなければ駄目だからね。思いっきり、お洒落をしなさいよ」


 驚いたことに、ファナには婚約者がいるらしい。ファナの我儘に耐えうる男がいるとは驚きだ。どんな聖人なのかエッタは気になった。


「エッタ。私の婚約者はとっても素敵な人なのよ。一応は紹介してあげるから感謝しなさい」


 ファナは、エッタが貴族が着るようなドレスを一着も持っていないのを知っているのだ。ファナが困るのを承知で、こんなことを言っているのである。


「そうだ。メイド服だったら新しいものがあったよね。それを着たらいいわ。お茶の準備とかも出来るのでしょう?明日は、存分に使用人として使ってあげる」


 上機嫌にファナに、イテナスも笑顔になる。


 この二人は、エッタを虐めるのが一番の娯楽だと思っているらしい。本当に、この家族は昔と変わらない。


「聞いたぞ、エッタ。帰ってきて早々に騒ぎを起こしてくれたらしいな!」


 エッタの部屋のドアを乱暴に開けて入ってきたのは、エッタとファナの父親であった。


 若い時は美貌で知られていた男爵の顔立ちは、娘たちにどこか似ている。


 ファナとエッタは、父親似なのである。


 おかげでファナも醜く太っていたとしても、まだ見られる姿をしていた。


 エッタの顔も美しく整っており、そこだけはエッタは父に感謝している。エッタとて、女である。顔立ちは、整っていた方が良い。


「お前に会いたいという人がいたから呼び戻したというのに、どうして騒ぎばかりを起こすんだ!お前は、昔からちっとも変わらないな!!」


 父は、エッタの頬を叩く。


 父曰く、これは躾らしい。しかし、エッタにとっては意味のない暴力に過ぎない。


 父はエッタを怒鳴り散らし、ファナの手を取った。傷などがないことを確認し、ふぅと安堵の息を吐く。


 娘に怪我がないかを確かめたのである。嫁入り前の娘に怪我は厳禁だ。しかし、ここまで溺愛していれば気持ち悪いものがあった。過保護が過ぎて、まるで娘に恋しているようである。


 それとも、これが普通の父と娘の普通の態度なのだろうか。エッタには、それすら分からなかった。


 エッタが顔をしかめていれば、ファナは涙を浮かべた。そして、父の胸の中に飛び込んでいく。


「お父様、聞いてください。エッタが風の魔法で、私を攻撃しようとしたのです。私、本当に怖かった……」


 ファナは弱々しい姿を見せていたが、エッタにとってどうでも良かった。それよりも気になったのは、父が自分を呼び戻した理由である。


 父の知り合いにエッタに会いたい人がいるというのは、意外な話だった。けれども、考えてみれば父がエッタを呼び出した理由は他人を介していなければありえないことである。


 幼い頃から、父はエッタの頬をよく叩いた。大抵はファナの思惑が絡んでいたが、エッタのことが憎いので叩くこともあった。


 父にとって 、エッタはいらない子だったのだ。どこかに消えて欲しくて、それでも外聞が悪くて追い出せない苛立ちから叩いていたのだろう。


 魔法使いに弟子入させるという方法を思いついたときには、おそらくは踊り出したいぐらいに嬉しかったに違いない。憎い子供の顔を見なくても良いからだ。


 幸いにして、エッタと魔法は相性が良かった。


 最短で一人前になることが出来たし、今では師匠の次ぐ魔法使いと呼ばれるようになった。


 自分は強くなった。


 それでも家族に大人しく叩かれているのは、幼少期がトラウマになっているのかもしれない。さらに言えば、こんな家族でもエッタは親からの愛情が欲しかった。


 こんなところは自分も子供なのだな、とエッタは忍び笑った。ファナを笑えない自分の心が、どうしようもなく惨めだった。


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