第3話 戯れと旅の準備

あんなことがあった後だが、僕は女神様に背中を流してもらっている。正直、もう半生以上誰かに背中を流してもらっていないから不思議な感覚がする。

女の子の幼馴染なんかがまともにいない僕からすればまさか成人や結婚を待たずしてこんな――女性に背中を流してもらうような――機会が到来するとは思いもしなかった。


「どう、気持ちいい?」

「まあ、そうだな。たまには他人ひとに背中を流してもらうのも悪くないな」

「余は神ぞ?」

「それはそうだな」


僕の背中を流した女神様は、僕を無理やり椅子から押しのけて座ってみせた。


「えっと…、何をすればいい?」

「もちろん、背中を流してほしいの。そのボディトウェルに石鹸つけてさ、早くして」


すぐさまボディトウェルに石鹸をこすりつけて、僕はゆっくりと女神様の背中をこする。女神様口のから「ぁぁ~」と小さく気持ちよさそうな声が漏れる。


「さすがは私の眷属だね。なかなか才能あるんじゃないの?」

「これに才能とか関係あるのか?とにかく、女神様が気持ちいいならそれでいいだろ?」


女神様の背中をお湯でながしたあと、僕は女神様と向き合う形で湯船に浸かった。

タオルも何もしていない女神様を正面から見るのは、正直とても恥ずかしいし、憚られる。

ただ、女神様の顔をまじまじとみつめてみても、女神様は不思議そうに、可愛らしくキョトンとしているだけで、恥ずかしがる様子をみせない。

神様たちと下界の人々との間に恥じらいや常識に対する齟齬があるのだと察しがつく。


そして、唐突にとある疑問が思い浮かぶ。


「確認なんだけど、女神様は<美徳の魔獣>の討伐とダンジョンの制覇を達成して天界に帰りたいんだな?」

「もちろん」

「そうなると、眷属である僕も行動を共にし、そして僕が神様の剣となってその偉業を成し遂げる必要があるんだよな?」

「もっちろん!」

「それって…、僕は学校を辞める必要があるってことなのか?」

「そうなるね。ていうか、その言い方だとジード君は学校を辞めたくないのかな?」

「いや、まあ、今は成績が優秀で先生たちからも期待されたりしてるから、その期待を放って学校を飛び出すのは気が引けるというか…」


女神様は少し難しい顔をする。さすがは始祖の神なだけあって眷属の意見についても考えてくれるようだ。


「それなら、校則違反を犯して退学になるとかはどうかな?」

「それだったら普通に退学申請して出てった方がマシだわ!」

「え~?今なら簡単じゃない?こんな幼い女の子を膝に乗せて授業受けてたら退学になるでしょ」

「そんな簡単なモンじゃないっての。普通に明日の朝イチで退学するから余計なことはしなくていい」

「むぅ…」


女神様は不満げだが、何かしでかしたかったのだろうか。まあ、存在を知らしめてから大学すればその流れで退学した生徒が眷属になってくれる可能性があるからだろう。


「あと、さっきから私から目を逸らしてちらちらと壁や天井をみてるみたいだけど、一体どうしたの?もしかして、恥ずかしくなっちゃった?」

「そ、そりゃ何の恥じらいもなく出会って2時間と経たない異性と風呂入ったら恥ずかしくもなるし、色々思うだろ!」

「色々ってぇ?」

「分かってるような訊き方すんなよ!」

「男の子だねぇ、ジード君も」


自分の顔が火照っているような気がする。風呂に入っている所為だと信じたい。


「そ、そろそろ上がるわ、僕」


風呂場を出て、脱衣所に用意していたトウェルで体を拭く。女神様も上がってきたけれど、自分のトウェルがないことに気づいたらしい。


「僕はもう体拭き終わったから、トウェル持ってこようか?」

「いや、ジード君が使ったヤツでいいよ」


女神様は僕が使ったトウェルを受け取るなり、それに顔を埋めて深呼吸し始めた。そして腰回りに視線が来てる気がする。すぐにパンツ穿いてよかった…。


「あぁ、眷属の素の匂いが味わえるとは、何たる至福…」

「本人がいる前でそういうことしないでくれるかな?!」

「どうせ君も私の脱いだ服に顔を埋めたくなる日が来るだろうしさ、いつかお互い様になるでしょ」

「僕がヘンタイになる前提?!」


一体女神様は何を考えているんだか。僕が幼女趣味だったらもうすでに襲っていたころだろう。女神様はこんなに美しいし可愛いんだから。


「へぇ、ありがと」

「あっ…!」


女神様が心を読めることをすっかり忘れていた。心の中の独り言すら迂闊に言えやしない。


「まあ、私もむやみやたらに奇異の“真実”を覗こうとしたりはしないよ」

「その言葉、信じていいのか?」

「ぜひとも信じてほしい。もし私が破ってしまったら旅の途中で奴隷商にでも売ってくれ」

「いや、さすがに女神様を売り飛ばすなんて無理だ。絶対に無理だ」

「うん、それは本当に思ってることみたいで嬉しいよ」


さっそく覗かれた。けど、女神様は心の広い方だし、ありのままで生きてもきっと受け入れてもらえるだろう。


「私に隠し事があるのかい?」


そういう意味じゃないんだけどな…。


「ならよろし…あ」


お互い裸同然だったことを思い出して、僕らはそれぞれ着替え始めた。

もう寒くなってきているというのに、こんな姿で話し続けられたのが不思議でたまらない…、が、それは多分、始まったばかりの女神様との生活が新鮮なものだからだろう。


「なあジード君。君の部屋はこの家のどこにあるんだい?」

「階段を上がってすぐの部屋だが」

「ありがとう、ちょっと入るね」

「えっ?!」


別に見られて疚しいものなど何もない、のだが…。

女神様が僕の部屋で何をしようとしているのか全く見当がつかなくて正直怖い。


僕の部屋のドアーが開いた音がして、次に少し何かを漁る音がした。

その次に聞こえてきたのは、まるで動物かのようなトトトという女神様の足音だった。


女神様は僕の部屋から服を拝借したらしく、大きさの合わないブカブカなもののおかげか下は穿いていない。

その服は僕が長く着ていなかったもので、大きく異世界の文字『神』が書かれている。読み方は分からないけど、知り合いに異界文字の学者がいない所為で知る由もない。


「ジード君、明日退学するつもりなら宿題はやらなくていいよね?」

「まあ、それはそうだ。けど、どうせ学校で終わらせてきたからどのみちやらなかったぞ」

「へぇ、優秀。さすがは私の眷属。とにかく、今日は明日に向けて早めに寝る?」

「確かにそうしたい気もするけど、明日退学手続きだけ済ませたら早く出てかないと親が帰ってくる可能性もあるし、旅の準備でもするよ」


僕が階段を上るのに続いてくる女神様は愛らしい。妹ができたみたいで、悪くない。むしろいい。


「そう言ってもらえるなら光栄だよ」


もちろん、心を読まれることは忘れてはいけない。


「準備するって服とかお金とか?流石にまだ冒険者用の装備は持ってない?」

「冒険者用の装備なら、冒険者適正の診断の時に使ったヤツがまだ残ってるよ」


クロセットから大きめの鞄を取り出して、適当に上下数着に下着類、トウェル数枚に持ち運びの出来る魔法道具、そして愛読書等々を詰め込んだ。


もう一つ鞄を用意して、そっちには愛読書に選ばなかった本、昔趣味で集めていた鮮やかな色の水晶、その他詰められるだけのがらくたを詰め込んだ。


「片方は普通に荷物として、もう1つは?」

「売って旅の資金にするんだよ。少しでも足しになった方がいいだろ?」

「なるほどね。ちょっとそっちの鞄の中見てもいい?」

「いいけど」


女神様はその鞄の中に僕が疚しいものでも入れてると思ったのだろうか。とにかく、自分でも思っていた以上にあっけなく旅の準備は終わった。

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