旅路

 輝華グイファに見送られてから三日が過ぎた。


 まだ六月だというのに、山越えは雪との戦いだった。自動小銃を持った馬幇マーバンたちが近くの集落に助けを求めに行かなければみんな凍死していただろう。チベット系の男たち数人とともに戻ってきた彼らはヤクを引き連れていて、ようやく道を切り開けるようになった。降り積もった雪を大きな角で押しのけるヤクに続いて、馬幇マーバンたちが再び歩き出す。


 祖父が男たちに何度も礼を言う姿を、後ろから何とはなしに眺めていた。よくよく聞くと、男たちは一切礼を受け取ろうとしないのだった。そんなことよりもうすぐ峠だ、足を滑らせないでくれよと。功徳を積むことは彼らにとって、呼吸と同じくらい当たり前のことらしい。


 祖父は茶葉を、私は拉薩ラサへの支援物資を、自分の背丈と同じくらいの量も背負い込んで雪路を踏みしめて行った。この先の峠を越えれば平原に出られる、宿場町もある。だがあまり先のことばかり考えると山登りは辛くなる。何度か荷を持ち上げながら、無心で一歩一歩踏み出していた。男たちが残す足跡を私も踏んでいく。時たま見上げる曇天から、唸り声のような鈍い音の響きが聞こえる。


 かつて輝華グイファもこの道を通ったのだと思うと、改めて彼女のバイタリティを思わずにはいられなかった。あの温かな両腕に包まれている間は忘れてしまうけれど、成層圏の高みまで超音速戦闘機と共に駆け上がるのが彼女の本分なのだ。我が身より遥かに大きな存在に守られている——物思いに耽っていたとき、不意に空が騒がしくなった。  男たちも足を止めて空を見上げていた。雲の向こうに何か光るものが見えた瞬間、鼓膜を突き破るような爆発音が辺りに轟いた。


 大気を切り裂く爆音が耳をつんざく。明らかにジェットエンジンの音だ。

 男たちの吐息が荒くなる。ヤクの一頭が悲鳴のような鳴き声をあげた。


 それでも進める道は一本しかない。時たま天を仰ぎながら一行は再び歩み出した。また新たな爆発音がどこかで響く。雲の上も下も戦場だ、と思う。世界がこのまま真っ白になっていくような気がする。ふと背後を振り返らなければ、ずっとそう思い続けていたかもしれない。


 垂れ込めた雲を突き破って、それは現れた。最初、それは鳥のように見えた。だが火を吐く鳥などこの世にいるのだろうか、とぼんやりと疑問を浮かべた時には炎上する戦闘機が間近まで迫っていた。逃げろ! と、誰かが叫ぶ。前触れもなく祖父に手首を掴まれて雪原にのめり込んだ直後、灰色の巨体が私たちの頭上を掠めた。


 数秒で気がつく。口に入った雪を吐き出して、生まれたての子鹿のような足取りで立ち上がる。


 顔を拭って目を開けると、炎が霞んで見えた。その傍にそびえる二つの尾翼——怪我はないかと、祖父が声をかけてくる。親指を立てて答えてから、目をこする。炎がくっきりと見えて、雪原に散らばった残骸も視界に入った。飛行機に疎い私にも、それがなんであるかは一目で分かった。先頭を歩いていた男が大きく両手を振っている。早く手伝いに来てくれと、しきりに叫んでいる。


 その叫び声が聞こえる前から、体は勝手に動いていた。途中で荷を降ろして駆け足になる。男のそばも通りすぎて、はっきりとそれを見た。流線形の胴体の先、ひび割れた風防の下、血に染まったヘルメット──突然腰の力が抜けて、膝から雪に突っ込んだ。


 救助部隊のヘリが飛んでくるまで、雪はしんしんと降り続けていた。

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