3話:目覚め
次に私が目を覚ました時、まず真っ先に思ったことは「天国ってとても明るいのね」だった。
窓からお日さまの光がさんさんと入り込んでいるというのに、部屋中至る所に燭台が置かれ、灯された蝋燭が眩しいぐらいの明るさを放っている。
それにしても、妙に見覚えのある調度品ばかりだけど、神様が気を利かせて生前の品を揃えてくれでもしたのかしら――……
「…………あら?」
ぺたぺたと自分の顔を触って、寝かされていたベッドの手触りを確かめて、もう一回あたりを見回してみる。
何をどう見ても、ここは私の寝室。
……て、ことは……ええと……つまり。
「私、生きてる……の?」
バカみたいな独り言を呟いて、身体を起こそうとした途端、背筋全体にピキッと音が立ちそうな痛みが走り抜けた。
「い、ッ……たぁ……!」
寝違えて首を痛めたときの、最強版みたいな痛みに悶絶して、思わずうめき声が漏れてしまう。
何よこれ、背中が強張り過ぎてて、まるで痛みが引かないじゃない!
一体どれだけの間眠っていたのか、背中だけじゃなく身体全体が痛み始めたのをどうにかしようとして、ベッドの上でもぞもぞ蠢いていると、入り口の扉の方でびっくりするような大きな音がした。
「ひっ」
「え?」
思わず痛みを忘れてそちらを見ると、フィリアではないけど、長年仕えてくれている侍女が一人、真っ青な顔をして立ち尽くしている。
大きな音は、彼女が抱えていた赤銅の洗面器を落っことしたときに出たものだとすぐに分かったけれど、彼女は入っていた水でスカートの裾が濡れるのも構わず、私の顔を凝視し続けていた。
「な、何? どうしたのよ――?」
穏やかな彼女に似合わないあまりの形相に、こっちが変な萎縮をしてしまって、必要もないのに王族特有の愛想笑いが漏れ出る。
でも、それに対して何の反応もせず、彼女ははっとして踵を返すと、転げるように私の部屋から飛び出していった。
「ひ、姫様が! 目を覚まされました! 誰か、誰かーっ!」
「え、ええ……?」
……いくら声が響くように作ってあるとはいえ、侍女が残響を引くほどの大声を上げながら廊下を走ったなんて、王室始まって以来なんじゃない?
別にそれを罰する気なんてないけど……あの反応は一体どういうこと?
いえ……そもそも、私は何故生きているの?
昨日の夜、侵入者によって、私は深い傷を付けられた。
胸、下腹部、喉――どれも、ただ一つで致命傷になるほどのもの。
それを受けて、まだこうして呑気に寝ているということは……
「なんだ、夢だったのね」
呑気なものねと自分で笑いたくなってしまうぐらい、あっけないオチだけど……身体が火照って熱いから、病気にかかってずっと眠っていたのでしょう。
舞踏会の前から緊張しっぱなしだったし、疲れも出ていたから、そのせいね。
ただ、それにしては侍女の反応が大げさすぎる気もするんだけど……と。
そこまで考えたところで、何の気無しに首周りに手を当てた私は、そこに妙な手触りを感じた。
「……包帯?」
普段身につけることのない、ざらざらした手触りの巻き布。
妙に身体が熱い理由の一つは、時期外れのマフラーをしているようなものだからって分かったけど、その保温効果を帳消しにするぐらいの強い寒気を覚える。
「鏡……鏡を……!」
慌てて鏡台に駆け寄ろうとして、そこでようやく脚の力が萎えていることに気付いた。
急にお婆ちゃんになってしまったような覚束ない足取りで、よろよろと鏡の前までたどり着くと、やっぱり喉にはぐるぐる巻きの包帯。
その下にあるものを見るは酷く怖かったけど、私は問題を先送りにしておけるような性格をしていない。
止めてある結び目を震える指で解き、長い長い包帯をむしるようにして外していく。
「………………何よ、これ……」
その下から現れたもの。
それは、当然のようで、明らかに
横一文字に走った切り傷は、まるで落とした首を無理やり継ぎ直したみたいに、滑稽なほどハッキリ赤黒のラインを残している。
これだけ大きな傷があるのに、どうして私はまだ生きているのよ?
なおさら可怪しいことに、解き落とした包帯は真っ白で、乾いた血の一つたりともついていない。
まるで、最初から血が出ていなかったように……。
「……! そ、そうよ、他の場所は!?」
仮面の男には、あと二箇所。
胸の真ん中と下腹にも傷を負わされた。
もう見るまでもないような気もしたけど、状況をハッキリさせないと気が済まない。
滅多に身につけることのない、紐で結ぶタイプの病人着の前をもどかしく引き開けると、やはり……そこには包帯で覆われた傷がハッキリと残っていた。
「……なんで……」
身体が崩れ落ちそうになるのを、どうにか鏡台に手をついて持ちこたえる。
やっぱり、あれは夢なんかじゃなかった。
いえ、分かってはいた――夢であってほしかったけど、あの刺し貫かれたときの冷たさ、その後の燃えるような熱さは、いまでも明瞭に思い出せてしまうのだから。
「私は……どうして……」
もう何度目かも覚えていない疑問が、またしても眼の前に立ち現れる。
なぜ、まだこうして生きている?
あの男は、私の全てを奪う、と――間違いなくそう言った。
ならば何故、一番大切なものである『命』を奪わなかったの?
この傷をつけることで、あいつは私から何を――
「う……!」
急激に動きすぎたからか、そうじゃなかったら寝起きで頭を使いすぎたからかもしれない。
急な目眩を覚えて、思わずお化粧用の丸椅子に腰を落とした私の背後から、厳めしい声が響いた。
「……イナーシャ」
「母さ――失礼致しました、女王陛下」
扉から入ってきたのは、我が国の統治者――女王イブリナ。
実の娘であっても、人目が有るところでは必ず敬称をつけて呼ばなくてはいけない人。
侍女と衛兵を引き連れているのを見て、慌てて言い直したのだけれど……急いで立ち上がろうとする私を手で制した母様は、濡れた床には目もくれずに一直線に歩み寄ってきた。
「……そのままでよい。答えなさい、イナーシャ」
「は、はい」
「貴女は、この寝所で男に襲撃された。間違いありませんね」
「…………っ」
改めて事実を突きつけられてみると、赤面するほどの恥辱を覚える。
よりにもよって結婚を間近に控えた日に、見も知らぬ男に侵入された。
それだけでも明らかな
しかし、母様の質問に嘘をもって応えることは決して出来ない。
倫理の問題もあるけれど、そもそも
「……はい、その通りです」
爪が掌に食い込むぐらいに握りしめながら、やっと肯定の言葉を絞り出す。
急激に冷えていく頬は紅潮どころか逆に青ざめていたかもしれないけど、母様はそのままもう一つの質問を私へ投げかけた。
「そしてその男は、そなたの身体に三つの傷を負わせたのですね?」
「仰せの通りです」
もう、ほとんど拷問みたいな親子の会話。
母様の後ろに見える従者たちは礼儀正しく、私の身体を覗き見るようなことはしていない。
だけど、逸らされた視線が、余計にみじめさを掻き立ててしまうこともある。
私は立場上、うなだれることは許されないんだから……針のむしろとはまさにこのことよ。
「イナーシャ。その男は、『呪い』という
「!」
話の結末が何処に向かうのか、鬱々としていた私の頭が、母様の一言で叩き起こされる。
あの時、確かに男がそういった。
『呪い』なんていう、人が使えるはずのないものを持ち出したのは、私を脅す文句だとばかり思っていたのに、母様は何故それを――……
私がその質問の意図を聞き返しかけた瞬間、それだけで全てを悟ったのか、賢女王の誉も高い陛下が、不意に私を強く抱きしめていた。
「なんという痛ましいことを……!」
「え……え?」
状況が飲み込めずに、何度も眼を瞬いてしまう。
母様から抱きしめられたのなんて、小さい子供の頃以来だ。
ましてや人前で、従僕の眼の前でなんて、あったかどうかも記憶していないぐらいのこと。
でも、その希少な体験は、私の身に起こっている事態の深刻さを示しているようで……私はただ、母様の腕の中で縮こまるしか出来なくて。
「聞きなさい、我が子よ。その呪いは、遅効性の毒のようなもの」
「……」
「おぞましき傷はやがてそなたの体内へと染み入り、魂を食い荒らし始めます。そして、魂が全て尽きたとき……」
「……私は、
それは、滑稽なぐらいに当たり前のこと。
こんな大きな傷を受けて、生きているほうが可怪しいもの。
でも、改めてそう告げられると――そのあまりの理不尽さに泣きたくなる。
何故、私は二度も殺されなくてはいけないのか。
どうして、たった一度の恐怖で、済ませてはくれなかったのか……?
「……呪いを解き、その傷を癒やせれば、助かる可能性はあります」
少しの間のあと、そっと身を離した母様は目尻を指先で拭い、普段の倍ぐらいに重々しい言葉を発した。
「そして、全ての“呪い”に共通し、解除方法はただ一つしかありません」
「教えてください。その方法は!?」
「……呪いをかけたものを斃すことです」
「そんな……!」
呪いとは、神そのものの力を指す言葉。
呪いを扱えるのは、人でないもの。
そんなものを斃せ、だなんて……!
「……無理でも、成し遂げなければなりません。そうしなければ……」
「………………」
『絶句』というのは、本来このようなときに使う言葉なのでしょうね。
泣き喚くことも、恨み言をいうことも出来ないまま、私はその場に崩れ落ちていた。
分からない。
何故、私が、こんな目に?
何の恨みがあって、奴は、私を――……
『俺を、追ってこい』
ふと、あの仮面の男の言葉が耳の奥を過る。
『もう一度巡り合ったなら――』
神の気まぐれなのか、悪質な魔物の甘言なのか、真意すらも不明な言葉。
だけど、私には彼を探す以外に選択肢はない――でも一体、何処を、どうやって?
誰も、何も言わない室内に、侍女たちのすすり泣く音だけが響く。
煌々と照らされた室内に反して、私の心は曇天よりもなお暗く沈んでいた。
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