第2話

 カラカラと馬車の車輪が回る音を聴きながら、イブキは馬車の外に視線を向ける。日も沈みかけた平原にひかれた一本道の周りを青く丸いぽよぽよとした何かが跳ね回っている。

 目覚めた場所から馬車に乗ってイブキの感覚では既に六時間。途中途中で休憩を挟んではいるが、イブキはこの空間に少し辟易としていた。

 現在、馬車の中にいるのは三人。記憶を失った少年、イブキ。ムスッとした顔を浮かばせながら常に剣の柄に手をかけているシシーナ。シシーナとは対照的にイブキには無関心と言った感じで杖の手入れや読書に耽るキャツサ。

 正直に言って馬車の中は決していい雰囲気とは言えないだろう。


「おい」


 そんな中、痺れを切らしたシシーナが表情を変えずに口を開く。

 いきなり呼ばれたイブキはまさか自分のこととは思わずに変わらず外をボーッと眺め続けていると、今度は強めの口調で呼ばれた事でようやく自分が呼ばれていたことに気付いて慌てて声をあげる。


「ななな、なんですか!?」

「お前、本当に記憶がないのか?」


 質問の意図がイブキにはわからなかった。記憶を失う以前は目の前の女は自分にとって顔見知りだったのかもしれない。

 だが、今の彼にとって女は赤の他人であり、疑いの眼差しを向けられればそれは不快以外の何でもない。


「あの、俺と貴女はいったいどう言う関係だったんですか?」


 聞き返す。少なくとも、首元に剣を突き付けるような関係性には違いないのだろうがそれでも詳しい関係は未だにイブキには分からない。

 イブキの問いにシシーナはギリ、と周りに聞こえるくらいの歯噛みをしながら一言答える。


「敵だ」


 睨んでくるシシーナの目を見ているとイブキの背に嫌な汗が流れる。


「はいはい、シシーナも威圧しない。ほら、そろそろ街に着くよ」


 イブキにとっては呼吸するのも苦しいこの空間に、外で馬車を引いていたアキラの声が入ってくる。

 ようやく精一杯息を吸えたイブキは馬車の窓から首を出す。彼の視界に飛び込んできたのは壮大で見るからに堅牢そうな壁。


「で、でっけぇ………」


 自然と、そんな言葉がイブキの口から溢れた。


「でしょ?ここがボク達の拠点、王都ミラ。異世界に召喚されてからずーっと一緒に暮らしていた街だよ」


 何やら誇張されてると感じないこともないが、それはともかく馬車は真っ直ぐと壁にある門を潜っていく。

 この壁もだいぶ厚く造られているらしく、まるで大きなトンネルでも潜っているようだ、とイブキは心なしかそう思ってしまう。

 門を潜ると次にイブキを迎えたのは大通りの端に集まり列をなす民衆の大歓声だった。


「勇者様!魔王を倒してくれてありがとう!」

「全員無事でよかった!」

「勇者パーティにバンザーイ!」


 感謝、安堵、祝福。様々な気持ちを乗せた言葉が四人を乗せた馬車に投げかけられる。

 だが、その全てが記憶のない少年には身に覚えのない事だ。


「………どうしたの?」


 今まで無関心を貫いていたキャツサがようやく顔を上げて問いかける。

 それに驚いたイブキは初めてしどろもどろになりながら次第に声を弱くして下を向く。


「自分、ここにいていいんですかね?」


 投げかけられる言葉。それはアキラ達に向けられたものであり、決して今のイブキに向けられたものではない。

 イブキの不安にどうでもいいと思っているのか、それとも答えを持ち合わせていないのか誰も何も返さない。


「……………ところでキャツサ。国王への報告はどうするんだ?」


 話をおもむろに切り替えるシシーナにキャツサも呆れたように息を吐く。


「今日は遅いから明日朝一にするってさ。もしかして聞いてなかった?」

「い、いや!聞いていたとも!あぁ!………ちょっと、右から左に流れてしまっただけで!」

「世間一般ではそれを聞いてないって言うんだけど?」


 ぐうの音も出ない、とはまさにこの事だと目の前での状況を見て確信しながら、先程から敵意をあらわにしていたシシーナが言い負かされているのを見て少し心の溜飲が下がる。

 そんなやり取りを見ていると、ふと、歓声が無くなったことに気が付いた。すぐにイブキが窓から首を出せばそこは人通りが少ない大通りだった。


「ここは………」


 ゆっくりと進んでいた馬車が止まる。そこにあったのは小さな庭付きの三階建てのアパートの様な建物だった。

 自分が誰であるか、何者なのかなどは忘れているイブキではあるが、呼吸の仕方や文字など常識的なことや知識まで失ったわけではない。

 そんな彼の脳が叫んでいる。この建物は見たことがある、と。そしてふと、とある言葉がイブキの口から飛び出してくる。


「ベイカー街221B………?」


 アーサー・コナン・ドイルの小説に登場するキャラクター、シャーロック・ホームズとその相棒ワトソン。彼らの住んでいた場所にそっくりなのだ。


「べいかーがい?何それ?」

「おい、キャッサ。コイツ頭がイカれてるんじゃないか?」


 イブキの呟いた言葉に覚えはないのか、怪訝そうな顔でやや興奮気味の少年を見る。

 馬車を降りたイブキが建物の外観をじっくりと眺める。

 イブキの知るそれと完全に一致しているわけではない。彼の知るそれに庭はない。


「驚いた?イブキは昔からこう言うのが好きだったからボクが頼んで造ってもらったんだ」


 何という事だろう、とイブキはワナワナとアキラの肩を掴む。

 しかし、この状況はイブキを警戒しているシシーナにとっては明らかに不審な行動だった。


「ッ!離れろアキラ!」

「待って!」


 今にも飛びかかろうとするシシーナをアキラが口で静止する。


「お前、お前………!マジで最ッ高!!!」


 目を輝かせながら食い気味にそう言うイブキ。記憶は無くしていてもその性格までは変わりはしない。

 キョトンとするシシーナとキャツサ。対して期待通りの反応だと嬉しそうに笑顔を浮かべるアキラ。

 イブキも少しだけこの記憶を取り戻す為の異世界での生活に少しだけ楽しみを見出したのだった。

 


 


 

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