魔法使いと公爵の契約結婚~あなたは私が守るから~

落花生

第1話 十年ぶりの帰宅


 十年ぶりに戻って来たエッタ・ローリアの私室は、どんよりと重い雰囲気であった。


 おそらく数日前から換気や掃除がされていなかったのだろう。エッタの部屋は、薄い埃に覆われていた。


 分厚い埃が被っている場所はなかったので、使用人たちに言って定期的な掃除をわざと止めていたのだろう。実家に帰ってくるエッタに、嫌がらせをするために。


 ご苦労なことだ、とエッタはため息を吐く。


 下手に時間を置いて埃を溜めるよりも、定期的に清掃した方が使用人の仕事は楽だっただろうに。自分を出迎えてくれた時に顔を見た使用人たちに、エッタは同情した。


 十年前に実家を出ていったせいもあって使用人の顔見知りは一人もいなかったが、それでも同情ぐらいはしてしまう。埃を取るのは、それなりに面倒なのに。


 男爵家の娘であるエッタは、本来ならば掃除の大変さなど知らずに成長するはずだった。


 貴族の一番の恥は、労働である。そのため、貴族たちは家事の大変さを知らずに成長する。家事のことは、全て使用人に任せるからだ。 


 しかし、魔法使いの修行をしてきたエッタは他の令嬢とは違う。


 魔法使いに弟子入りしてからは、掃除も食事も自分と師匠の分を用意するのは当たり前だったからだ。おかげで身の回りこと以上のことは、自分で出来るようになった。


 だから、エッタにとって掃除だってお手の物だ。


 それにベットや本棚といった大きな家具しかない部屋は、掃除しやすそうだ。掃除において、一番大変なのは小物の片付けだ。


 何を、どこにしまうのか、という作業は本当に骨が折れる。魔法の師匠の部屋は実験の道具が散乱していたので、本当に掃除が大変でだった。しかも、ときより高価な物も混ざっているので気も抜けない。


 師匠は、魔法の道具を作って生計をたてている。師匠が作ったものはよく売れるので、生活には困ったことはない。


 しかし、作った物には興味がすぐになくなるらしい。だからか、売り物であっても師匠は家のそこら中に放って置いてしまっている。それらを整理して、管理することもエッタの仕事だった。


 それにしても、相変わらず自分は家族に嫌われているようだ。それを改めて知ったエッタは、苦笑いするしかない。


 十年前でさえ、家族には嫌われていたのだ。だから、今更帰ってきたところで歓迎されるとはエッタは考えてもみなかった。


 だが、こうして嫌がらせを受ければ、ため息もつきたくなるというものだ。


 できるのならば、今すぐにでも師匠のところに帰りたい。あそこは他の弟子のいるので騒がしいが、自分の居場所があった。


「こんな事だったら、師匠の言う事をきくのは止めた方が良かったですかね。もうすでに師匠の家が恋しいのに……」


 師匠が突飛な事を言うことは珍しくなかったが、今回のことは驚いてしまった。


 二度と戻れないだろうと思っていた生家に行け、と師匠に言われてしまったのだ。


 実家に行けばエッタの運命が大きく変わるとも言われたのだが、あれは体良く追い出されたのだろうか。エッタは、そんなことを考えた。


「それは、ありえませんか……」


 師匠は、腹芸が出来ない素直な人間だ。そんな師匠に満面の笑みで送り出されたのである。


 何かしらエッタに言い話がなければ、そういう風に送り出したりはしないだろう。それに、師匠はエッタを我が子のように可愛がってくれていた。


 師匠は、エッタにとっては育ての親だ。


 六歳のときに師匠に預けられ、その後は十年間もエッタは師匠に育ててもらった。エッタは師匠のことを家族同然だと思っているし、師匠もそうだろうと思っている。


 そうでなければ、家計簿やら売り上げの管理をさせない。おかげで、エッタはすっかり数字に強くなっていた。


「師匠は、実家のことも知っているはずですし……」


 エッタは、家族に愛されない少女だった。


 幼い頃から実家の家族と共にいると疎外感を感じており、暴力を振るわれたのも一度や二度ではない。実家から離れたばかりのエッタは、青あざだらけの惨めな女の子だった。


 エッタは男爵とはいえ、貴族の娘だ。


 傷だらけになるだなんて、本来ならばないことであった。家族からの暴力がなければ。


 親からの子供に対する暴力は、躾と考えられている。しかし、エッタが受ける暴力は明らかに躾とう言葉に範疇を超えるものであった。


 そんなふうに家族がエッタを嫌ったのには、理由がある。その理由は、エッタが先妻の子供だからだ。


 エッタの今の母は後妻で、元々は父の愛人だった女である。裕福な商家の娘だったと聞いており、今でも贅沢を好んでいる女であった。


 血の繋がらない子供を愛せない親は、少なくないだろう。だが、義母の場合はちょっとばかり事情が複雑だ。


「あらぁ、随分と埃臭い部屋ね」


 ノックもないし入ってきたのは、エッタの一歳上の姉であるファナ・ローリアであった。


 エッタと同じ神秘的な銀髪を複雑な形でまとめて、翡翠の瞳と同色の耳飾りと首飾りをしていた。


 ドレスは華やいだピンク色のもので、本来ならば若い娘の溌剌さを引き立てるはずである。


 だは、ファナにピンクのドレスは似合わなかった。


 なにせ、ファナはかなりの肥満体である。


 ピンク色のドレスは肌色と馴染んで、肉のついた箇所を余計に太く見せていた。


 しかも、ドレスにはゴテゴテとした飾りが多くついている。日中の家で着るようなドレスではない。おそらくだが、エッタに見せびらかすために着替えたのだろう。


 ファナも母親のイテナスと同じくらい贅沢が好きな少女に成長していた。


 ドレスはいつでも最新のものを着ていたが、男爵家程度の家の収入では親子二人の贅沢は支えられない。


 しかも、父には懐中時計の収集という金のかかる趣味があった。


 家族全員が贅沢に暮らしすぎて家計は火の車だという噂をエッタは聞いていたが、さすがに嘘だろうと思っても思っていた。家族全員が、そんなふうに愚かなわけがない。


 それに、イテナスの実家は裕福な商家だ。なにかしらの支援を受けていてもおかしくはなかった。


 エッタは身分は男爵令嬢ではあるが、ファナのように着飾ったりはしていなかった。散財もしない女であった。


 動きやすさを追求した紫のワンピース。それに汚れ防止の黒いマントの身をつけて、自身の魅力さえも殺す格好を野暮ったい格好をしていた。


 市井に住まう年頃の女よりも簡素は姿だが、本人は動きやすくて気に入っている。


 エッタとファナの事情を知らない者が二人を見れば、エッタはファナの使用人にも思われしまうだろう。それぐらいに二人の身につけるものには格差があった。


 しかし、よく見ればエッタとファナの顔立ちがよく似ていることに気がつくはずである。


 当たり前のことだ。


 彼女たちは、髪の色と瞳の色、顔の作りまでが同じなのだ。これは、彼女たちが血が繋がった姉妹だからであった。


 もっとも、それは半分だけであるが。


 父はエッタの生母が生きていた頃から、ファナの母親であるイテナスと浮気をしていたのだ。エッタよりも一歳年上のファナは、そのイテナスと父の子なのである。


 エッタの生母とは政略結婚だった父は、母が死ぬとこれ幸いとばかりにイテナスとファナを館に呼び寄せた。


 ファナがエッタよりも年上だという時点で、父の愛の先が誰に向いていたのかは子供でも分かる事だ。


 そんな父の愛情は、今でもファナに堂々と傾いている。ファナを跡取り娘に決めて、早々にエッタを魔法使いの弟子にしてしまったのである。


 おかげで、エッタは十年も自分の屋敷に戻る事が出来なかった。子供ころは母と過ごした思い出の館を離れるのが嫌だったが、十年も経つと何も感じなくなる。


 今では逆に師匠の元を離れる方が、寂しく思う。エッタがいない間に、預かっている師匠の他の弟子が悪さをしていないかも気になる。


 たまに師匠に感化されて変人のふりをする弟子がいるのである。そうなったら、後始末をするのはエッタだ。


 師匠は本物の変人だが、それを真似する人間は凡人だ。エッタは凡人が自分の才能の限界に気がついた後に、叱咤して慰めることもやっていた。だが、大抵が魔法使いになることを止めてしまう。


 そんなことになる前に、エッタは早く師匠の元に帰らなければ。


 そんなことを考えて、エッタはため息をついた。


 そもそも、エッタは自分の家に帰ってくるなんて思わなかった。エッタは師匠の面倒を見ながら魔法の研究でもやって、兄妹弟子の面倒もついでに見る。そんな魔法使いらしい人生を送るつもりだったのだ。


 師匠には恩義があるし、実の親のように老後の面倒をみる覚悟は出来ている。そうやって、年老いた師匠の側で静かな毎日を送ることがエッタの望みだった。


「何か御用ですか?」


 部屋を訪れたファナに、エッタは落ち着いて答えた。その冷静な姿に、ファナの頬は膨れる。


 ファナは埃だらけの部屋で、エッタが右往左往しているとでも思ったらしい。落ち着いたエッタの様子を見て、少し不機嫌そうだ。


 こんなことで不機嫌にならないでほしい。そのようにエッタは思うが、しょうがないことであった。


 ファナは甘やかされて育ったので、自分の考えに背いているものを見るだけで不機嫌になる。その兆候は幼い頃からあったが、成長してからはより酷くなったようだ。


 エッタが帰ってからは、妹を凹ませてやろう色々と画策しているようだ。しかし、それは今のところ全て失敗している。


 ファナも結婚適齢期だというのに、こんなに意地悪な性格であったら婚期を逃してしまいそうである。


 ただでそれ、体型も崩れている。ウェストも二の腕も太ましい。白馬の王子様がファナをお姫様抱っこしたら、腰痛を引き起こすであろう。


 きっと我儘を言って、毎日のようにお菓子を食べているからだ。


 ファナは、幼い頃から好きなだけお菓子を食べていた。だから、こんなにも太ってしまったのであろう。


 妊婦でもないのに、ファナの腹部は膨らんでしまっている。腹を針でつついたら、破裂してしまいそうだ。


 甘いお菓子は高価で富の象徴だが、食べ過ぎは身体に悪い。虫歯にもなるし、ファナのように体型が崩れてしまう。美を追求する令嬢にとっては、お菓子とは甘美で美味しい宿敵なのである。


「魔法使いの弟子になったという可愛い妹の顔を見に来たのよ。でも、本人と同じぐらい部屋も湿っぽくてたまらないわね。あなたの貧乏くさい格好には、お似合いだろうけど」


 ファナは嫌みっぽく喋るが、エッタは興味を持たなかった。十年前からファナの性格は変わっていなかったし、彼女が甘やかされて育ったことも分かった。


 だから、興味を持ったところで嫌味しか言わないだろうと思ったのだ。そんなファナに費やすような時間は、忙しいエッタにはなかった。一刻も早く、やりたいことがあったのだ。


 掃除だ。


 こんな埃だらけの部屋ではくつろげないし、荷解きもできない。


「お姉さま、一つだけ訂正をお願いします」


 エッタは窓を開けて、大きく息を吸った。肺に入った空気は少し冷たいが、震える程ではない。この地方にしては、十分に過ごしやすい気候だ。


「私は、魔法使いの弟子ではありません。……一人前の魔法使いです」


 ぱちん、とエッタが指を鳴らす。


 それだけで強風が窓から入り込み、部屋の埃を舞い上げた。


 カーテンがなびき、ベットや机、本棚といった大きな家具がガタガタと震える。まるで、この部屋にのみ、台風がやってきたかのようであった。


 風が吹き荒れるなかで、エッタは小さく微笑む。自分の魔法に、えらく満足していたのだ。乱暴な掃除方法だが、今はこれが一番早い。


「なっ……。何よ、これ!」


 げほげほ、とファナは咳き込む。


 エッタは、そんなファナには目もくれない。風は、部屋に舞った埃を屋外へと吸い上げた。


 ファナも身体を吸い出せられるような感覚を味わったが、太い彼女の身体が浮き上がることは当然のごとありえない。だが、ファナは悲鳴を上げて、強風が吹き荒れる部屋で座り込んでいた。


 きゃあきゃあと騒ぎたてるファナとは反対に、エッタは冷静であった。埃だけが舞い上がり、綺麗になった部屋を見ていている。大満足の出来であった。


 大きな家具ばかりで幸いだった、とエッタは思う。


 これも嫌がらせなのか、エッタの部屋に調度品や小物の一切はなかった。


 六歳の頃に持っていた私物だってなかったので、きっと捨てられてしまったのだろう。それについてはかまわない。


 貴族らしい部屋の調度品は掃除の邪魔になるだけだし、子供の頃の私物だって玩具ばかりのはずだ。


 母が残した遺品のドレスと宝飾品の類は子供だったエッタでは相続できず、全てが売り払われている。その当時はひどく悲しかったが、今になってはどうでも良いことだ。


 子供の頃のエッタの私物は、当時は大事な宝物だった。しかし、大人になったエッタには不必要なものばかりである。


 それに一番大切なものは、肌見放さずに持っている。死んだ母の愛した翡翠のブローチである。


 森の賢者と呼ばれるフクロウをモチーフにしたブローチは、身につけた者の気品と叡智を表していた。貴族の師弟が通う学校で、母が主席で卒業した時のお祝いにもらったブローチである。


 それには美しさだけではなく、母の努力の結晶とプライドが宿っているのだ。


 魔法使いの修行で行き詰まったときには、エッタはいつもブローチに励まされてきた。


 そして、母のように知見ある女性になろうと心に決めたのである。このブローチさえあれば、どんな困難だってエッタは乗り越えたれた。


「これで、分かりましたか?私は、一人前の魔法使いです。未熟な弟子ではありませんので、そこだけを気を付けていただきたいのです」


 エッタは頭を下げて、姉のファナに願った。丁寧な口振りから、エッタが怒っているがいるが分かる。


 エッタのプライドは、一人前の魔法使いであることだ。だからこそ、半人前として扱われる事が気にいらない。


 ファナは、わなわなと振るえながらみエッタに噛みつく。エッタと同じように、ファナにも譲れないプライドがあった。


 それは、自分がエッタよりも何事も優れていなければならないということだ。身につけた知識も、もっているものも、全て優れているからこそファナの欲望は満足するのだ。


「なによ!一人前の魔法使いがなんなのよ!!調子に乗っているんじゃないわよ!」


 ファナは、エッタのつけていたフクロウのブローチをむしり取った。エッタは、その行動に唖然とする。


 幼い頃ならばともかく、分別ある大人になっても他人が身に着けているアクセサリーを盗るとは思わなかったのである。


 淑女としての教育以前に、人としての教育がなっていない。エッタは拳を震わせて、ファナに食ってかかる。


「返してください!それは、私の母のものです!!」


 エッタの言葉を聞いたファナは、にやりと笑った。落ち着いていたエッタが、声を荒げて怒るのが面白かったのだ。


「あなたの母の遺品は、全部がお父様のものなのよ。だって、そのように相続がなされたんだもの」


 法律上ではエッタの母の遺品は、全て父に渡ることになっている。だから、父はエッタの母の私物を自由に売り払うことが出来たのだ。


 今までエッタがフクロウのブローチを所持できたのは、生前の母から直接もらったものだからだ。しかし、それを今は証明できるものはない。


 ファナが言えば、エッタが母の遺品を相続した父のものを盗んだと思われるであろう。身内のなかで起こったことなので裁判などは起こされないだろうが、エッタの家での立場は悪くなる。


 挙句の果てに、師匠の元から持ってきた貴重品まで没収されたら目も当てられない。


「そう、そう。あなたは、この屋敷では惨めな顔をしていなさいよ」


 ファナは笑いながら、エッタの部屋から去っていった。なぜか泣き声が聞こえてきたが、エッタには気にしていられない。


 大方、エッタの風の魔法が今になって怖くなったのだろう。後で、おかしな難癖を付けてくるはずだ。ファナは子供の頃から、そのような性格であった。


 やはり、実家などには帰ってこなければ良かった。帰還早々にエッタは、そのように考えていたのだった。


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