第1話 昏い教室(その2)
一年生の教室がある三階から一階の生徒玄関まで互いに口を開くこともなく階段を下りる。
佐伯祐未は幼なじみ。
成績はC、性格はA、ルックスはA-かB+。
美少女というほどではないけれど、クラスに祐未のことを好きな男子が数人いてもおかしくはないようなポジション。
最初の混雑が過ぎた生徒玄関で靴を履き替えて校舎を出る。
その後ろをぴったりと祐未がついてくる。
充駆は無言のまま考える。
なんで一緒に帰る必要が?
その答えは校門の外にあった。
「遅いじゃないか、祐未」
穏やかな表情で声を掛ける青年は、知らない者が見れば――その親しげな様子と見た目の年齢から――祐未の兄に見えるだろう。
しかし、知っている者から見れば“親しげではなく図々しいだけ”でしかない。
青年は
教師である。
そのかたわらに停めている――同年代の中では呆れるほど自動車に興味のない充駆には名前も知らない――流線型のクルマをあごで指す。
「帰るんだろ。送ってやるよ」
祐未は目を向けることもなく、小さく舌打ちすると充駆との距離を一歩詰めて答える。
「結構です。今日は高見と一緒なんで」
切槻は充駆を一瞥すると一瞬だけ目に不快そうな光をよぎらせるが、すぐに穏やかな笑みに戻って手を振る。
「……そっか。じゃ、またな」
単純に送って行く目的なら“高見も一緒に”となるところだろうが、そうならないところに下心を隠す気すらないのが窺える。
切槻誠茂は教師である。
“女生徒食いのエロ槻”と呼ばれる教師である。
かたわらを過ぎていった“エロ槻の流線型”を見送った祐未が充駆にささやく。
「ありがと。今日は紗登花が委員会でさあ」
いつも一緒に帰っている親友の紗登花が“今日は一緒に帰れない”ということで困っていたところへ充駆が通りかかったらしい。
祐未がため息交じりに続ける。
「最近、毎日なんだよね」
エロ槻のことだろう。
“となりのクラスの佐伯がエロ槻にロックオンされたらしいぜ”といううわさは、クラスの情報伝達網から漏れている充駆ですら聞いたことがあった。
丁字路に差し掛かった。
充駆の家は右折路の先、祐未の家はこのまままっすぐ行った先にある。
祐未が充駆に声を掛ける。
「ところでさあ」
「……ん?」
不意に祐未が充駆の胸ぐらを掴んだ。
そして、ぐいと引き寄せてまくし立てる。
「いい加減に理未のことは吹っ切ってよ。姉の私が気持ちを切り替えようと必死なのに、充駆がそんなんじゃ、いつまでもいつまでも……。以前みたいにしゃべってよ、以前みたいに笑ってよ。以前みたいに……ねえってば」
最後は涙声になっていた。
驚いた表情を向けていた充駆は、自分を睨み据える潤んだ瞳から逃げるように顔を逸らせてつぶやく。
「……ごめん」
祐未もまた充駆から手を離して返す。
「私こそ……ごめん」
自身がつかんで乱れた充駆の襟元を直すと――
「今日はありがと。じゃね」
――小さく手を振り、充駆の前から走り去る。
ポニーテールをぷらぷらと左右に揺らせながら遠ざかる後ろ姿に、充駆はため息をつく。
そして、思い出す。
ツインテールを揺らせて笑う理未の姿を。
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