第一章:そして王女は旅に出た
1話:全てが始まった夜のこと
なぜ、私が故国を追われることになったのか。
それは、忘れもしない、あの静かな夜。
私の婚礼の儀を半月後に控え、お披露目の意味も込めた舞踏会が終わったあとのことだった。
「……あー、つっかれた~~~!」
朝から支度と着替えと関係者への挨拶に翻弄され、軽い昼食をとり終えたと思ったらまた着替え。
そこからはもう雪崩のように、婚礼発表のセレモニー、舞踏会、また大勢へのあいさつ回り……と。
もう深夜に近い時刻になり、やっと全ての公務から解放された私は、天蓋付きのベッドにうつ伏せで倒れ込むなり、むくんだ足をバタつかせていた。
「もう、本気でくたびれたわ……なんで結婚の挨拶を一日がかりでやる必要があるの? 適当に布告の看板をポンポンと立てておしまい、で良くない? ダメ?」
「姫様、そのような端ない格好は……」
「そういうフィリアだって疲れたでしょ。一日立ちっぱなしどころか駆けずり回ってたじゃない」
当然のごとく私の閨に控えてくれている彼女だけれど、専属侍女としてこの一大イベントに臨んだ心労はかなりのものだったと思う。
「ほら、腰掛けて良いわよ」
「い、いえ! そんな、恐れ多い」
「昔は一緒にベッドの上で転げ回って遊んだじゃない。ああそう、私のことなんてもうどうでもいいのねー!」
「ひ、姫様、私は決してそのような……!」
「うん。知ってるわ」
わざとらしく泣き崩れる演技をしてるんだから、この子じゃなくたって本心じゃないのは丸わかりなのに、それでも律儀に慌ててくれるフィリアは何処までも可愛い。
まるで妹のよう……といいたいけど、本当のところは私のほうが歳下なのよね。
昔からフィリアを誂うと楽しくなってしまって、最終的に涙目にさせてしまうのは、本当に反省しないといけない。
いけないんだけど、でも……。
「……大変失礼とは存じますが、一つだけお訊きしても?」
「あ、あら。珍しいわね、なに?」
二人して一瞬の沈黙を挟んだあと、おずおずと彼女が切り出したのに不意をつかれて、少し声が上ずってしまう。
でも、そのあとフィリアの口から漏れた言葉は、私を更に動揺させた。
「姫様は、その、ご結婚なさるのがお嫌なのでしょうか……?」
「え」
心臓が、どきりと大きく跳ねる。
「あ、あー、そんなふうに見えちゃってた? ちょっと疲れてただけだってば」
「……そう、でしたのですね」
ここは、私の私室。
フィリア以外には聞く人はなく、何も慌てる必要なんてないのに、変な汗が背中を伝い落ちていく。
手燭の灯りで照らされた幼馴染の俯き顔をじっと見ながらも、それっきり何一つ言えなくなってしまって、そのまま苦しい沈黙が続く。
やがて、その膠着状態を破ったのは、珍しく彼女の方からだった。
「申し訳ございません、私の眼が曇っていたのだと思います」
「フィリア、貴女」
「…………遅くなりました、どうぞお休み下さいませ」
もう聞きはしません、そう告げるような伏し目と、あくまで冷静な夜の挨拶。
「いつものように、私は使用人室に控えておりますから」
「……うん。おやすみ」
使用人の礼を失さず、丁寧にお辞儀をして灯りとともにフィリアが部屋を出ると、あとは月明かりだけが室内に残った。
「私、結婚するのよね」
もぞもぞとベッドの中央まで這い、枕を抱きしめて溜息を一つ。
私も、もう十七歳。
母様はその歳でもう私を産んでいるし、人生の折返し地点だってそう遠くはないんだから、結婚の一つや二つ――出来れば一つだけにしておきたいけど――したって可笑しいことはない。
じゃあ、なにか心残りがあるのかと言われたら……それも特に思いつかない。
子供らしい遊びなら、フィリアや妹と一緒に、充分すぎるぐらい遊んだ。
勉強も、武道も、魔法の練習も、したいことなら父様がなんでもさせてくれた。
王女になるための教育が始まってからはキツかったけど……それでもやっぱり、楽しかった記憶の方がずっと多い。
「……じゃあ、なんなのかしら。この、もやもやした気持ち」
自分のことのくせに、呟いてみても理解できない心。
まさかそれを、フィリアに見破られるとは――いえ、見破るとしたら彼女しか居なかったのよね、きっと。
正直、結婚したくないわけじゃない。
相手がいけ好かないヒヒジジイだったら、それはもう泣いて喚いて怒り散らしてたかもしれないけど、そのへんは父様と母様がよほど気にしてくれたんだと思う。
我が国に婿入りしてくれる適齢の男子なんて、そうそう居るものでもないはずなのに。
見つかったのは――ものすごくありふれた表現になるけどーーステキな王子様。
巻き毛のふわふわした金髪、明るい茶色の眼。
せめて性格が嫌なヤツなら腐すこともできたけど、あのニコロという名の第二王子は、正しく王侯貴族の凛々しさと、子犬のような可愛さをあわせ持っていて……さらには、私との結婚にとても真摯に向き合ってくれる人だった。
「……だから、なのかな?」
何不自由なく生きてきた私が、人生でやっていないことと言えば、恋愛。
書物の中で見た、燃えるような愛情というものだけは、いまのところ特定の殿方に対して抱いたことがない。
もしかすると、これから先、ニコロ王子に対して抱くものなのかもしれないけど。
それは……果たして恋愛、なんだろうか?
「ま、そんなものよね。王族の――特にウチの王家の結婚なんて」
これは別に諦めとかそういうものじゃなく、私たちの家系にまつわる特殊事情――なぜか女の子しか生まれない、という謎が原因になっている。
母様も、父様を他国から迎えたし、私にも男兄弟はいなくて、下の四人はみんな妹。
王族であることを差し引いても、当然のように恋愛結婚なんて夢のまた夢になるわけで。
とはいえ……我が家はみな、すごく仲がいい。
父様と母様は今でもラブラブだし、姉妹間でも王位継承権争いだの権力闘争だの、その手のことは微塵も起きていない。
だから多分、何も心配することはないはず。
私も今は、結婚というものに対してちょっとだけナーバスになっているだけ。
胸の奥底になにかチクチクしたものを感じるのも、きっと気のせい。
そう自分の心を決めつけて、もうさっさと寝ようと、掛け布団を引き寄せるために身を起こした、そのとき。
私の視界の端っこを、明らかに異質なもの、あってはいけないものが掠めた。
「……誰!?」
反射的に枕元に隠してある懐剣を引き寄せ、ベッドから飛び降りる。
私の言葉に反応したのか、その『影』はゆらりと揺らぐように動き出し、やがて窓から差し込む月光の中まで進み出てきた。
「…………イナーシャ姫だな?」
その声を聞いた瞬間、腰から背中にかけて氷のように冷たい感覚が走った。
――男。
たとえ父王であっても、許可なくは立ち入らないのが絶対律である
さっきフィリアが出ていったとき、入れ違いで忍び込んだなんてことは有り得ない。
それ以前から潜んでいた?
いえ、そうだったとしても、
「何者です!」
私が誰何すると、光の中で立ち止まった男は、着込んでいるマントのフードを外した。
短く揃えた真っ黒な髪、ほっそりとした顔立ちの鼻から上を覆う青白い仮面。
マントの裾口からちらりと見えた鈍い銀色の光は、間違いなく抜き身の剣。
明らかに奸賊の風体をした男は、懐剣の鞘を払った私へと、仮面の奥から不思議なほど優しい視線を投げながら、静かにこう言った。
「――俺は、君の全てを奪う者だ」
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