たった一人の復讐者

そのなは

魔道

日が一番高く昇る時間。味気の無いパサパサとしたご飯を食べ終え、この古びた建物にある誰も知らない地下通路へ向かう。ここは僕たちの部屋から行けるから看守の目を気にすることもないし、見つかっても師匠の名前を言えば大丈夫だと師匠が言っていた、秘密の場所だ。

薄暗くて少し寒くてちょっと長い通路を歩くと、梯子と部屋の床に繋がる木の扉が見えてくる。梯子を登り扉を三回叩いて、扉の真ん中に少し魔力を込めるとカラカラという音が小さく響いて鍵が開く。上に軽く押すだけで簡単に開き、梯子を登って師匠の部屋に入る。

師匠の部屋は様々な色のポーションや魔導書、魔道具、杖や外套の装備品など物資が綺麗に整頓されている。均等な間隔で部屋中に魔道具の灯りが淡く灯っており、部屋の中が暖かい色でキラキラと輝いている。僕はここに来る度、「綺麗な場所だな」と思わずため息が出る。

フルフルと頭を少し振り、急いでいつもの扉に向かう。少し開いているから師匠は先にいらっしゃるのだろうか。少し息を吐いて扉をくぐる。

中は大きな縦長の部屋に太長い机が六つあり、その上には様々な資料がひとつの机を除いて山のように積んである。除いた机にも紙が山のように積んであり、右側二つの山は全部僕が書いた紙だ。もう左半分はこれから座学をする用のもの。師匠曰く「やっと半分終わった」と、この先を見据えるための有難い言葉を頂いた。

小走りで机の前に行き、「お待たせしましたっ」と言って姿勢をピンと正す。

師匠は自然魔道を使い、蔦を器用に使って魔導書を操り読んでいる。部屋に入った時にわかるほど沢山の魔道を展開していて、その度にとても凄い人なのだと思う。師匠は後ろを向いたまま、

「今日はやけに遅かったな。朝からの仕事が堪えたか?」

「……いえ、全然大丈夫です」

そう言いつつ肩まで上がらない右腕に意識が向かう。汚れた薄い布を上から被っているだけの格好では腕が出てしまっているし、赤く腫れている箇所なんて丸見えだが、認めて《弱音を言って》しまえば罰があってもおかしくないので嘘をついた。

「……」

じっ、と僕をみて動かない師匠と短い沈黙。すると不意に右腕に衝撃が来て激痛が走った。

「──ったぁあ!!!」

思わず転んでしまい、右腕を押さえながら痛みが来た方を見ると、そこには細い蔦が横たわっていて、霧散しかけていた。わけも分からず混乱していると、「はあ」と小さなため息が頭上から聞こえてくる。

「それは私が依頼した仕事だ。こんな弱い突きでもそうなるほど、右腕が痛むなんてのは分かってる。あんな量の注射を打ったんだからな」

師匠の淡々とした口調でそう言われて、それなら、と口を開こうとして留まった。余計な事を言うものじゃない、というのはみんなからの教えだ。ここで長く教えを頂いているとはいえ、僕の立場まで忘れていい訳では無い。

「いつも言っているが、まずは自分を分析しろ。何が出来て何が出来ないのか。何に成功して何に失敗したのか。何が調子よくて何が上手くいかないのか。習慣も挑戦も自分の身の丈を自分で認めてから始めるんだ。己の強さと弱さを知らないやつはいつまでも前に進めん。そしてそれを認められんやつもだ。今お前が右腕が痛いと言うのは現状把握であって弱音じゃない。間違えるな」

「……はい」

スルスルと伸びてくる蔦には黒い外套が掛かっており、僕がそれを掴むと蔦は魔力に変わり空気に溶けていく。

「それを着ておけ。多少は外からの衝撃にも耐えられるだろう。着たら今日の分の指導始めるぞ」

「ありがとうございます」

それを着ながら立ち上がり椅子に座る。羽の付いた筆を持ち、墨に付けて準備する。そして直ぐに、よく通る師匠の声の指導が始まった。


「──座学はここまでだな。次は実践の復習だ。これが出来なければ丸裸で戦場に出るようなものだ、といつも言っているのが」

「……」

思わず下を向く。師匠にはかなり長い時間をかけて魔道を教えて貰っているし、杖の使い方から、魔道の基本や応用、他の魔道具に関する色んな知識も増えてきた。座学自体はとても楽しいのだが、僕にはそれを活かせない致命的な欠点があった。

こういった知識は実践を交えて学び、頭と体を使っていくのが基本である、と師匠に教わった。覚え、使い、学び、反省し、繰り返す。この回転が大事だと。

しかし──、

「ではいつも通り、まずは防御魔道からだ」

師匠は柔らかくしなる特殊な杖をパシパシと手で鳴らし、僕に目で合図をする。

僕はそれを受け取り、唾を飲み込み、息を少し吐き、体を楽にする。そして防御魔道を展開するための詠唱を始める。杖に魔力を流しながら、師匠が使った魔道をイメージし、頭で自分の体を守るようなイメージを起こす。手を伝い魔力が杖に移動するのが分かる。そして杖から魔力が放出され、魔道へ変換される感覚が──。

「防御魔道(リバーチ)──!」

ない。

魔力を強固な障壁に変換し、障害物から自身を守ることが出来る魔道。唱えると黄色の薄い壁が丸く自身を包む、魔道士なら誰もが扱える基本魔道の一つ。良い魔道士ほどこの魔道の耐久値が上がるらしい。

しかし目の前には、杖から魔力が大量に放出されているが一向に黄色の壁が出来上がる気配がない。これほどの魔力を放出してなお、僕にはその魔道を扱えないらしい。

ついに魔力切れを起こし、杖から魔力の流れが途絶える。ごっそりと体力も持っていかれ、膝に手がつき肩が上下する。とても重たいものを持ったような、そんな感覚だ。

「やっぱりか。いくら練習しても基本魔道は軒並み出来ないな」

ふう、と息を吐きながら、師匠はガラスに入った魔力液を僕の頭にコツンと当て、それを受け取ると師匠は近くの椅子に乱暴に座る。僕は小さくお礼を言うが、師匠はヒラヒラと手を振るだけ。長くそこにあったであろう椅子からミシミシと軋む音が小さく響く。

魔力液をコクコクと飲む。無味というか果物の汁を薄く抽出したような味がする。とても美味しいとは言えないが、ここのご飯よりはマシだ。

飲み切るとさっきまで疲れていた身体中にある魔動脈が活性化していくのが分かる。しかし同時に右腕も痛み始めた。力を込めた事と、体が少し隆起した事が原因だろう。いかに師匠の外套といえど内側からの痛みには耐えられないようだ。

僕が魔力液を飲み切り、呼吸が落ち着くと師匠が口を開いた。

「これらを展開させるのに苦労するような馬鹿どもが居ない訳では無いが、流石に"展開できない"というのは初めて見るな」

ふぅ、と小さく息を吐き自然魔導を使い山になっている本を次々と確認する。始めに見た先生の部屋とは大違いな本の散らかり具合を見るとどうしても申し訳なくなる。

「すみません……」

「…………ふん、ここまで来ると才能とか努力とかそういった問題でもないだろう。何かは知らんが明確に使えない理由があるはずだ。しかし、基本魔道が使えないやつにする対処法は全て出し切ってしまったし、どうしたものか」

この短い時間に見当がつく本は大体見終わったのか、師匠は蔦を消し、火、水、土、風の小さな基礎魔道を杖で変換し続けくるくると弄ぶ。一応全て攻撃魔導のはずなのだが、周りに一切影響の無いよう繊細に魔道を操る姿はまるで何かの芸のようで見入ってしまう。

魔道士なら誰もが出来る、いや魔道士でなくても基本魔道であれば誰でも出来るはずなのに、どうして僕には出来ないのだろうか。俯いて杖に魔力を込めるが、身体から溢れるだけで全く魔道に変換されない。

カタ、という音が響きそちらを見ると、師匠が魔力を高めて杖を構えていた。

「また座学でもいいが、知識は経験や実践して初めて自分のものになる。お前の体力も魔力量も申し分無いはずなのだが、普通魔道も基礎魔道も無理となれば、さすがの私も頭を抱えるな」

そう言って師匠は手元の基本魔道の規模を大きくする。「あまり褒められた方法ではないが──」帽子で顔が見えないが、その声色と手にある杖の動きが不穏さを醸し出していて、

「身を守れないのであれば、打ち消すか躱すしかないな」

その魔道の大きさに、本能が死ぬとはっきり脳に伝えた。


魔道には攻撃魔道、防御魔道、回復魔道、妨害魔道の四つの基本魔道が存在し、魔道士ではない人間もこの基本魔導だけは使える。それは、人間には魔動脈というものが存在し必ず備わっているから、と師匠から学んだ。初めからそれが優秀な人もいるが、普通の人でも魔動脈を鍛えて魔道士に成り上がることも出来るという。そんな人は極僅からしいけれど。

そしてその基本魔道は中級魔道、上級魔道と進化していくため、これを扱うのは魔導士として生きていくには必須と言える。魔道士が初めに扱う基本魔道には人に対する影響が低いため、妨害魔道で小動物を捕らえたり、炎魔導を野営の時の種火として使ったりと、人々の生活の一部になっている。そしてそれを扱い続けることで自身の魔道を扱う熟練度が上がっていき、熟練者にもなれば職業としても申し分なく使えるというのだが、

「どうした、私は基本魔道しか使っていないぞ」

師匠のそれはあまりにも規模が違っていた。基本魔道とは到底思えない質、量、速度。僕の仲間の基本魔道を見たことがあるがこんなに殺戮的ではない。

教室は強化されているのか、魔道の重たい衝撃が部屋に響いても床や壁には一切影響がない。火、水、風、土、……様々な属性の魔道が繰り出され、次々と僕に向かって正確に飛んでくる。一撃一撃が基本魔道とは思えないほど強力で、当たったら体に影響が残りそうだし、最悪死にかねない気がしている。それに加え速度も速く追撃も多く、それらを躱すのに精一杯で弾いたり防御したりなんて無理だ。むしろ躱しているだけでも凄い。

でも師匠の事だから、さっき言っていた"打ち消すか躱す"の両方をしないときっとこの時間は終わらないだろう。なんとか発射源を目で捉えるために体を向き直そうとするが、真正面から飛んでくる魔道の速度が速すぎて体に当たらないように動くので精一杯だ。というか掠った。もう少し左にいたら右目が無くなっているところだった。しかし恐怖を抱いてる暇も、躱せたことに安堵している場合でもない。体力のこともあるしずっとこうしている訳にも行かない。何か手を打たないと……。

物心ついた時からここにいる僕は、生活術も打開策も何もかも、師匠かここのみんなから教えてもらったことしか知らない。その中から何かないかと記憶を辿って必死に考える。肩も動いてきた、息も熱い。

そんなに大きくない教室なのに、やけに遠く感じる師匠を何とか目で捉えながら考える。きっと師匠が今まで教えてくれたことの中に何かあるはずだ。考えろ考えろ考えろ。


『──人間に魔動脈があるように、生物や植物にも魔動脈がある』


……これは師匠に初めて魔力を教えてもらった時の。


『──当然、無機物に魔動脈は無いが、魔力自体はある。それは空気中の魔力が長い時間の中で物体に溶け込むからだ。それらに自身の魔力を送り込んで使うことで自分の魔力消費を抑えることができる』

『じゃあ、空気中の魔力を使ってずっと消費を抑えたまま魔道を使うことは出来ないんですか?』

『そう簡単にはいかん。空気中の魔力は属性もなく目に見えないほど薄い。濃い空気であれば可能性がないこともないかもしれんが、熟練魔導士でもなかなか難しいだろうな。そういった事例も今まで見たことがないしな──』

『──ただ、その発想自体はいいな。そういった事例の無い魔道を創ることを魔法と言う。それが一般的に使われるようになったら魔道と言うんだ。魔道をどう考え、どう感じるのか、頭を使い続けろ。今は基礎が出来ないだけだ、自分が魔道を使うイーメジを持ち続けろ。そうしてたら自分の知らない内に魔道が使えているかもしれんぞ──』


いつかの師匠の言葉を鮮明に思い出した。僕だって魔道を使うのは夢だ。ずっと使いたいと思ってきた。朝も夜も夕方も、イメージしなかった《夢を見なかった》事は無い。

……そうか、空気中にも魔力はある。もしその方法が無理なのだとしても、僕の魔力だけじゃ魔道を使えないのなら別の方法を、僕の力が無理なら他の力を借りてみるしかない。

空気中に魔力を込めるイメージをする。防御魔法を空気中に展開するように頭の中で思い描く。杖に魔力は籠るが、やっぱり魔道へ変換される感覚は無い。……足りない、まだ足りない。イメージ、イメージ、身を守るイメージ。身を守る物は……盾。衛兵が使っているような、丸くて堅い、敵の攻撃を凌ぐための強い盾。

しかし魔力を込めて魔道をイメージしながら戦うのは、慣れてないのもあり上手くいかない。それに相手は師匠だ、容赦も考える隙もない。このままだと体力が先に尽きる。魔道を展開するような余裕は無くなってしまう。今展開出来なくてはいけない。

「力みすぎだ、もっと肩の力を抜け」

ハッとして師匠の方を見た途端、上から落ちてきた火の塊が足元で爆発した。

「──っぐぅ」

無理に体を庇おうとしたせいか、地面に肘と腰を強打し、落ちていた土魔導の欠片が体中に刺さる。体を起こそうと力を入れると欠片が食い込んできて尋常じゃない程の痛みが体を縛る。さっきの右腕も相まって痛みは増し、脳では処理できない情報が目の前がチカチカと点滅させる。

それでも早く魔道を展開しなくてはと無理に立とうとする。しかし体に刺さっていた土魔導が砂に変わり、その分浮いていた体が地面に叩きつけられる。

「────っあ!!」

「ったく、私の教えはどうした。魔法が使えなくたって武力行使くらいは出来ただろう」

いつの間にか魔道の追撃は無くなり、すぐ近くにいた師匠が僕に中級回復魔道を施してくれた。体から穴が埋まっていく感覚と痛みが引いていく感覚が同時に来て、いつもながら慣れないなと体が震えた。

「師匠に武道でも勝てるわけないじゃないですか」

「でも今のお前にできた手段はそれだけだろう。可能性の話をしてるんじゃない、選択肢の話をしているんだ」

師匠は僕に傷が無いことを確認すると、パシと僕の体を叩き立ち上がる。そして少し腕を組み、

「窮地に立てばあるいは、とも思ったが……」と呟いている。手段にしてはあまりにも唐突だし、窮地じゃくて死地になるところだった 。改めて師匠の容赦の無さに体が震える。

「まあ今日はここまでだな」と師匠は手を振りながら出口に向かっていく。

「あ、ありがとうございました」

返事はなく、パタンという扉の音が響き部屋には静寂が訪れる。あれだけ魔道が展開されたのに何ともない、本ですら何ともない部屋を見渡し、ため息を吐く。炎魔導の熱が教室にまだ残っていて、じんわりと汗が体に浮かぶ。怪我は治ったけど、脚は震えていて上手く立てない。杖を使って何とか立ち上がり、先程の魔道の迫力の余韻に浸る。師匠が本当に凄い人だと実感する。

「……あ、これ」

師匠に貸してもらった外套を返し忘れてしまった。それの見た目は本当に何ともなく、外界からの攻撃に対する防御力は計り知れない。直撃を避けてたとはいえあまりにも強靭過ぎではないか。

……もしかしたらこれが無ければ僕の半身位は吹き飛んでいたのかな。

そう考えると、思わず杖を握る手に力が入る。

「あー腕いったいなあ……帰ろう」

右腕に気を遣いながらゆっくりと部屋を出た。

師匠の部屋から帰る時は綺麗な部屋の地上の扉から出ることになっている。何故かは分からないが、きっと知らぬ間に部屋に現れていたら怪しまれるからだろう。

「ん?おいお前何しているんだ」

フラフラと自室に戻っている最中、見たことの無い衛兵に絡まれた。

「え、いや魔道の」

「あ?お前みたいな薄汚いやつに魔道の特訓なんてするやついるわけないだろ」

「おいおい止めとけ、魔道の特訓なんか大それたモンじゃねえよ」

隣にいたヘラヘラした衛兵はおもむろに僕の胸ぐらを掴む。

「エイラミ先生の魔道実験のネズミだぜこいつは。何せ珍しい体質らしいんだよなァ?」

上に持ち上げられ、喉が締まる。足が地面を離れてしまい身動きが取れない。

「──ッカハ」

「ったく、実験だろうが何だろうがあのエイラミ先生の近くにいられるなんて羨ましいねェ。俺も今から魔道士になれば一緒に実験できっかな?」

「無理だろそれは。つーかあんな年増の何がいいかね」

「見た目は若いだろ。それにまだ年増っつー歳じゃねェよ」

衛兵達がそんな呑気に会話している間に、僕の意識は朦朧としてきていた。何とか耐えているがもうそろそろ限界だ。

「あっ、そー、かい!」

ドン、とお腹に衝撃が来る。何か硬い金属に殴られた鈍い痛みと硬い石の痛みが前と後ろから襲ってくる。息が詰まっていたのもあって視界は点滅していた。

「おーおーやりすぎだろ」

笑い声は聞こえるが、誰が何を話しているのか認識出来ない。何とか顔を上げようとしたが体に上手く力が入らず、小さな布切れが顔に落ちてきて意識を失った。

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